第1章「The ERA of Glory Begins」

「絶対、ここのはずなんだけどなぁ……」


 左手に持った紙と、目の前にある看板を交互に何度も見比べながら呟くのは、快活そうな大きな瞳が印象的な、整った顔立ちの若い女性。

 ギャル風の出で立ちだが過度な派手さはなく、素材の良さを引き立たせるようなナチュラルなメイク。ハーフアップにした金に近い茶色の長髪。大きく開いたオフショルダーのトップスとミニスカートから、色白の素肌を惜しげもなく晒している。


 その麗しい顔を紙にくっつきそうなくらいに近づけると、円らな瞳を何度も細めては開く。そこには目的地の住所や建物の詳細、さらには地図も記載されているのだが、何度見ても今自分が立っている場所が目的地で間違いない。

 スマートフォンを取り出し、地図アプリを起動させてみたが結果は同じ。


 それにも関わらず、目の前の看板に記されているのは、彼女の目的と全くかけ離れたものであった。



『プロレスリング・クレスタ  入門テスト会場』



「いや……なんでプロレス……?」


 かれこれこの場所に来るのはこれで五回目。しかもこの三十分の間に、だ。

 彼女はアイドル事務所のオーディションを受けに来たはずだった。なのに、会場に設置されている看板にはプロレス団体の入門テストの文字。


 場所を間違えたのかと近隣を歩き回り、道行く人に尋ね、コンビニの店員に訊き、果ては交番で道を教えてもらったが、何度やっても辿り着く先はこの建物。そしてこの看板の前。


 そしてその建物がまた、とてもアイドルのオーディションを行う場所とは思えない。明らかに工場跡地といった空き地にポツンと建っているのは、「〇〇鉄工所」といった看板がついてそうな「小屋」だった。

 これまで何度も経験したアイドルのオーディションは、スタジオやホールを借りて行われていて、少なくともこんな小屋で行われたことなどない。


 そもそも最寄り駅も聞いたことのないような駅名だった。都心からは随分と離れた場所にあり、お世辞にも都会とは言えない。

 駅前には寂れた商店街。そこを抜けると閑静な住宅街となり、とてもアイドル事務所があるような場所とは思えない。


「え……もしかして詐欺? 騙されてる、アタシ?」


 そうこうしている内に、紙に記載された集合時間が刻一刻と迫ってきている。


「やっばい! 時間ないじゃん。あぁ、もう! どうなってんのよ!」


 苛立ちの余りに叫ぶが、その疑問に答えてくれる人もいなければ、問題が解決するはずもない。四月とはいえ日差しが強く、まるで初夏を思わせる陽気。散々歩き回った彼女の額には玉のような汗が浮かび、気持ちがばかりがどんどん焦ってくる。

 やっぱり場所が違う? もしかして日にちを間違えた? 顎に右手を当て、頭の中で思考をグルグルと巡らせていると、


「どうしました?」


 背中にかけられた声に振り替えると、スーツ姿の男性が立っていた。落ち着いた雰囲気で、顔立ちから年齢は四十代位か。やせ型で、清潔感のある小綺麗な身なりをしている。


「えっ? あ、あの。アタシ、このオーディション受けにきたんだけど……」


 普段なら街で声をかけられてもスルーだが、藁にもすがる思いで手に持った受験票を男に差し出す。男は受け取った紙を一瞥すると、

「あぁ、テストを受けに来た子かい? だったらここで間違ってないよ」

 と朗らかに言い放つ。


「ウソ、マジでここなの……?」

「さ、行こうか?」


 男は微笑みかけると、愕然とした表情を顔に貼り付けたままの彼女の腕を取り、小屋の入り口へと進み始める。


「えっ!? ちょっと、オジサン、待って! アタシ、プロレスなんて……」


 慌てて抗議するが、男は立ち止まると彼女の眼前に紙を突き付ける。

 自分の名前がしっかりと書かれたその受験票をよく見てみると、そこには

『プロレスリング・クレスタ入門テストのご案内』と書かれていた。


 絶句する彼女に、男は柔和な笑みを浮かべると朗らかに言い放つ。


「神崎佳乃さん。健闘を祈っていますよ」


 そんな激励の言葉に、佳乃と呼ばれた女性は表情を凍り付かせ、口元をヒクつかせるしかなかった。

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