第17話 交渉
ギルドの中は喧騒に包まれていた。
だがそれは昨日の朝までの喧騒とは違う。もっとずっと混沌とした喧騒だった。
ギルドの中にはギルド員ではない一般の人間、特に記者と思しき人がかなり押し寄せていた。昨日受付をしてもらったカウンターの前に副支部長が立ち、寄ってたかってくる記者たちの質問に答えている。
まるで野球のヒーローインタビューだな。
だが実際、それと同じことだろう。
なぜなら―――
「改めてお聞きします。地竜を倒したご感想は?」
「そうですねぇ。最初に見た時にはもうだめだとそう思いましたねぇ。何しろ伝説級の化け物ですから」
そう言って副支部長のピエールが答える。その顔はにんまりとしており、満足げだ。
酒場の方でも相変わらず数人のギルド会員たちが酒を飲んでいるが、明らかに昨日よりも豪勢になっている。
「今回の討伐で手に入った地竜の素材は今後どうなるのでしょうか?」
「基本的にはギルドの方で買い取らせてもらいました。素材自体は信頼できるルートで売買もしくは保管してギルドの発展に役立てていきますよ」
その言葉に記者らはピエールをさらにはやし立て持ち上げる。どうやら貴族ともかかわりがあるというのは本当らしい。
おおむね予想通りだったな、とリットに話しかけようとしたシュウだったが、それより先にピエールの方と視線が合ってしまう。
その瞬間、ヤツの顔が驚愕、次いで憎らしげに歪むのをシュウは見た。
だがそれは本当に一瞬のことだった。すぐに人好きのする笑顔を張り付けて、インタビューに答え始めた。それからはこちらを意識していることこそわかるものの、向こうから視線を向けてくることはなかった。
「……」
「なるほど、こういうことだったんですね」
リットがその光景を眺めて呟く。
横目で見れば、ピエールを見るその目は軽蔑に染まっている。予想通りの事態に、シュウもため息しか出なかった。
「昨日の受付さん、シルヴィアだったか。彼女はどこだ?」
「見た限りでは、いないようですね」
昨日は地竜の牙の報酬は何とかすると言ってくれた受付嬢だ。まじめそうな人物に見えたが、彼女も副支部長側の人間だったのだろうか。
「すみません、受付のシルヴィアさんはどこですか?」
「ん? シルヴィアか?」
リットに呼び止められた職員が首を傾げる。
「今日は見てないな。そういえば支部長もいないし、一緒に出張かな。出勤のはずなんだが……」
「そうですか、ありがとうございます」
リットが礼を言うと、職員は忙しいためか足早に去っていく。
どうやらシルヴィアの方は確実に黒とはまだ言い切れないらしい。
と、どうやらインタビューは終わったらしい。記者たちがぞろぞろとギルドから出ていき、ピエールはギルドの奥の部屋へと入っていった。最後までこちらと目を合わせることはなかった。
「どうする? この様子だと倒したのが俺たちで、素材の所有権があるって主張しても聞き入れてくれるような人はいなさそうだけど」
「……そうですね。チンピラを送り付けてきたところを考えても、ギルド内での情報統制は完璧だと考える方がいいでしょう」
討伐に向かった人間たちは既に死んでいる地竜を見たはずなので、倒したわけではないことを知っているはずだが、シュウたちにチンピラを雇ってわざわざ襲わせる用意周到さを考えれば口止めは十分だとみるべきだろう。
「衛士に訴え出るにも証拠もありませんし……」
「やっぱりシルヴィアを探してみるのがいいか……ん?」
彼女を探すべきか、そう考えていたシュウの下へ、さっきの職員とは別の職員が声を掛けてきた。
「あんた達がシュウとリットか? 副支部長が呼んでる。ちょっと来てくれ」
シュウとリットはお互いに顔を見合わせた。
すでに歩き出していた職員に続いて奥の扉をくぐる。酒場兼受付になっていたエリアと壁一枚を隔ててこちら側は、いくつもの机や椅子が寄せて並べられたオフィスのようになっていた。無数の職員たちがせわしなく仕事をしている。
「ずいぶんあわただしいな。いつもこんな感じなのか?」
「いつもはもう少し落ち着いているよ。今日は地竜討伐の件で調査やら報告やらでとんでもない忙しさだがな」
シュウの問いに肩を竦めて答える職員。その顔には疲労の色が見て取れる。先導する足も心なしか速く感じることから、おそらくこの後も仕事がつかえているのだろう。
オフィスを抜けると細い廊下に出て、階段を上った。
「ここだ。副支部長、二人をお連れしましたよ」
軽く扉をノックしてそう告げる。
「入ってくれ」
ややあって聞こえてきた声はさっきまで下でインタビューに答えていた男の物だった。
「では、私はこれで……」
職員は軽く目礼をすると、階段を下りて行った。
その背中を見送ってから、ドアノブに手を伸ばす。ノブを回すとドアは音もたてずに開いた。
開けた瞬間飛び込んできた陽光に目を細める。表通りに面した大きな窓ガラスから入ってきた陽光を背に、デスクの上にたまった書類に目を落としている男がいた。その鋭い視線がシュウたちに向けられる。
「かけてくれたまえ」
そう言って指示したのは部屋の中央にあるテーブルを挟んだソファだ。さりげなく部屋の中を見ながらソファへと向かう二人。部屋の壁面には本棚や調度品、天井まである観葉植物などが置かれており、そのどれもが豪奢で見るものを威圧するかのように感じた。
「さて、交渉を始めようか」
対面に座ったピエールが口を開く。
「その前に、今の状況の説明が先じゃないか? なんで地竜を倒したのがあんた達になってる」
「その問いに意味があるのかね? 大方のことは君たちもわかっているだろう」
視線に怒りを混ぜながら問いかけると、ピエールはさして気にした風もなく言い放った。こちらがどのように言ったところで余裕、と言った風だ。
「昨晩のうちに地竜の死体を回収。現地に向かったものには多額の報酬を支払い口止めし、そのあと我々が倒したとして発表。そして君たちが騒ぎださないようにギルド会員を送り込んで一応口止めしようとしたが失敗した。……これでいいかね」
「……ああ。確かに俺たちの考えていた通りだ。だが俺たちはギルド会員たちを返り討ちにしてここにいる」
「それがどうしたね。連中を使って私が襲わせたことを証言させるかね。それとも地竜を倒したのは自分達だと喧伝する? やめておけ、どれも無駄なことだ」
「なにを……」
シュウが言い返そうとするとピエールは優雅な所作でソファから立ち上がった。そのままゆっくりとした動作で光が差し込む窓辺へと歩いていく。
「今頃、街の大通りを地竜の死体を乗せた荷車が通っているだろう。運んでいる者たちは地竜がどれだけ強く恐ろしかったか武勇伝を話し、素材から得られる富を約束する。……さて、そんな状況で素性も知らない君たちの話を信じてくれる者がどれほどいると思うかね」
窓辺に立ったピエールがこちらに視線も向けずそう言い放つ。
傲慢にも聞こえる内容だったが、シュウは内心で歯噛みした。
ピエールの言う通りだったからだ。シュウたちが二人で叫んでもきっと誰も信じてはくれない。むしろ厄介者として街から追い出される可能性の方が高いだろうと考えていた。
だからリットともどもここまで黙ってついてきたのだ。
「とは言え、君たちも完全に無報酬では腹の虫がおさまるまい」
そう言ってピエールはデスクへ近づくと、引き出しから小さな袋を出した。
「この中に100万ユエル入っている。貧乏人なら半年は生活できる金だ。これを持って帰るといい」
そう言ってピエールは袋を二人の目の前のテーブルへと置いた。テーブルへ置かれた時の音はとてもずっしりとしたものだった。
シュウは黙って、立ったままこちらを見下ろしているピエールの顔を見る。そこには相変わらずこちらを見くびるような、見下すような視線がある。この男は二人がこの金を蹴ることなど微塵も考えていないのだ。
「……納得いかないな」
「なに?」
拒絶の言葉に初めてピエールの表情がこわばる。
「さっきのはここまでのいきさつだろう。あんたがどうしてこんな風に俺たちの倒した地竜を横取りしたのかは説明していないじゃないか」
「ふん、なにかと思えばそんなことか」
シュウの言葉を聞いたピエールは再び落ち着きを取り戻していた。そのままピエールは座ることなく窓の向こうへと視線を向けた。
「単純なことだ。名声だよ」
「名声?」
「君たちのような若造にはわかるまいよ」
そういいながら窓の向こうの景色を見下ろす視線は、景色を透かして別の物を見ているようだった。
「かつて、この街は魔物たちとの戦いの最前線都市だったのだ。それゆえにギルドは魔物から人々を守る、生活の中心にいた―――それが今じゃどうだ」
窓に映る、ピエールの目に怒りが灯る。
「もうここはただの職業安定所だ。私が子供の頃は英雄だと思っていた連中が、今じゃタダの飲んだくれジジイどもだ。戦うこともできやしない、ごく潰しどもの集まりだと揶揄される!」
そういえばシルヴィアが同じようなことを言っていた、とシュウは思い出した。
「私は取り戻したいのだよ。かつてのギルドの栄光を。そのために長きにわたって準備も進めてきた。そういう意味では君たちの報告は、計画を実行に移すのには絶好の機会だったよ!」
ピエールの独白は次第に熱を帯び始め、今では身振りを交えながら咆哮のようになっている。
「まずは今回の功績を使ってギルドをあの忌々しいババァの手から解放する! そうしたら今度は戦争だ。地竜は隣国が秘密裏に生み出した生物兵器か何かだとして戦争を訴える。中心にあるのは我々ギルドだ!」
唾を飛ばしながらしゃべり続ける姿には、もはや狂気すら感じる。
その時ふと、隣に座るリットがシュウの服の袖をつかむ。
「シュウさん、あれ」
「ああ、分かってる」
小声で話す二人の視線が部屋の奥へと向かう。部屋の奥には大きな観葉植物の鉢があったのだが、その奥に隠すように扉がある。今、その扉がわずかに開いた。リットはその向こうから刺すような殺気を感じたのだ。
そしてシュウは入ってきた入口の向こうからも同じような殺気を感じていた。
「―――さて、私としたことが少し熱が入り過ぎてしまったようだ」
「そんなことはないさ。立派なご高説をどうも」
あえてシュウがおどけたように礼を言う。
その態度にピエールは笑みを深める。
「ただの子供だと思っていたが、なかなかに実力はあるようだ。幸運で地竜を倒せた割には、だが」
どうやらピエールの中で地竜を倒したのは幸運によるものだったことになっているらしい。
「……もし、断ったら?」
「ふむ……その場合は、仕方ない」
ぱん、とピエールが手のひらを打ち合わせると、奥の扉とさっき入ってきた入口から男がそれぞれ入ってくる。
奥から出てきた男は右目がつぶれているうえ、顔の右側に大きな引き攣れた傷跡がある。後ろの扉から入ってきた方は、天井に頭が付きそうになるほどの身長の上とんでもない巨漢だった。しかも顔には目元のみを開けたズタ袋を被っている。
どちらも堅気の仕事をしているタイプの人間には見えない。手にはそれぞれ武骨な造りの剣を持っていた。
「お前は知り過ぎた、ってやつか」
「何言ってるんですかシュウさん、向こうが勝手に話し始めただけじゃないですか?」
シュウのつぶやきにリットが突っ込みながらも拳を構える。
確かにそれもそうだ、と思いながらシュウも部屋の奥の方から出てきた男にセイジョを喚び出して構える。
「おいおい副支部長さん、この人たちどう見てもギルドの名誉を回復するには不審者すぎるんじゃねーの?」
シュウが挑発する意味合いも兼ねながらピエールに問いかけると、彼は喉の奥で嗤いながら、
「こいつらは人目に付く仕事はさせないさ。むしろもっと重要な仕事をしてもらう大切な駒なんだよ」
「……そうかい」
じりじりと間合いを詰めてくる顔面に傷のある男に油断なくセイジョを構え言う。背中合わせになったリットは後ろの巨漢に対して構えを取っているだろう。
「さぁ、これが最後のチャンスだ。我々の仲間になるかさもなくば―――」
愉悦に浸るような笑みを浮かべながら大仰に腕を広げ、最後のチャンスを与えようとしたピエールはしかし最後まで言い切ることはできなかった。
それより先にシュウが傷跡の男に斬りかかろうと踏み出し、男が反応し前に飛び出した。
剣同士がぶつかり合う未来を幾通りも予測していたシュウだったが、現実がそうなることはなかった。
直後破砕音とともに窓ガラスが粉々に砕け散り、部屋の中に大きな「それ」が転がり込んできたのだ。
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