第13話 治癒


 三人は板張りの、ぎしぎしと音が鳴る階段を上がっていた。

 あの後「とりあえず、会わせてもらえませんか」というリットの再度の頼みにユーリが頷いて、母屋へとやってきたのだ。

 外観は石造りで2階建てのようだった。教会に比べるといくらか綺麗だ。こっちの方は住んでいる人間が常にいるからかもしれない。中へ入ると、そのまま2階へと案内された。


「なぁ、魔法で治療してやることはできないのか?」

「……普通のケガや、毒状態のようなものなら治せますが、病気となると魔法では治療できないんです。ですからひとまず様子を見てからですが、おそらく彼女のことですから……」

「よく知ってる相手なのか?」

「9年前、私が3歳の頃一度会ったきりです」


 それって、覚えている方がおかしいのでは? と一瞬思ったが賢明にも黙っているシュウ。リットの特技はここに来るまでに見せつけられている。


「短い間でしたが、アイアリーゼとリゼットとの記憶は今でも鮮明に覚えていますよ。……まぁ、この特技のおかげで大抵のことは覚えていますが彼女たちはちょっと特別です」


 そんな話をしている間に、リゼットなる人物が寝ているのであろう部屋の前までやってきた。ユーリが扉をノックする。


「リゼ姉、お客さんだよ。入ってもいい?」


 少女の声が発せられ、廊下が静かになったところで部屋の中から声があった。


「どうぞ」


 低めの、ハスキーな声だった。

 ユーリが扉を押し開ける。

 部屋はとても質素だった。ベッドと机と木製のクローゼット。壁には本棚があったが、本はほとんど入っていない。

 部屋に入ってきた三人を、ベッドの端に腰かけた女性がこちらを見ていた。

 真っ先に目に入ってきたのは短い銀髪だった。顔色こそ悪いものの、力強い意志を感じさせる目が印象的で、ゆったりとした修道服に身を包んでいる。


「あなたがたは?」


 ゆったりとした口調だった。


「お久しぶりですね、リゼ」


 しかしこちらの素性を問う声をさえぎってリットがリゼットの前に出る。


「あなた……どこかで?」

「私のことを忘れてしまいましたか? 私はあなたのことは一度も忘れたことはありませんでしたよ―――師匠」

「!」


 ふっ、とリットの右手が掻き消える。

 それは次の瞬間にはリゼットの目の前にあった。だが、拳が届くことはなかった。リゼットが苦も無く受け止めたからだ。


「いきなり何すんだこのガキ!」

「やっぱり少し鈍ったんじゃありませんか? 以前のあなたならこの程度、拳を振る前に止めたでしょうに」


 リゼットがいきなり殴りかかってきたリットに対して口汚く罵る。犬歯をむき出しにして叫ぶその姿からは、一瞬前までの修道女然とした雰囲気はない。

 突然起こった取っ組み合いに、シュウはもちろん、隣のユーリも呆然と見ていることしかできなかった。


「お前、もしかして―――いや、この技の筋あたしの物? それじゃ、あんた……!」

「ようやく思い出していただけたようですね。今はリットと名乗っています。改めまして、お久しぶりですねリゼ」

「うわっ」


 唐突に、リットがリゼットに抱き着いた。リゼットは勢いを受け止め切れずにそのまま背後のベッドに押し倒される形となってしまう。


「そっか、あんたなんだ……大きくなったね」

「そういうあなたの方は……相変わらずですね!」


 リットはそういうなり、いきなりリゼットの服の裾をめくりあげた。

 あらわになる白い肌、予想よりもずっと大きく張りのある胸の下半分―――そして包帯のきつく巻かれた腹。


「どうしたんです、これ?」

「あ、あははは。ちょっとドジしちゃってねー」


 そう言って泳ぐ視線が入り口で固まったままのユーリへと向かう。


「……なるほど」


 その視線の先を確かめてなぜかリットが頷く。


「ユーリさん、シュウさん、すみませんがリゼの治療をします。席を外してもらえませんか」

「治せるのか?」

「ええ。思ったよりも大したことなかったので」

「んじゃ、任せるよ。後でそっちの人のことも紹介してくれ」


 そう言って、シュウは部屋の入り口から離れようとしたのだが、すぐ前にいたユーリが動かない。

 頭上で交わされる言葉に視線を言ったり来たりさせているだけだ。


「ほらチビッ子、お前もこっちだよ」

「え? え?」


 未だに混乱の渦中にあるユーリを抱えあげ、その場を離れようとする。


「その恰好、本当に犯罪者みたいですね」

「うるせぇ! さっさと仕事しろ食い逃げ神官!」


 シュウはそのまま目を白黒させているユーリと一緒に部屋を後にした。




   ◆◆◆


 リットはリゼットの腹に巻かれた包帯を取る。

 そこから現れたものを見て、眉根を寄せた。


「本当に、いったい何をしたらこんなことになるんですか」

「うちの様子を見たら分かるだろ。うちには金がない。だからできることをして稼ぐしかないんだ」

「で、刺されたわけですか」

「おう、あたしと同じくらいの大きさだったぜ」

「……大雀蜂ですね」


 刺された脇腹はどす黒く変色し、ふさがり切らない傷口から血が滲み壊死が始まろうとしていた。確かにこれは、普通の町医者なら匙を投げるだろう。


「魔法のかかったポーションなら、治せたんじゃないんですか?」

「だから言ってるだろう、金がないんだよ。……あたしが使っちまったら、あの子に残してやれる金がなくなっちまうだろうが」


 やれやれ、と言った風に肩を竦めるリゼット。


「……馬鹿な人ですね。だから病気だなんて嘘を?」

「治せる可能性があるなんて知ったら、あいつ何するかわからないからな」


 そう言いながらも、口元に浮かぶ笑みは慈愛に満ちたものだ。そのことに若干の嫉妬を覚えながら、


「やっぱり馬鹿ですね」

「あー! 二回も師匠に向かって馬鹿って言ったな!?」

「すぐばれるような嘘をついてごまかした気になってる人を他にどう呼べと?」


 そう言いながらも、幹部に手を翳し意識を集中させる。


「やっぱ無理があったかな。一応毒をもらってるっていう点で嘘じゃなかったんだけどさ」

「毒ですか。大雀蜂の毒はかなり強力だと聞きましたが」

「ああ。こいつは第一階梯のヒール程度じゃ治せないぞ。刺された時に毒を入れられて、内臓がぐちゃぐちゃに混ざり合ってるからな」

「……ほんと、どうして生きてるんですか」

「医者も同じこと言ってたよ」


 肩をすくめて見せるリゼットだったが、本当はそんな余裕を見せる体力もないはずなのだ。さっき、リットが体当たりした時も全く抵抗を感じなかった。痛みからほとんど体力もないのだろう。


「心配は不要です」


 そう言うなり、リットは深い集中へと入る。

 足もとに白い光が沸き上がり、それは複雑な図形を描いて回転する。光の魔法陣は次の瞬間リットの掌に凝縮すると、その先にあったリゼットの体に触れるとそのまま消えていった。


「これは、すごいな」


 そういいながらリゼットがさっきまでどす黒かった肌をなでる。そこにはもう変色した肌はなく、真っ白なそれでいて筋肉質な腹があった。


「さすが第五階梯回復魔法・リジェネレーションだな。ケガだけじゃなくて動けない間に衰えてた筋肉まで再生してやがる」

「これに懲りたら少しは自重を覚えてください。9年前から全く変わりないんですから」

「ははは、わかったよ。そういうあんたは、だいぶ変わったみたいだね」

「そう、ですか?」


 少し照れたように鼻の頭をかくリット。


「まぁ、身長は全然大きくならなかったみたいだけど」

「こ、これからなんですっ」

「でも、いい顔をするようになったじゃないか。前に会った時は今にも死にそうな顔だったってのに」

「そ、そんなことを考えていたんですか!? そこまでひどくはなかったはずです」

「ひどかったよ」

「……」


 リットの否定の言葉は、リゼットの真面目な声で否定された。


「あの頃のあんたは大人でも嫌になるようなことをいっぱい抱え込んで、押しつぶされてた。まだ三歳だったのにね。……今のあんたなら大丈夫だって言えるけど……もしかしてあの男のおかげかい?」

「しゅ、シュウさんは違います! ま、まだ会ったばかりですから」

「へぇ、会ったばかりの男とあんな風な関係なんだ」

「あ、あんなって。リゼはまだ全然話してないじゃないですか」


 二人はまだ直接話してもいなかったはずだった。


「なんとなくだよ、なんとなく」


 そう言ってきゃらきゃらとリゼットは笑う。


「さて、そんじゃお前の愛しの君がどんなやつか本当に会いに行ってみようじゃないか」

「だ、だから違うんですっ!」


 リットがわたわたと否定するも、リゼットは取り合わず笑うだけだった。


「あ、そうだ。あんたのことはリットって呼べばいいのか?」

「……今さらですね。まぁ、今は正体を隠していますし、そう呼んでください」

「隠してるって言ってもその容姿だから見る人に見られればバレると思うぞ?」

「その時はその時です」

「しょうがない奴だな。まぁいいか。それよりも」


 廊下へと向かっていた脚を止め、リゼットが振り返る。


「あー、これは本当はアイアリーゼが一番言いたかったことだろうけどな」

「なんです?」

「お帰り。スピネル」


 リットはっと目を見開く。

 目じりに涙がたまっていくのをこらえながら、口を開いた。


「本当、今さらですね」


 リットは再び、リゼットの腕の中に飛び込んだ。

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