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プロレスの基本ルール。
相手の両肩をマットに付け、レフェリーが3カウント(マットを3回叩く)を入れればその選手の勝利。これがピンフォール。もう一つは関節技を決めて、相手をギブアップさせても勝利となる。基本的な勝利条件はその二つ。
その他、ダウン(マットに倒れる)したまま立ち上がれず、レフェリーが10カウントを数える。もしくは、リングの外に出た状態で同じくレフェリーが20カウント数える。この場合は該当する選手のカウントアウト負け。
他はレフェリーストップ。関節技で気を失ったり、ダメージによって試合続行不可能とレフェリーが判断した場合は試合を終了させ、相手選手の勝利となる。
そして凶器攻撃などの反則行為を行った場合は、レフェリーの判断によりその選手の反則負けとなる。
「いや、全然わかんないんだけど……」
長々とルールを説明されたところで想像の埒外。佳乃は一人頭を抱える。そんな佳乃に、
「だが、素人のお前がいきなりプロレスの試合を行うことは不可能だ。だから今回は特別ルールのエキシビジョンをやる」
羽衣翔はそう言うと、特別ルールの説明を始める。
グラウンドでのレスリング勝負で打撃や投げ技は禁止。相手を抑え込んでピンフォールを奪うか、関節技でギブアップを奪った方の勝利。
今回は、ピンフォールは3カウントではなく、2カウント入れば勝ちという特別ルールで行う。
相手は五人、佳乃はそのうちの一人からピンフォールかギブアップを奪えば勝利。五人全員に負けた場合、佳乃は自分の吐いた言葉を彼女たちに謝罪しなければならない。
「クソッ! 何が何でも、絶対に一本取ってやる」
リングに上がった佳乃は自分にしか聞こえないような声で気合を入れる。先ほどまでのレオタード風レッスン着ではなく、今はジャージ姿。
『流石にその恰好では……』と団体側から支給されて着替えたのだ。
「ゴング!」
レフェリー用の白黒のストライプの上着を纏った羽衣翔が声を上げると、先ほどまで審査員席だったテーブルに置かれたゴングを選手の一人が鳴らす。甲高い鐘の音が鳴り響くと、リングサイドの若手選手たちは、佳乃の対戦相手を鼓舞するように声援を送る。
一方の佳乃は孤立無援。自分を応援する者など誰もいない。一緒にテストを受けた受験者たちは完全に観客として、離れた位置から高みの見物を決め込んでいる様子。勿論その中には、今しがた因縁の芽生えた相手、大垣内武美もいる。
「(アウェー上等! 絶対勝ってやる!)」
対角線上のコーナーにいる相手を睨みつけ、自身を鼓舞する佳乃。プロレスラー神崎佳乃の歴史がこの瞬間からスタートした。
一本目。全くプロレスの経験も知識もない佳乃に対し、相手選手はまるで赤子の手を捻るよう翻弄。佳乃は何もできずに抑え込まれてフォール負けを喫する。
続く二本目はいきなり関節技をかけられ、あまりの痛みに一瞬でギブアップしてしまった。
「どうした、立派なのは口だけか? もし自分の言葉を反省し謝罪すると言うならここで止めてやってもいい。それともまだ痛めつけられたいか?」
マットに蹲る佳乃に対し、挑発的に呼びかける羽衣翔。
「もう止めとけ。ちゃんと謝れば許してくれるかもしれないぜ」
後方から飛んできた声は、武美のもの。
始まる前からわかっていたことだ。これは純粋な試合なんかではない。試合の形を取った制裁、報復行為に過ぎなない。それがわかっていても、今更佳乃は引くことができない。
「冗談じゃない! 勝負はこれからだ」
闘志に満ちたその目に羽衣翔は不適な笑みを浮かべ、三人目の選手をリングに呼び込んだ。
三本目は、それまでの二戦とは明らかに佳乃の動きが違っていた。前二戦での敗北の反省を活かし、泥臭い程に相手に食らいついていく。そのいきなりの上達ぶり、順応力に周囲の目が変わる。結局丸め込まれてピンフォール負けてしまったが、佳乃自身も手応えを掴んだ。
迎えた四本目はなんと佳乃が優勢。相手の動きをことごとく封じると、何度も抑え込んであわや勝利かという場面を作り出す。さらには見様見真似で、二本目で自分がかけられた関節技を繰り出し、見ているものを驚かせる。
しかし、所詮は付け焼刃。不完全な関節技を強引に切り返されると、逆に関節技を決められギブアップしてしまった。
佳乃も「これは勝てる」と思っていたのだろう。悔しさの余りにマットを両手で叩いて怒りを露わにする。
「でも、まだあと一戦ある。次は勝てる!」
佳乃はそう叫ぶと、対角線上のコーナーに向かって身構え、最後の相手を待つ。羽衣翔が最後の選手を呼び込むが、その選手は明らかに緊張している様子だった。
誰か一人でも負ければ自分たち全員が負け、そしてそれはプロレスリング・クレスタという団体が、全く経験のないド素人相手に負けた、という結果になる。
普通であれば負けるはずのない相手だが、目の前でまざまざと急激な成長を見せられてしまった。彼女自身もまだデビューしたばかりの新人。その経験の少なさに自信が揺らいでしまう。
「待って」
新人選手が顔を強張らせたまま、恐る恐るロープを潜ろうとしたところで、鈴の音のような透き通った声が響く。
その声の主は、小屋の入り口からゆっくりとした足取りでリングに向かってくる。
先ほどまでのスーツ姿とは違い、Tシャツとハーフパンツ姿。鍛え上げられた均整の取れた肉体。何事にも揺らぐことのない凛とした佇まい。ラフな格好であるにも関わらず、それはまさに「王者の風格」と呼ぶに相応しい。
その場にいた全員が呆気に取られる中、颯爽とリングに上がった王者は、美しい身のこなしで反転すると、肩越しに佳乃のことを睨みつける。
「麗桜……どうして……?」
羽衣翔が信じられないという表情で思わず言葉を零す。
「私がやる」
プロレスリング・クレスタが誇るエース美馬麗桜は、佳乃を見据えたまま静かに闘志を燃やした。
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