第14話 姉妹


 1階のリビングスペースで待っていたシュウとユーリの前に、二人が姿を現したのはしばらくたってからの事だった。

 その間ユーリは落ち着かなそうに視線をきょろきょろさせたりしていたのだが、扉が開くと同時リゼットの姿を認めて飛び上がった。


「っ! リゼ姉! もう大丈夫なの?」


 リットの後ろにいたリゼットが部屋に入ってくると、ユーリが目を見開いて尋ねる。その言葉にリゼットがニカっと野性的な笑みを浮かべて答える。


「おう、もう大丈夫だ。リットが前以上に元気にしてくれたからな」

「よかった……ほんとに、よかった」


 ぽろぽろとその目から涙があふれる。ユーリはそれを止めようとしているのだが、止めることができないようだった。


「だいぶ世話をかけたなユーリ。もう大丈夫だ。そうだ、世話をかけた礼に何でも言うことを聞いてやるよ」

「何でも?」

「ああ、あたしにできることなら何でもいいぞ」

「もう、怪我しない?」

「ああ、しないしない」

「ご飯のピーマン残さない?」

「お、おう。もう残さないよ」

「買ってくるお酒減らしてくれる?」

「う、ううううん、それはちょっと……」

「でも、何でもって言った」

「わ、わかった、出来るだけ―――うおっ」


 悩んでいる間に、ユーリが急に立ち上がりリゼットに抱き着いた。リゼットはそれを優しく受け止める。受け止めた時の手つきがとても優しく、まるで壊れ物を扱うようだ。


「よかった、本当によかったよお……」


 その背中を優しくさする。


「ほら、あんまり泣いてんじゃないよ」


 と、リゼットが声をかける。


「ユーリ、すまないけどリット達と大事な話があるんだ。今日は泊まっていくそうだから、空き部屋を軽く掃除しといてくれないか?」

「ぐすっ、わ、わかった」


 ユーリはまだ少し涙声だったが、リゼットに頭を撫でられると「へへっ」と笑ってリビングを出ていこうとしたが、扉の前で立ち止まって振り向くとぺこりと頭を下げる。


「リゼ姉を助けてくれてありがとう! ほんとにすごい神官様なんだね」

「どういたしまして。私にとってもリゼットは大切な師匠で、姉ですから当然のことを下までですよ」

「リゼ姉がお姉ちゃんなの? じゃあリットお姉ちゃんもお姉ちゃんだね!」


 そう言うなりさっきリゼットにしていたようにリットに向かって突撃するかのように抱き着いた。


「おっととと、お姉ちゃんですか悪くないですね」

「えへへへ」


 花が咲くような満面の笑顔を見せるユーリにリットの口元もほころぶ。そして「じゃぁね」と言って今度こそ部屋を出ていった。

 その小さな背中を見ながら、リゼットがふう、とため息をつく。


「チビがすまないね。あれでもあたしのことを心配してくれていたんだ……座って話そうか」

「いい子じゃないですか」

「だろ?」


 そう言って椅子を勧める。

 この部屋はリビングルームになっていて、板張りの床の上に大きな長テーブルといくつもの椅子がある。リゼットとユーリしか見えないので、昔はもっと孤児たちがいたのかもしれない。奥にはキッチンが見えるので、普段はここで食事もしているのだろう。


「さて、何から話したもんか。とりあえず、今さらだがあんたには自己紹介が必要だね」


 そう言ってシュウへと視線を向けてくる。その目は好奇心でギラギラとしていた。


「そういえば、そうだな。俺はシュウ。リットとは今朝から一緒にギルド会員をしている。よろしく」

「こちらこそ。あたしはここの教会兼孤児院のシスターと院長をしているリゼットだ」


 リゼットが手を伸ばしてきたのを見て、反射的にシュウも握手を返す、握った手が結構な力で握り返されるが、意地で痛みは表情に出さないように努める。


「へぇ、リットが選ぶだけあって骨のありそうなやつだね」

「そいつはどうも」

「もう、シュウさんはちょっと黙っていてください」


 そういうと、リットはこれまでのあらましを話し始めた。シュウが牢屋に入れられた経緯は細かく話したくせに、自分が入れられた理由はぼかしていたり主観が大いに盛られた内容だったが、おおむね理解してもらえたようだった。

 特に二人とも無一文なところは。


「なるほどね。それでうちに来たわけか」

「はい。それで明日まで泊めて欲しいんです」

「ははっ、明日までと言わず好きなだけ泊まっていきな。金はあんまりないからうまい飯はさほど出せないけど、昔に比べてここにいるチビ達も減ったからね。部屋は余ってるんだ」

「本当ですか! ありがとうございます」


 リットの顔がぱあっと輝く。

 シュウとしてもどうにか宿を見つけられて一安心だ。安堵のため息をこっそりつく。


「で、だ」


 そこでリゼットが身を乗り出してくる。その目はまっすぐにシュウを見ている。穴でもあけそうなほどにねっとりとした視線は、好奇心でやはり輝いている。


「あんた、かなり強いだろう。一度あたしと手合わせしてみないかい?」


 にやり、と獰猛な獣を思わせる笑みを浮かべてリゼットが言う。


「はぁ、何を言っているんですか。病み上がりなのにそんなの許可できるわけないでしょう」

「でもよ、リットのおかげで衰えてた筋肉まで全部元に戻ったわけだし、もしもの時も考えたら今のうちに肩慣らししとかねーとさ」

「そんなときは来ません。ですからシュウさんと戦う必要もありません」

「うーケチー」


 リゼットが拗ねたように口を尖らせる。

 隣に座ったリットはしょうがない人です、とばかりに肩を竦めてはいるが、その表情は明るい。これはきっとじゃれあっているだけなのだろう。


「ま、まぁそういうのは機会があったらってことで」

「ほんとか!?」


 瞬転、目をキラキラさせながらリゼットが言う。


「あーあ。知りませんよ。この人のバトルジャンキーは度を越しますからね」

「……なぁ、もしかして強いの、この人」


 呆れているリットに小さい声で尋ねる。


「強いですよ。何しろ私の護身術の師匠ですから」


―――そういえば師匠とか言ってたー!


「や、やっぱりなしで……」

「あの状態の彼女にそれが言えますか?」


 そう言って指さす先には本当に小躍りしている孤児院の院長先生がいた。あれでシスターか。

 今さら後悔するも後の祭りだった。


「ちょっと待ってくれ。9年前にリットに護身術を教えたってことは、あんた今一体何歳なんだ?」


 見た目は20歳そこそこにしか見えないが、もしかして相当年がいっている異世界種族とかなのだろうか。


「当時は14歳でしたっけ?」

「そうそう。そんで次の年にここを出なきゃいけないし、何しようかな、って考えてる矢先に母さんが死んじゃってなし崩し的にそのまま引き継いだんだよね」


 と言うことは14歳でリットを指導できるほどの実力者だったというのか。


「15でここを出なきゃいけなかったのか」

「この国では15歳で成人とみなされますからね」


 なるほど、そんな事情が。


「あの子はいくつなんだ?」

「ユーリは8歳だな。その割には大人だろう?」


 そう言ってリゼットが淡く笑う。リゼットにとって大切な家族なのだろう。


「そういえば、以前来た時に比べるとかなりさびれてしまったようですが、何かあったんですか」


 リットがふと思い出したように尋ねる。

 だがその言葉にリゼットは苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「直接的には回復魔法が使えた母さんが亡くなったのが原因だと思ってる。でも、一番の原因は時代の流れだろうね」

「時代、ですか?」


 はぁ、とため息をつきながら言うリゼットにリットが聞き返す。


「10年前魔王が倒されて、次第に平和になっていく中で教会は必要とされなくなってきてるんだろうよ。大きな怪我もしないから回復魔法もいらない。危険な場所に行かないから安全を祈るのも家でやる程度でいいだろってなってる」

「10年で、そんなに信仰が廃れるものなのか?」

「ここはエルミナの第3教会なんだが、今じゃ第2は閉鎖だし、第1は8年前魔物の大襲撃で破壊されてから再建されずにそのままなんだぞ? これでこの国の国教だってんだから笑っちまうよ」

「そこまで、ですか……」


 肩を竦めて嘆息するリゼットに、リットはどういうわけか顔をしかめる。


「別にあんたのせいじゃないさ。時代がそうなってきてるだけだ」


 それを見たリゼットが優しく声を掛けながら頭をなでる。


「別に悪い話ばかりじゃないさ。危険なことは確実に減ったし。生活も安定してきたからここにやってくる孤児もかなり減ったんだ。あたしの代の頃は今の10倍以上はいたからね」


 そう言ってリビングを見回すリゼットの眼には一抹の寂しさがある。昔のにぎやかな頃の光景が浮かんでいるのだろう。


「それじゃ経営は、やっぱりうまくいっていないのか」


 ここに来るまでの廊下の壁にはいくつも子供が空けたままになっていると思しき穴があった。教会の方も、手入れが行き届いているとは言えない状態だった。


「リットには話したけど、ギルドのつてで猟師の真似事をさせてもらってるからその収入が主な生活費だね。ギルドは10歳から登録できるからユーリも後2年経ったら登録して内職をするって言ってくれてる。他にもここを出てった子達からの寄付で何とかしてるところ」


 予想以上に経営は厳しそうだ。


「まぁ、あんた達がそんな心配をする必要はないさ。少なくとも、あの子がここを出ていくくらいまでは持たせてみせるよ」


 そう言ってリゼットは不敵に笑って見せる。

 きっと、子供たちにもそんな笑顔を見せて育ててきたのだろう。出会って間もないシュウでさえもその笑顔に安心感を覚えさせられた。

 と、その時廊下の方から足音が聞こえてくる。


「リゼ姉、シュウさんたちのお部屋用意しておいたよ。上の奥の部屋2つね」


 顔をのぞかせたユーリ。


「おお、そうかありがとう。助かるよ」

「ううん、リゼ姉も早く休んでね」


 そう言うと、シュウたちに軽く頭を下げて再び廊下に消えていった。


「さて、あんたたちも疲れてるだろう。部屋も用意してくれたみたいだからもう休んだらどうだい」

「そうですね。そうさせてもらいましょうかシュウさん」


 ユーリから振り向いたリゼットがそう提案すると、リットが肯定した。


「んじゃ、部屋に案内するよ」


 シュウも頷いたのを見て、リゼットが腰を上げる。


「……ちなみに部屋は二人一緒の方がいいかい?」

「別々でいいですっ!」


 リゼットのからかいを含んだ声に、リットが秒速で反応する。

 その反応にからからと笑いながら、リゼットは階段を上がっていく。リットは不承不承と言った体だが、後に続いた。

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