第11回

 駅を出た私たちがやってきたのは「人形館」なる建物だった。遠目から見たそれは、遊園地のアトラクションや、子供のブロック遊びを思わせる作り。

 蔓薔薇の絡んだ黒く背の高い門の前に立つと、自然と左右に開いた。ジグソーパズルのピースのようなものが組まれてできた遊歩道を進む。人工的に刈られた庭木のオブジェが左右に並んでいる。遊歩道の表面はぼんやりと白く、隙間に当たる部分が目立って明るくなっていた。そのせいで光が洩れだしているように思えてしまい、足裏に伝わる感触ほど硬くてしっかりしたものという感じがしなかった。

 入口のドアをくぐる。なかに通されるなり驚愕した。豪奢なホテルのような内装が私たちを迎えたのである。

 広い廊下を歩む。ディナーショーの会場、という感じの部屋に案内された。ラナークに「お掛けください」と示された椅子の、手を触れるのも躊躇われるような鈍い革の艶めきに、一瞬立ち尽くす。

 佳音はふわりと、その椅子に身を預けた。私もおっかなびっくり、腰を下ろす。

 ステージのすぐ前のテーブルだ。生花やキャンドルが飾られ、透明なグラスが置かれている。ここも貸し切りであるらしく、私たち以外の客の姿はない。

「あの……私たち、こんな待遇を受けるような大物ではないんですけど」

「なにを仰いますか。我らが主の大切なお客さまです」

「なんか大企業のお偉いさんになったみたいじゃんね。隣にこう、女の子侍らせてさ」

 佳音が冗談めかして両腕を広げ、肩を抱くような仕種をする。

「ご用意できますが」とラナークが言ったので、さすがの彼女も眼を剥いた。

「嘘でしょ」

「少女でも、あるいは少年でも。人形は人と遊ぶのが本分です。あなた方においでいただくのを、みな楽しみに待っていたのです。お厭でなければ、ぜひ遊んでやってください」

「どうしよう」と佳音が私の耳元で囁く。「なにが出てくんの。ラヴドール? セクサロイド?」

「知らないよ。テディベアが好き、とか言ってみれば」

「獣姦趣味の変態だと思われるかも。淫乱なテディベアが出てきたらどう責任取るの」

「思考が飛びすぎ」

 私たちがこそこそ言い合っているのを余所に、ラナークは手を打ち鳴らした。「おまえたち」

 奥の暗がりから、ゴシック・ロリータ風のふわふわした衣装を身に纏った、二体の人形が現れた。帽子からは金色の巻き髪が覗いている。十歳かそこらの少女をモデルとした西洋人形で、背丈もそのくらいだ。ただし頭身は人形らしく低い。

 同じ格好をしたふたりだ、という印象はあったが、近づいてきてみれば顔立ちまで鏡写しだった。双子にしても、外見ではまったく区別がつかない。

 私たちの目の前で立ち止まり、それきりぴくりともしなくなった。ラナークが私たちに向け、

「ハーヴェイとハーカウェイです。普段は雑用といいますか、小間使いのようなことをやらせているのですが、どうしても人間のお客さまに会いたいと駄々をこねましてね。こうしてご紹介した次第です。少々変わっていますが、決して悪い子たちではありません」

「どっちがどっち?」と佳音。

 本人たちは答えなかった。ただ時間が凍りついたように静止しているばかりだ。

「ふたりでハーヴェイとハーカウェイ、と認識していただくのが適当かと思います。ひとりひとりで行動することも無論あるのですが、正直に申し上げて、私にも見分けがつかないのです」

 ラナークがそう補足したが、どうにも納得がいかない。自己申告はしないのだろうか?

 佳音が片方に、「ハーヴェイ?」と呼びかけた。やはり反応がない。もうひとりも完全に沈黙したままだ。

「じゃあハーカウェイ?」

「ハーヴェイだよ、覚えて」

 ずっと黙りこくっていた人形がいきなり声をあげたので、私たちはぎょっとしてしまった。佳音も困惑した調子で、

「ごめんね、あなたがハーヴェイね。私は瀬那佳音。よろしく」

 彼女は右手を差し出したが、ハーヴェイと名乗った人形はそれに応じなかった。また元通り硬直してしまったのである。挨拶を無視したというより、ちょうどそのタイミングでゼンマイが切れてしまったみたいに見えた。

 貌の前で、佳音は掌をひらひらさせた。「ハーヴェイ?」

 無反応。彼女は腕組みしてしばらく黙考していたが、ふと思いついたように、「ハーカウェイ?」

 途端に人形は声を荒げて、

「ハーヴェイだってさっき言ったでしょ。覚えてよ」

 佳音は笑い出した。反応を予期していたようだ。「なるほどね」

「今から検証」と私に得意げな顔をしてみせてから、今度はもう一体の人形に向き合う。さっきと同じやり取りを繰り返した。

 仮説は正しかった。すなわちこういうことだ。双子の人形は、謝った名前で呼ぶと怒って訂正してくる。しかし正しい名前で呼ばれると一切の活動を停止してしまう。

「面白いね。ふたりともこっちおいで。坐んなよ」

 ふたりとも、という呼びかけには正常に応じた。ラナークの言ったとおりだ。

 双子はソファの両端に陣取った。私はちらりと視線をやって、自分の左隣にいる人形――ハーヴェイあるいはハーカウェイの横顔を観察した。膚はきめ細やかで、睫毛が長く、瞳は碧かった。正しく人形である、という気がした。

「ちょっと触ってみてもいい?」と佳音がラナークに許可を求めた。彼はあっさりと、

「どうぞ、いくらでも。触られ慣れていますから」

「ありがとう。それでは、ちょっと失礼」

 佳音は恭しげな手つきで人形の頬に触れた。「おおお」と感嘆の声を洩らす。

「やばいってこれ。超高級品だ。毀しちゃったら絶対弁償できない」

「それは心配無用です。必要とあれば優秀な人形修理者が直しますので」

 ラナークはふふ、と含み笑いをし、

「ばらばらにしていただいても結構ですよ。そういう遊びがお好きならね」

「そんなんしないって。気を付けて接するから」

 ラナークが生真面目な口調で「ばらばら」と言ったのが、少し可笑しかった。

「それではしばし、ご自由にどうぞ。私は少し席を外します」

 ラナークが立ち上がり、ハーヴェイとハーカウェイが出てきた扉の奥に消えた。

 私も興味を引かれ、人形の膚に眼を近づけた。顎と首の境目あたりに、繋ぎ合わせたような跡がある。首筋にそっと指先で触れてみて、その感触に愕いた。冷たい人の膚そのものだった。全身この調子で作られているのか――。

「服、脱ごうか」と人形が言いだし、私は一瞬、ぽかんとしてしまった。その沈黙をどう勘違いしたものか、

「脱がせるのが好きなんだ」

 佳音がこちらを振り返り、例によって悪戯気な笑みを泛べながら、

「もうそこまで進展してんだ」

「違うってば。どういう作りなのかなって――学術的好奇心」

「保健体育の?」

「莫迦」

 私は人形に視線を返し、「そのままでいいから」と命じる。彼女は頷き、私のほうを見た。またその滑らかな膚に触れながら、

「あなたはなにで出来てるの?」

「なにって?」

「磁器とか粘土とかゴムとかシリコンとか」

「知らない。あいつに訊いて。あいつと同じだから」もうひとりのほうを指さす。

 彼女が知らないなら、もうひとりも知らないだろう。やはり「あっちに訊いて」と繰り返されるだけだという気がする。

 私は人形の観察を再開した。作りはビスクドールのようだが、それを単純に巨大化させてもこうはならないと思う。むしろ等身大のラヴドールが西洋人形風の格好をしている、という印象に近かった。マネキンのイメージは最初から皆無だった。スーパーマーケット、ショーウィンドウ、洋服ラックの隙間といった日常空間には存在しえない、言うなれば空想のなかにだけ棲んでいるような人形だ――まるで現実味がなく、精緻で美しく、そして背徳的な匂いを纏った。

 いきなり人形が私の首元を掴んで引き寄せた。私が呆気にとられていると、

「毀さないの?」

 ぎくりとした。隣の気配を窺う。佳音たちには聞こえていなかったようだ。

「毀すって――なんでそんな。ラナークがそう言ったから?」

「違うよ。あいつのことは関係ない。だってあいつの人形じゃないんだもん。ただ私たち、なんでもかんでもすぐ忘れちゃうんだ。遊んでもらった相手のことでもね。だから遊んだ証拠を、ちゃんと刻んでおかないと駄目なの。ばらばらに、粉々にされたあと、ヴィトリオールに修理してもらうとき、わざと少しだけ、その繋ぎ目を残しておいてもらうんだ。相手のことを思い出すために」

「――私たち、そういう遊び方はしないの」

「じゃあ忘れちゃう。あんたのこと、覚えていられない。せっかく人間と遊んだのに、その記憶が残らないって、人形としては最悪なんだけど」

「楽しく遊んだ記憶はないの? そういう乱暴な遊びじゃなくて、もっと普通な――」

「楽しいかどうかは持ち主が決めるの。持ち主が楽しかったらそれは楽しい。私たちも楽しんで遊ぶの」

 私は唖然として、

「持ち主が、あなたたちを毀すのを面白がってるってこと?」

 人形の貌が間近に迫った。硝子の瞳が、私を映しかえしている。彼女は声を低くし、

「デイジーのことを悪く言わないで」

 そのとき、音の波動が長々と尾を曳いて私たちを包み込み、それはやがて胸苦しさを呼び起こすような音色へと変じた。振り返った。気がつけば、ステージには人形たちの姿がある。

 人形の楽団だった。小柄な少年が指揮棒を振る。軀より大きな弦楽器を構えている人形たちが、かたかたと機巧仕掛けの動作で弓を弾く。低く重々しい響きが、ピアノの繰り返す、冷たく硬質な、水の滴るような旋律に絡みつく。別の楽器がヴァイオリンのような高音を発し、新たなメロディを生じさせる。それらが重なりあい、共鳴し、音の層をなす。

 人間の息づかいをまるで感じないせいか、私にはそれが電子音楽のように聴こえた。音の欠片と欠片を繋ぎ、コラージュし、乾いた寂寥感を湛えたオブジェを作り上げていくように、私の耳には響いた。

 息を詰めた。真っ白い膚を晒した人形の少女が、舞台の中央に歩み出たのだ。完全に裸身の、球体関節人形だった。痩せた軀。色素を抜いたような長い髪。虚ろな瞳。

 どこかで見た。自分の記憶の奥底に棲んでいる人形だ――そう直感したのだが、理由も、無論その正体も判りはしなかった。私はただ陶然と、その姿を見つめていた。

「プリシラだ」とハーヴェイあるいはハーカウェイがつぶやく。「珍しい。あいつ、めったに出てこないのに」

 歌いはじめた。高音のスキャットだ。歌詞はほとんど聞き取れない。

 確かにステージ上、私たちの目の前で発せられたはずなのに、その歌声は電話回線を通したように位相が曖昧だった。まるで掴みどころがなく、虚空に投げ出されて舞っているようでもある。ふっと消失したかと思えば、楽器の音色と同化していることに気づく。

 声は昏い囁きとなり、鳥の囀りとなり、やがてまた旋律をなぞり、消えた。楽団の音も失せた。音楽の終わりだった。

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