第13回

 予想通り一階に下り、中央廊下をまっすぐ進んでいる。館を細かく案内してくれるという感じの歩き方ではない。明確な目的地があるのだ――たぶん。

「あんた、運がいいよ。絶対にこっちのほうが面白いから」

 ハーヴェイあるいはハーカウェイはそう、私に断言した。「こっち」がどこを指しているのかは訊ねなかった。「どこだっけ」の繰り返しになるに決まっている。彼女たちの独特の思考法に、私はようやく順応しつつあった。双子を識別するのも無意味だと思いはじめていた。

 途中で右折した。人形が廊下の途中で立ち止まり、なにもない壁を弄りはじめた。指を折り曲げて、こつり、こつりと叩いては、耳を近づけて音を聞いている。なにやら探り当てたらしく、ある一点に掌を当てると、力を込めて押した。

 よく目を凝らしてみると、その一点が凹んでいた。続いて低く、微かな音が響いた。壁がゆっくりと左右に開いていく。狭い通路が生じた。

「隠し扉?」

「そんな感じだね。足元、暗いから気をつけて」

 人形が私の手を握った。彼女たちの背丈ならば問題なくても、十七歳の人間である私にとっては天井が低い。身を屈めるようにして、そろそろと歩んだ。

 また人形が停止する。掌の感触も失せた。かちゃかちゃ――と金属音が私の耳に届いた。鍵を開けているのだ。がちゃり、という重い音がしたかと思うと、途端に目の前が明るくなった。トンネルの出口が見えたような感じだった。

 まず眼に入ったのは、地面のあちこちに突き立っている影。その姿が、月明かりを浴びて明瞭になる。私は思わず眼を凝らした。規則正しく並んだそれは、どう見ても墓石だった。

「人形の墓地だよ」とハーヴェイまたはハーカウェイが暢気な口調で解説する。私はぽかんとして、屹立する墓石の群れを眺めていた。こちらに来るべきだったのはどう考えても佳音だ、私ではなく。

 低い柵のついたベランダのようなスペースに、私たちはいる。一段高い、墓石を見下ろせる位置に設けられた場所だ。人形館の一階からここへ繋がる通路が上り坂だった記憶はないから、墓地がより低地に作られているのだ。

 人形が平然と柵を乗り越えた。「こっち」と呼びかけるので、私も同じようにして向こう側へ下りる。目の前が段差になっている。専用の階段などはないようだ。隠し通路を通って来たのだから当然かもしれない。人形がそれを軽やかに飛び降りて、墓地へ向かっていく。

 固い土を踏んだ。私たちが下り立った場所のちょうど反対の位置に門がある。あちらが正式な出入り口らしい。

 墓石のあいだに敷かれた石畳の通路を歩む。誰かのお墓参り? と問おうとして、はたとそれ以前の問題に気づき、

「――人形って死ぬの?」

「死ぬからお墓があるんじゃん。いつ死ぬかは私たちには判んないけどね」

 それは人間も同じだと言おうとして、口を噤む。視界の隅を、ふわふわしたものが横切ったような気がしたのだ。すうっと流れて、背の高い木の陰に隠れた。そんなまさか。私は恐る恐る、

「人形の幽霊っていうのは」

「いるよ。ていうかもう出てきた。あんたの頭の上を、輪になってぐるぐる廻ってるよ」

 冗談であってほしいと願ったが、違った。まさしく説明された通りのものが、頭上に泛んでいたのだ。器用な煙草呑みがパイプで作るような、紫色の煙の輪――というのが精いっぱい好意的な描写だが、そこから分裂したひとかたまりが、ふわりと人の(人形の、というべきか)姿を形作る段に至って、私は震えあがった。輪は乱れてばらばらになり、次から次へと新しい幽霊を吐き出している――。

「おこんばんは、人間」というのが記憶にある最後の言葉だ。情けないことに、私はその場で昏倒してしまったのである。

 ――逆様の白い顔に見下ろされている。佳音でも、ハーヴェイでもハーカウェイでもない。彼女たちはみな色白だが、それとはまた違った色味である。上から均一に塗り込められたような感じ。加えてどこか青みがかっても見える。その白を縁どる、ウェーブした髪。黒いラインが引かれた眼と、同じく黒い唇。こういう化粧、なんていうんだっけ、とぼんやり考えた。そう、死んだ人に施すような。

 悲鳴をあげながら跳ね起きた。心臓が爆発しそうになっている。

「大丈夫、落ち着いて。私、なにもしないよ」

 穏やかな少女の声。どうにか呼吸を整え、相手を見返す。やはりそこには変わらず、白と黒の顔をした人形がいた。

 漆黒のドレスのような服に、胸元には銀の十字架が輝いている。化粧の下の顔立ち、および声の感じから判断するに、私と同じくらいの年頃。

「ごめんね。気絶しちゃったから、ここに運んだの。幽霊たちがいっせいに飛びついたものだから――」

「幽霊」お腹の上に被せられていた毛布を、身を庇うように引き上げた。「人形の幽霊? それからあなたは誰?」

「そう、人形の幽霊。一度に大勢の幽霊に囲まれると、なんて説明したらいいのかな、霊的な濃度が急激に高くなって、曝された人は気を失ってしまうらしいの。悪気があるわけじゃないから、どうか許して。もう、いきなり人に飛びかかったら駄目って、ちゃんと教えてるのに」

 彼女はそこで言葉を切り、

「私はポーリー。人形の墓守」

 敵意がないことを示すためだろう、にこりと笑いかけてきた。その表情は思いのほか人懐っこく、ハロウィンの仮装をしておどけている女の子のように思われてきた。

 私はようやく平静を取り戻し、あたりを見廻した。寝かされているのは小さな木製のベッドだ。板目が剥き出しの壁に、スコップや鶴嘴がぶら下がっている。確かに墓守の小屋の中、という感じだ。

 不意にポーリーが立ち上がった。彼女は天井に視線を向け、

「あなたたち、あれだけ注意したのに、またやらかして。ちゃんと出てきて謝りなさい」

 呼びかけが明らかに幽霊たちに向けたものだったので、私はまたびくついた。ポーリーがそんな私の心理を読んだように、「大丈夫」

「面目ない」

「人間が来るのは久しぶりだったから」

「俺たち、君を傷つけたかったわけじゃないんだ」

「だから勘弁してくれ、人間の子」

 複数の方向から複数の声がしたかと思うや、壁や天井をすり抜けるようにして、幽霊たちが小屋の中に入ってきた。全員が半透明で、その軀は紫から青、水色へとグラデーションして見える。大きさはまちまちだ。膨らんだり縮んだり、色を濃くしたり薄くしたりしながら、ふわふわと宙を舞っている。

 なんとなく人型を、つまりは人形の形をしているが、かつてどういう人形だったのかは判らない。眼や口があるべき位置が空洞になっているだけの、南瓜のお化けのような顔立ちだ。俺、と言っている幽霊は男性だったのだろう、という程度。

「どうも……おこんばんは」と私は挨拶し、「私、長壁伊月。長い壁に伊太利亜の月っていう字を書くの」

 なるべく落ち着いて喋ったつもりだったのだが、途端に幽霊たちは騒がしくなった。右へ左へ、上へ下へ、凄い勢いで行き来しはじめる。

「オサカベ……」

「月だって」

「まさか!」

「月の子だ」

 狭い小屋の中を、びゅんびゅんロケット花火が飛び交っているような有様だ。囲まれただけで気絶してしまうのでは、体当たりでも食らった日にはどうなるか知れたものではない。私はなるべく縮こまって、頭上の喧騒をやり過ごそうとした。

「静かに!」ポーリーがぴしゃりと一喝する。その瞬間、幽霊たちは動きを止め、空に泛ぶ雲のように、ぷかぷかと漂うばかりになった。

「ちゃんと、順を追って、話さないと、まったく、伝わらないでしょう? お判り?」子供たちを叱りつける母親のような調子だ。「これからは騒がないこと。彼女と話したいときは、誰かひとりが代表して話すこと。いい?」

「完全に理解したよ、ポーリー。だからそう怒るな」

 幽霊たちが吸い寄せられるように、ひとところに固まった。なにをするつもりなのかと思っていると、幽霊どうしの境界が段々とぼやけていくのだった。

 十秒ほどで大きなひとりの幽霊に変わった。むりやり全員が集結したせいだろう、お腹がぱんぱんに膨らんだ、肥満体の姿になっている。どこかピエロを思わせる、ちょっと滑稽なビジュアルだ。

「これでひとりだ。文句はないな、ポーリー」

 ポーリーが呆れたように頷く。幽霊は満足げに笑い、

「改めておこんばんは、月の子。少しだけ時間を頂戴したい。怪しい集団じゃないと証明したいところなんだが、なにせ自分たちの名前すら覚えていないものでね。これでもかつては、ひとりひとりが独立した人形だった。でも今となっては全員、ただの紫の煙だ」

 私は胸の内で、相手をパープルヘイズと呼ぶことにした。ネーミングの良し悪しはともかく、佳音ならまず呼び名を考えるだろうと思い。

「私からひとつ、質問してもいい? もし厭なら答えないで」

「どうぞ。俺たちに答えられることなら、なんだって答えるとも」

「人形は死ぬの?」さっきハーヴェイまたはハーカウェイにしたのと同じ問いを、私は繰り返した。ただし今度は「毀れても修理してもらえるって聞いたけど」と付け加える。

「基本的には毀れても死なないよ、人間の子。君が言うとおり、人形修理者のヴィトリオールが直すからな」

 しかしだ、とパープルヘイズが語気を強めた。その勢いで、小さな一体がぱちんと弾けるように体外に飛び出してしまう。慌てて手を伸ばし、掴まえて脇腹のあたりに押し込んでから、

「不死というわけじゃない。人形はその役目を失ったとき、死ぬ。どういう意味か判るか?」

 かぶりを振った。パープルヘイズは微笑し、

「だろうな。人間には理解しかねる価値観かもしれん。そもそも人形というのは、持ち主との関係性抜きでは生じえない概念だ。人を象った物質的存在、に留まるものではない」

「うまく言えないんだけど――」と前置きしてから、私は説明を試みた。人形相手に人形の話をするのは少し緊張した。授業で指名されたときの感覚に似ていた。

「像とか、ロボットとか、人間の作った、人の形をしたものってたくさんあるよね。でもそれらと人形は、どこかしら違ってるって私は感じるの。材質とか、中になにが詰まってるとかいう問題とは別に、そう、あなたが――あなたたちが? 言うように、人形っていう概念があると思う」

 パープルヘイズは唸り声をあげた。聞き違いでなければ、素晴らしいぞ、と言った。満足げな表情を泛べているところを見ると、褒めてもらえたようだ。幽霊に褒められて喜んでいるのもちょっと、という感じはしたけれど。

「この人形の国の住人たちは、まさしく人形を人形たらしめるものの塊なんだ。君の言うように、素材や中身や、動きの精巧さの問題じゃない。ひとことで言うなら――」

 執着だ、と彼は人差指を突き立てて言った。

「これは自分の持ち物である、逆の立場で言えば自分は所有物である。あなたは私と遊ぶために存在する。私はあなたと遊びたいと願う。それはひとりきりでは成立しえない、相手に大きく依存する感情だ。人間と関係性を取り結ぶことによって、人形という概念は成立する。判るかな」

「……判ろうとしてる」

 私は言葉を切って考え、

「こういう感じでいい? 人間との関係性によって生まれる執着、それが人形の根源である。人間に見られるでも、一緒に遊ぶでも、楽しませるでも怖がらせるでも、とにかく人間の感情に働きかけて、なにかを揺り起すのが人形の役目」

「そういうことだ。では人形の死とはなんだ? そろそろ答えが出たんじゃないか、人間の子」

 私は少しだけ考え、口を開いた。

「誰からも忘れ去られてしまうこと?」

 大正解だ! とパープルヘイズは喝采を叫んだ。また凄い勢いで飛び回るかの姿勢を見せたが、ポーリーに睨まれた瞬間、小さく縮こまってしまう。

「つまりだな、俺たちは誰の記憶からも消えてしまった人形なんだよ。だから自分がどういう人形だったかも思い出せない。持ち主との思い出の中にしか、俺たちは棲むことができないからな。君の眼にも、俺たちの姿はそういうふうに映っているはずだ」

 パープルヘイズが再び散り散りになった。淡い紫色の、いくつもの人型の煙。私はそのひとつひとつを眼で追いながら、

「そうだったんだ、淋しくって当然だね。私なんかでも、人間が来たら遊んでほしくなっちゃうね」

「その通り!」と全員が声を揃える。

「だからって、人間のお客さんを気絶させていいことにはならないからね」とポーリー。

 幽霊たちはしょんぼりと項垂れたが、「待て、まだ話は終わってないぞ」と言い合いながら、寄り集まってさっきの姿に戻った。

「だからだな、人形のための人形、人形ひとりのみで成立する人形、というのは基本的に存在しない。しかしここは人形の国だ。元からの住人はすべて人形。ときどき君たちのように、別の世界から客人がやってくることはあるがな」

 だが、と彼は念を押すように言い、

「この国の人形の存在意義というのは、また別のところにある。つまり、所有者のためだ」

 なるほど、と思う。私はポケットから招待状を引き抜いた。パープルヘイズの前にそれを突き出し、

「それがデイジー。人形たちの持ち主。そうでしょう?」

 パープルヘイズは長々と吐息した。

「そうだ。デイジー……彼女は、俺たちのことを忘れた。もう必要なくなったんだ。人形遊びを卒業したって意味じゃない。完全に、記憶から消してしまったんだ」

 パープルヘイズは太い咽声をあげ、

「デイジーは……おかしくなってしまった。俺たちを、ほかの人形たちを、執拗に毀すようになった。ヴィトリオールが来たせいなのか? あいつがいれば何度毀したって修理できるからなのか? いや、そんなことはどうでもよかったんだ。遊んでもらえさえすれば、俺たちは満足だった。ほんの一時でもデイジーが楽しんでくれたなら、それでいい。いつか残酷なことをしたと反省するか、あるいは怨みを恐れて丁重に葬るか、どういうものであれ、自分が毀した人形に深い感情を抱いてくれると信じていた。まるきり忘れ去られるなんて、思ってもみなかった」

 泪こそ流していなかったが、私には彼が泣いているように思えた。誰かがこんなに烈しく感情を顕わにしている様を見るのは、この人形の国に来て初めてだ。

「黒い月だ」低い声で、パープルヘイズはつぶやいた。月、という言葉が私の耳朶を打った。

「黒い月が、デイジーを狂わせた。あれは間違った月だ。悪しき月だ。あの黒い月光を浴びたせいで――」

 パープルヘイズが私に迫った。肩を掴もうと巨大な両手を伸ばしかけて、止まる。私も反射的にバックステップを踏んで身を躱せたおかげで、再び気を失わずに済んだ。

「月の子よ。君に頼みがある。悪しき月の呪いから、デイジーを解き放ってやってほしい。この国に本当の平和が訪れるように」

 再び後ずさった。今度はすぐさま壁にぶつかり、私はへたり込みそうになった。

「あの……私、そんな、いきなり言われても」

「君にやってもらわなければならない」とパープルヘイズ。「かつてこの国が黒い月に支配されたとき、君と同じ人間の世界からの客人が、それを追い払ってくれた。しかし、善き月の下半分しか取り戻すことができなかったのだ。黒い月の呪いはまだ続いている。あの悪しき月は、完全な甦りのときを待っているはずだ。そうすれば、今度こそこの国は亡びる。なんとしても、手を打たなければならないのだ」

 なにをどう言い返していいか判らないうちに、パープルヘイズの姿が薄れはじめた。消えかけているのだと気づくのに、一瞬の間を要した。

「時間だ」とポーリーが窓のほうを向いて言う。

「もうじき夜が明ける。みんなの話を聞いてくれて、どうもありがとう」

 ポーリーが私の手を取り、小さな木製のドアを開けた。まだ月はうっすらとその姿を見せている。下半分のアーチを描いて、水色の光を放ちながら。

 待て、と声がして、私は振り返った。

「最後に、悪しき月を祓った人間の名を教えよう。蒼月。その者の名は、長壁蒼月だ」

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