第12話 教会
酒場へと突撃し、手に入れたわずかな報酬を食費に変えてしまうのは一瞬のことだった。未だに喧騒が収まることを知らないギルドを出る頃には、二人とも再びの無一文となっていた。
「さて、どうするか……」
完全に真っ暗となった空を見上げて呟く。
だが、何かいい案があるわけでもない。現状シュウに考えうる選択肢は野宿をどれだけ安全にできる場所を選ぶか、それだけなのだった。
しかし、その選択肢を隣の少女にまで取らせる事には強い抵抗を感じていた。何しろどこからどう見てもリットは幼い女の子だ。
その女の子はと言えば、しばらく何事か思案してい様子だったのだがふと顔を上げて言った。
「仕方ありませんね。私に考えがあります。ついてきてください」
「リット?」
急に歩き出したリットの後に、シュウが急いで続く。
エルミナの街は円形にぐるっと外壁が覆っており、街のほぼ中央にギルドが。北側には領主の城がある。このためか家々の造りを見るに北側に住んでいるのが貴族や金持ちの様だった。北に行くほど大きく派手な屋敷が多くなっているからだ。
そしてそれとは正反対に行けば行くほど古めかしい建物になっていくのが街の南西側だった。こちらの方は出入りしている人たちの服装や姿もそれに合わせて変わっていく。どう見てもあまり金を持っていなさそうな人が多く、どうやらスラム街の様だった。
大通りから見えていた街並みとは打って変わって、細くうねった複雑な道が続く。しかも背の高い集合住宅のようなものが多く、圧迫感がある。昼間に歩いてもほとんど陽が差し込まない路地ばかりな気がする。
リットはそんな道を何の迷いもなく進んでいた。
「リットはこっちに来たことがあるのか?」
「以前、一度だけ来たことがあるんです。当時はまだ、全体がこんなゴチャゴチャした雰囲気でした。街が全体的にあんな風に綺麗になったのは前領主が亡くなってからなんです」
「区画整理をしたんだな」
「8年ほど前です。その時に近くで生き残っていた魔物の大きな襲撃があって、エルミナの街は貴族街とこの南西区を残してほとんど更地になってしまったんです」
「……」
唐突に話し始めたリットにシュウは押し黙る。
「その時に領主が亡くなって。魔物は一掃できたんですが、街の再建時に資金を投下していっそ綺麗で住みやすい街にしようという機運が高まったんだそうです。なのでこの南西区だけが当時からそのままの街並みなんです」
そういう間にも、リットはまた路地を曲がった。
もうすでにシュウは一人でこの街を出ることはできない自信があった。
「色々大変だったんだな」
「いえ、今では傷も癒えて新たな街が生まれたので昔のことをとやかく言う人はいませんよ。ただ、新市街区から初めてやってきた人たちがここから出られずさまよっているという都市伝説が生まれましたが」
どうやらシュウのような人はほかにもいたらしい。
そんなことを考えている間に、リットが足を止めた。
「着きましたよ」
言われて見れば、そこには一軒の家―――廃墟一歩手前の物―――があった。
石造りの建物なのは周辺と変わりなかったのだが、他と違って大きく立派な門扉が付いており、その上にはカラフルなガラスがはまっている。
「教会……か?」
「そうです。ここは私が所属するセレナ教の教会です」
そう言ってリットはずかずかと敷地内へと入っていく。柵に囲われた敷地、とはいっても隙間だらけで境界を主張する以上の意味はなさそうだったが、中に入ってみると意外に敷地は広い。反面見える範囲は草がぼうぼうに生えており、全く手入れをされている気配がなかった。廃墟に見えてしまったのもこの辺が原因だろう。
セレナ教はこの世界に実在する神を信奉する宗教だと思っていたが、もしかして意外に知名度が低いのだろうか。
そうでもなければこんなスラムじみた場所に教会を置いておいたりなどしないと思うのだが―――。
「すみません、どなたかいませんか?」
シュウの思考は、リットが門扉を叩く音で遮られた。
だが、反応はない。
「おかしいですね。留守なんでしょうか」
そういいながらもリットは扉を押し開ける。
音を立てることもなく、扉は開いた。
「お、おい。勝手に入っちゃってだいじょうぶなのか?」
「こっちは礼拝堂の方ですから大丈夫ですよ。中に誰もいなければ母屋の方を探しに行かないといけませんけど……」
そう苦笑してリットは教会の中へと入っていった。
続いて中へと入る
すると、ひんやりとした空気に包まれた。礼拝堂の中はカラフルなステンドグラスから降り注ぐ光もあって、不思議と引き締まった雰囲気を感じた。
外から見た時は年月による風化が激しく汚れも目立ったが、中はいたって清潔に保たれていた。長椅子が左右にいくつか配置され、正面の演台に向いている。現代の教会であれば十字架や、寺であれば仏像がある場所には一体の女神像と思しきものがある。
白い石でできたそれは人間味のない微笑みを浮かべていた。もしこれがあのセレナをかたどったものだというなら勘違いも甚だしい。あのおっちょこちょい女神はこんな神々しい感じではなかった。
「あ、あの。お客様ですか?」
演題の向こう側にあった女神像を見ていたシュウに声を掛けてきたのは、小さな女の子だった。おそらくリットよりも幼い。8、9歳くらいだろうか。その女の子が奥手側にあった扉から顔と半身だけを出してのぞき込んでいた。
「こちらの教会の方ですか?」
未だ警戒している風な少女にリットが問いかけると、年が近いこともあってだろうか。少女は少し警戒を解いたようで、扉から教会内に入ってきた。
茶色の髪を肩口で二つに結っている女の子は「そ、そうです」と答えてくれた。服装は街ではどこでも見かけるもので、教会関係者には見えなかった。
「シスター・アイアリーゼに用があってきました。今彼女はどちらに?」
「お、お母さんを知っているんですか!?」
リットが名前を告げると、それでもまだ警戒の色を残していた顔が驚きに包まれた。
神と同じ色の眼が大きく見開かれている。
「お母さん、ということはあなたは孤児院の子ですか?」
「はい、そうです。ですが……」
しかしそこで少女の顔は曇ってしまう。
「お母さ―――シスター・アイアリーゼは二年前に死んでしまいました」
「っ!? 亡くなっていたんですか」
今度はリットの方が大きく目を見張る番だった。その目は、次第にうるみ閉じられた。しばらく黙って、口を引き結んで何かに耐えているような様子だったが、次に目を開くとそこには深い悲しみだけが湛えられていた。
「シスター・アイアリーゼに女神セレナ様の平安のあらんことを。彼女には生前とてもよくしていただきました。申し遅れましたが私はリット、こっちは連れのシュウと言います。以前この街に来た時にシスター・アイアリーゼにはよくしていただいたので、こちらに寄らせていただいたんです」
紹介されて、目が合った少女に目礼を返す。未だに少女からは少し警戒されているようだ。
「そうだったんですか……。あ、あたしはユーリと言います。アイアリーゼは二年前病気で死んでしまって。今は娘であるシスター・リゼットが引き継いで教会と孤児院を運営しています」
「この教会には孤児院があるのか?」
外から見た時にはそれらしき建物は見えなかった。
「おんぼろですけど大きいですからね。この教会のちょうど裏側に母屋があって、そこが孤児院なんです。と言っても前々シスターからアイアリーゼが引き継いでから勝手に始めたことなので歴史は古くありませんが」
そう言われてシュウは薄々感じていたことに確信を得た。つまりこの少女はこの教会に併設されている孤児院の子供なのだ。教会の様子を見るにあまり運営はうまくいっているように見えないが。
「シスター・リゼット、ですって?」
そう考えていた隣でリットがさっきアイアリーゼの死を教えられた時とはまた違う、愕然とした表情をしていた。
「彼女が、リゼットがまだここにいるんですか!?」
「は、はい」
「会わせてくださいっ! 今彼女はどこに、母屋の方ですか?」
「そ、それは出来ませんっ」
勢い込んで尋ねたリットに対してユーリは拒絶の言葉を発した。
「な、なぜですか」
「彼女は今……病気、なんです」
ユーリの目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちていく。
「お医者さんの話では、もう長くないだろうって」
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