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佳乃を含む受験者たちはリングを背にした状態で整列しており、その前方には長テーブルが設置され、団体関係者と思われる面々が椅子に座っている。
まずはスタッフより挨拶があり、審査員が紹介される。その中には二名の女子プロレスラーが含まれていた。
一人はジャージ姿のベテラン選手、羽衣翔未雷(ういかみらい)。テスト中は彼女の指示で進められるとのこと。まるで軍隊の鬼教官といった様相。パイプ椅子にふんぞり返ったように腰を下ろし、腕組みしながら受験生の顔を見回しては、強烈な威圧感を放っている。
そしてもう一人はスーツ姿で姿勢正しく椅子に腰かけている若く可憐な女性。腰辺りまである濡れ羽色の髪。鋭い瞳は、何事にも揺るがない意志の強さを表しているかのよう。この団体のチャンピオンである美馬麗桜(みうまれお)と紹介された。
「(あんな綺麗な人がプロレスするんだ……。女子プロって皆、あっちのオバサンみたいな人がやってるもんだと思ってた)」
女子プロレスどころか、プロレス自体を見たことがない佳乃にとっては未知の世界。あの綺麗で、自分とさほど歳も変わらなそうな女性が一体どんな試合をするのだろうか。
そんなことを考えていると、その美馬の隣の席が空いていることに気づく。何やらスタッフが慌てており、「どこへ行った?」などと話している。
すると小屋の扉が開き、先ほど入口で佳乃を案内してくれた男性が入ってきた。
「あ、さっきの親切なおじさん!」
思わず佳乃が声を上げると、関係者が驚きの表情を浮かべた後、一様に渋い顔をする。何事かと思っていると、男性は空いている席の前に立ち、
「初めまして、本日はお集まりいただきありがとうございます。プロレスリング・クレスタ代表取締役社長、二反田恭四郎です」
と挨拶する。
「しゃ、社長?」
佳乃は口をあんぐりと開けて、真っ白に固まってしまう。
「遅いですよ、社長。新人に示しがつきません。もっと自覚をもってください」
隣に座る美馬から、抑揚の薄い平坦なトーンで厳しい言葉をかけられた二反田は
「すまない。相変わらず手厳しいね」
と苦笑いを浮かべながら着席。自分に向けられた佳乃の視線に気づくと、口の端を吊り上げながら、悪戯っぽく手を振って見せた。
始まったオーディション、もとい入門テストは主に体力測定がメイン。腕立て伏せ、腹筋、スクワット、反復横飛び、柔軟性のテストなど、学校で年に一度行われていた体力測定を思い起こさせた。
なんでこんなことを、と思いつつもメニューをこなす佳乃。測定にあたって数名の若い女性が記録係や誘導を行っているが、彼女たちも団体のレスラーなのだろうか。
「辛くなった人、気分の悪くなった人は早目に申告して下さい。途中でリタイアしても構いません。決して無理をしないように」
スタッフから頻繁に声がかかる。佳乃は高校二年までは陸上部に所属。地方大会で上位の成績を残すなど、中心選手として活躍。それ以降は本格的にアイドルを目指す為に部活をやめ、ダンスや歌のレッスンに時間を割いてきた。体力と身体能力にはそこそこ自信がある。
途中リタイアが4名。最終的に11名が体力測定を終える。
佳乃は当初、合格する意思もない為、適当に流そうと考えていたが、一緒にテストを受けている赤髪、色黒の女性の受験者がやたらと佳乃を意識しており、あからさまに対抗意識を燃やしてきた。
佳乃も負けず嫌いな性格でついつい張り合ってしまい、気づけばいつの間にか本気で取り組んでいたのだった。
もうこれで終わりかと思っていたが、再び整列させられると進行役のスタッフより「自己アピールをして下さい。特技がある人は併せて披露して下さい」と告げられる。
これに対し、「総合格闘技をやってました」と言って、レスラー相手に関節技を決めて見せる者。「新体操をやっていました」と身体の柔らかさをアピールする者。「器械体操をやっていました」とアクロバットを見せる者。それぞれの動きに周囲から感嘆の声が上がる。
「(ヤバい……。アタシ、こんなん何もできないんだけど……)」
冷や汗を滲ませながら、佳乃はすぐにでもここから逃げ出したい衝動に駆られた。しかも自分の順番は最後。完全にハードルが上がり切った状態だ。
「では最後に、神崎佳乃さん。お願いします」
スタッフから、佳乃の番を告げる容赦ない声が響く。
まだ頭の中はごちゃごちゃで、何をやるかなんて何も思いつかない。助けを求めるような目で前方を見るが、そこには険しい表情をした二人の女子レスラー。そして両手を組んで机に両肘をつき、ニコニコと微笑んでいる二反田社長の姿。
「(人の気も知らないで……)」
自分は元々アイドルのオーディションを受けるつもりで来たのだ。プロレス団体に入門する為のアピールや、プロレスをする為の特技なんてない。しかしここまでやっておいて、今更自分は間違えてきたなどと言っては関係者にも、一緒にテストを受けた人たちにも失礼だ。
ここにいるのは書類審査で合格した人たち。自分がここにいるということは、自分が誰かのチャンスを奪ってしまったということ。
「どうしました、神崎さん? 始めて下さい」
こちらの気も知らずに、冷淡に呼びかけてくる進行役。佳乃は深呼吸するように大きく息を吸い込んでから吐き出すと、一歩前に踏み出した。
「(もう、いいや)」
どう考えても自分なんかがプロレスラーになれる訳がないし、このオーディションにも合格する筈がない。
いや、むしろ合格してしまっては困るのだ。自分が目指しているのはレスラーではなくてアイドルなのだから。
もう、ここは自分の好きなことをやって、さっさと終わらせよう。場違いだと、何をやっているのだと思われても構わない。
「神崎佳乃です。私の目標はWink Link Dollsの佐倉詩織さんのような、誰もが憧れるトップアイドルになることです。特技は歌とダンス。Wink Link Dollsの『鳴りやまないハートビート』を歌います!」
完全にアイドルオーディションの為に用意してきた言葉だ。そのままアカペラ、振り付きで歌い始めると会場が一瞬ザワつく。審査員席に座る羽衣翔の顔色が変わり、刺すような視線を感じる。その隣の美馬は無表情のまま、さらに隣の二反田社長は相変わらずニコニコと微笑みながら、佳乃のステージを見守っていた。
歌とダンスは完璧。これまで必死にレッスンを行ってきたのだ。録画した映像を何度も見ながら練習した振付と共に歌い上げ、最後に決めのポーズを作る。場内が凍り付いたかのように静まり返る中、二反田社長だけが大きな拍手を始めた。
「これは凄いね」
やり切った、という表情の佳乃に対し、感心したように呟く二反田。
羽衣翔は憮然とした表情。その隣の美馬は無表情のまま、律儀にも審査シートに何やら記入している。そして同じ受験者である赤髪の女性は、怒りのオーラを隠すことなく佳乃のことを睨みつけていた。
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