2.
ミナから電話がかかってきたのは、もう何社目かわからない、面接に行った帰りのことだった。会社説明会もかねていたので、持ってきたカバンにはそこの会社のパンフレットが入っている。ただでさえマチが狭いカバン。たかがパンフレットなのだが、それが数冊入るとなるとそれだけでもういっぱいだ。暑いので脱いだスーツの上をいれようと思っていたのだが、これを入れると不格好になってしまうだろう。仕方ないので腕にかけているのだが、スーツが黒のせいかとてもよく熱を吸収する。腕に汗が溜まってきた。
電話がなったのは、駅まであと少しのところだった。視界に入る駅名を見ながらぼんやり信号待ちをしていると、馴染みのない着信音が鳴った。僕が設定したものとは違うものだった。けれど、ポケットの振動と、着信源は確実に僕のものである。
まだ信号が変わっていないことを確認し、スマホに表示されている電話番号を見る。見慣れないものだったが、出ないという選択肢はなかった。なにせ僕は就活生だ。あちこちに履歴書を渡し、会社説明会では名前と電話番号を記入して回っている。
面接の時間が決まったのかもしれない。そう思うといてもたってもいられなくなった。すぐに脇道に探す。交通量の多い場所だったので周りがうるさかった。流石にここでしゃべると迷惑だろうし、相手の話も聞き取れない。面接の時間を間違ってしまったら大変だ。
駆け足で移動し、電話に出る。結構時間が経ってしまったと思ったのだが留守電にもならずずっと僕を呼んだままだった。あとからわかったのだが、この着信音は初期設定時になる音楽らしい。
「すいません、遅くなってしまいまして」
呼吸を整える暇もなく、会話のなかで細かく息を吐く。
「もしもし?」
聞こえないかと思って少し大きな声を出すと、電話の向こうで誰かがびくりと体を震わせたのが『見えた』。そのとき見えたのが、おそらくミナだったのだろう。
「え、あ、つながった? ほんとに?」
女性の声だということがかろうじてわかった。けれど、少し幼い気がした。大人ではない気がした。そのときの僕は留守電に切り替わる前に出ることができた喜びで、相手の発言にそこまで注意を払っていなかった。じゃなかったら、『つながった』などという人を会社の人と思うわけがない。
「もしもし? 聞こえる?」
「ええ、聞こえます」
スマホを耳と肩ではさみ、空いた手でメモ帳を取り出す。ボールペンは胸にさしてある。
「すいません、今ちょっと場所が悪くて。会話が聞き取りにくいかもしれません」
耳に神経を集中させつつ静かな場所を探すが、そんなところ急にみつかるわけもない。結局、今いる場所が一番静かそうだった。
「えっと……もしかして今、都合悪い?」
「いえ、大丈夫です」
この喧噪の中でも、不思議と、電話の女性の声はクリアに聞こえた。
「私の名前は、ミナ」
ミナ。聞き取れた固有名詞をメモするが、そんな会社受けたかと記憶を探る。聞き間違えたかと思ったが、『私の』とついていたことでそれが人名であることに気が付いた。
だが、それでも漁った記憶の中に、ミナという名前はなかった。
「すいません、もう一度お名前をお願いできますか?」
「ミナ」
はっきりと言われる。やはり聞き間違いではなかった。
「ミナ、さん」
「はい」
『皆さん』に発音が似てしまったが、相手はなにも言わない。
「ごめんね、いきなり、都合も気にせず電話しちゃって」
「いや、それはいいんですが」
あまり良くないが、それよりももっと気になることがあった。
「僕、あなたに番号、教えましたっけ?」
ミナ、という女性に心当たりがない。大学にもそんな名前の人はいなかった気がする。ただでさえ女性が少ない大学だったのだ。番号を教えたのであるならばいくらなんでも覚えているだろうし、ディスプレイに名前も表示されるだろう。
「いや、キミとは初対面だから、してないと思う。……まあ、電話なので、対面はしてないけどね」
「はあ」
では、なぜ?
そう訊く前に、相手は答えを言った。
「今、魔法で電話をかけてるの」
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