第9話 決意


「GRRRRRRRR」


 低い、地鳴りのような声が聞こえる。

 大きさは、二階建ての家屋くらい。手足はあまり長くなく、四足でゆったりと動いている。面長の容貌と相まってワニを彷彿とさせる姿だった。

 その黄金色の瞳がこちらをじっと見つめている。

 ぞくりとした悪寒をシュウは感じた。その瞳は憎しみの炎が音を立てて燃え盛っている。底知れない、深い憎悪だ。

 そしてそれは、シュウに向けられたものではなかった。


「来るぞっ!」

「!?」


 地竜の前足が地面を荒々しくひっかき、こちらへ向かって突進してくる。巨大熊よりもなお大きな地竜だが、間違いなく巨大熊よりも速い。

 シュウはとっさにリットと反対側へと跳ぼうとして―――


 リットがいまだ恐怖にすくんで動けていないことに気が付いた。


「チッ!」


 あわてて体当たりするようにしてリットを地竜の射線上から外す。河原のごつごつとした砂利の上をごろごろと二人一緒になって転がる。その直後に二人がいた場所を地竜が駆け抜けた。

 駆け抜けた後の地面は深くえぐられ、川の水が流れ込み新しく川ができてしまったようだった。


「おい、大丈夫か」

「は、はい……」


 短く尋ねられたリットは、青い顔で何とか頷いた。

 とても、走って逃げられるような状態ではない。


「しかたない、少し我慢しろよ」

 そういうと、シュウはリットを小脇に抱えるようにして持ち上げた。女神の加護の力もあったが、単純にリットが軽い、そう感じた。

 地竜がこちらを振り向いたのはちょうど同じ時だった。


「GYAAAAA!」


 再びの突撃。

 大型トラックが真正面から向かってくるような恐怖感だ。

 それを走って躱そうとしたシュウだったが、慌ててリットを抱えていない方の手にセイジョを喚び出す。

 何かが見えたわけではない。だが間違いなく何かがこちらに飛んでくる、そう直感のようなものがささやいていた。

 地竜の突撃してくる射線から逃げつつも、視界の外から飛来してくるその何かを勘を頼りに刀ではじく。


「なんだこれは!?」


 手にじんとした重み。

 地竜の突進を避けた後で見てみれば、それは弾かれた衝撃で地面に突き刺さっており、土でできた槍のように見えた。


「地竜は、魔法が使えます……。第一階梯のロックニードル、です」


 リットが息も絶え絶えといった様子で教えてくれる。一度どこかで休ませないとまずそうな様子だった。


「これが、地竜の魔法か!」


 地竜の突進は直線的で、射線は予測しやすい。反面速度が速く、あっという間に迫ってくる威圧感に足がすくみそうになる。魔法はと言えば、的確に死角を狙ってくるものの必ず死角からくることを理解していれば躱すのは容易だった。

 それでもなお地竜の突進はとてつもない破壊力で、使ってくるロックニードルも当たれば簡単に人体に風穴を開けるだろう。何度も襲い来る死の予感を紙一重でシュウは躱していく。


「くそっ!」


 気が付けばあたり一面が荒地になっていた。

 木々はなぎ倒され、あんなに綺麗だった川も踏み荒らされ濁っている。


「もう、下ろしてください」


 押し黙ったままだったリットがつぶやく。


「シュウさん、わかっているんでしょう。あれが狙っているのは……私です。私を置いていけば、おそらくは―――」

「黙ってろっ」


 叫びながら、突進を躱す。

 躱しながら、セイジョを渾身の力で地竜の体に叩きつけるが、石にでもあたったかのような音を立てて跳ね返されてしまった。

 全く、傷一つすらもつけられなかった事実に、一瞬頭の中が真っ白になる。


「くそっくそっくそっ!」


 悪態で右手に広がる痛みをごまかしながら、シュウはリットを抱えたまま森へと飛び込んだ。戦うとしてもリットを抱えたままでは地竜と戦うのは難しい。どこかにリットを隠しておきたい。

 同時に、地竜の突進の前では木々など障害物にもならないだろう、それでもせめて目隠しになればいい。そう思っての逃走だった。


 いや、なによりもあんな恐ろしい化け物と一秒でも向かい合っていたくない。


 女神の加護の力を受けて出せるようになった力、すべてを出し切るつもりで森を駆け抜ける。

 背後の木々の向こうから、怒りを含んだ叫び声が上がる。

 同時に木々がへし折られる悲鳴のような音が聞こえるが、こちらへ追いつかれることはなかった。足場の悪い森の中を駆ける。地竜は期待通りこちらを見失ったのか、破壊音は次第に遠のいていった。

 静かになるのと反比例するかのように、頭の中の冷静な部分が戻ってくる。体のあちこちが上げる肉体的な悲鳴も無視できなくなりつつあった。

 大きく息を吸ってから、足を止める。


「……ここまで来れば、少しは大丈夫か」


 そういって、リットを降ろして近くにあった木の根元に背中を預けさせる。


「立てるか?」

「な、何とか……」


 未だに青い顔をしているリットに尋ねると、よろよろとしながらもどうにか立ち上がった。


「このまま街まで逃げられるか?」

「無理だと思います」


 きっぱりと否定するリット。


「なんとなくですけど、あいつには私のいる場所がわかっているんです。……ほら、聞こえるでしょう」


 そういわれてみれば、木がなぎ倒される音がさっきよりも近くなっている。


「なんであいつ、そんなにリットのことを執拗に狙うんだ。前に会ったことでもあるのか?」

「いえ、ですが……」

「心当たりがあるんだな?」


 シュウがそういうと、リットは大きくため息をついて話し始めた。


「あれは、魔物です。魔物は魔力を体内に宿した人間以外の生物で、魔王が生み出した存在の事です。自身で繁殖することはなく、魔王の魔力から生まれると言われています」

「魔物……魔物ってもう絶滅したんじゃなかったのかよ」

「最後に確認されたのはもう5年以上前です。地竜はもっと前、10年前に勇者様たちが魔王と直接対決をした時以降姿を見たものはいません」

「そいつがなんで今更、しかもこんな街の近くに」


 その問いにリットは肩をすくめて首を振った。


「わかりません」

「……もしかして、魔王が復活するっていう女神の託宣と何か関係があるのか?」

「っ!?」


 シュウの言葉にリットが息を詰まらせる。


「もうすでに復活していて、新しく生み出されたってことも……」

「それは、ないと思いますけれど……」

「なんでだ?」

「もし復活していた場合、もっと大きな被害が出ているはずです。どこかで生き残っていたのが現れたというほうがまだ現実味がありますよ」

「そういうものか……」

「ですが、もし本当に魔王が再び現れたのなら今度こそもうこの国は終わりかもしれません。今回は勇者様はいないんですから……」


 リットが暗い顔をして続ける。


「しかも、当時の魔王によって生み出された魔物には大なり小なり共通する習性がありました」

「習性?」

「執着、と言ってもいいかもしれません。魔物は神に仕える巫女や神官を異常なまでに目の敵にしていたんです」

「な!? なんで、そんな」


 とんでもない習性に驚くシュウ。


「それもわかりません。研究家の間ではたびたび議論になりますが、事実として山一つ向こうの街に逃げ込んだ神官を追って襲撃されたという記録があります」

「……一度目をつけられたら逃げきれない、っていうことか」

「はい。実際に見てみて確信しました。あれは、恐ろしいほどの憎しみです。でも、私個人ではなく神官と言う存在そのものに向いていたような……そんな気がするんです」


 そう話すリットの体が、小刻みに震えている。

 怖いだろう。

 リットはよく理解していた。魔物に出会ってしまった巫女が、どのような末路をたどるのかを。

 それでも、あの時この少女は言ったのだ。


『もう、下ろしてください』


―――と。

 下ろされた自分がどんな目に合うかを理解していながら。

 セイジョを握る右手に力がこもる。

 あの時、リットに『黙ってろ』と返した時。まだ自分なら、このギフトでなら地竜なんてあっさり倒して見せることができるんじゃないか、そんな傲慢なことを一瞬考えていたのだ。

 リットや女神セレナの前では、勇者として魔王を倒すことなんでできるわけない。そう思っていながらも、心のどこかで一人で戦えるんじゃないか、勇者として認めてもらえるんじゃないか。そう考えていたのかもしれない。

 子供じみた妄想だった。

 勝てない。

 あんなものに勝てるはずがない。


―――だったらどうする?


 頭の中の冷静な部分が問いかけてくる。

 背中を着に預けたままのリットを見る。

 顔色はやはり悪い。真っ白を通り越して土気色に見えた。肩もいまだに震えている。最後に目を見て、シュウははっきりと理解した。


「……お前、死ぬつもりなのか」


 目は力なく鈍く光っており、牢屋を出て勇者を探すと言っていた時の力強さは全くといいほど感じなかった。

 だから直感した。

 逃げるつもりはない。死ぬ気だ、と。


「……仕方ないじゃないですか。あれから逃げることなんて、できないんですから」

「どこかの街に逃げ込んで、助けを求めれば」

「無理ですよ。対魔物用の装備なんて、この10年の間に埃を被りまくって、使えるものなんて残ってません。万が一使える装備があったとしても、当時一線で活躍してた人たちも今はほとんどが現役を去っています。わかりましたか? 街に逃げ込んでもみんな仲良く死ぬだけなんですよ……」


 絶望に満ちた声に、シュウはただ沈黙するしかなかった。


「そんなつらそうな顔しないでくださいよ……これから死ぬのは私の方なんですよ? それよりも、お願いがあります」


 少しから元気のような声を出してリットが言ってくる。


「お願い?」

「ここに地竜がいることをできる限り大勢の人に知らせてください。そして近隣の街の住人を避難させて、代わりに地竜を倒すための軍を動かすように領主に訴えてほしいんです」

「お前、どうしてそこまで……」


 シュウには理解できなかった。自分の命がなくなろうとしているのに、目の前の少女は他人の心配ばかりしている。


「シュウさん」


 尋ねられたリットは、なぜかふっと柔らかな笑みを浮かべた。


「私は、この国が好きなんです。この国に住む人も、街も。だから地竜に蹂躙されるところなんて見たくありません。それに、どうしてでしょうね。まだ会ったばかりのはずなのに、あなたにも死んでほしくない、生きていてほしいんです」


 そう言ったリットの頬がわずかに赤くなっている。

 何を言っているんだろうこいつは、と一瞬思ったシュウだったが、魔王の復活を阻止するために一人で勇者探しの旅に出るような人物だった。それほどまでにこの国を愛しているというのか。


「だから、早く行ってください。私を置いて、早く逃げるんです!」


 最後の声は、精いっぱい力強く言ったつもりなのだろう。だが、その声はやはり震えていた。


―――こいつを置いて逃げれば、生き延びられる


 また、頭の中の冷静な部分がそう告げた気がした。


「うるさい」

「シュウさん?」


 頭の中によぎった考えを、リットの言葉ごと否定する。


「そんな提案は却下だ」


 まだ、何ができるかなんてわからなかったが、その提案は選ぶつもりはなかった。


「な!?」

「あんなトカゲもどき程度に負けてられっか。なんか方法を考えるぞ」

「ばっ、バカなんじゃないですか!? いえ、最初に牢屋で会ったときからバカだとは思ってましたけど」


 そういうリットの顔には自分の提案を蹴られたことへの怒りが現れている。


「あの地竜の一番の強みはパワーでもスピードでもさっきの地魔法でもないんです。一番の強みはディフェンス、防御力です。それはさっき斬りつけたあなたが一番よくわかっているはずでしょう?」

「だから、あれを斬れるような武器があればいいんだろ」


 自分の口から出てきた言葉に自分でハッとする。

 どんなものを喚べばいいか分かりさえすれば、確実に呼ぶことはできる。だがそれは、あの地竜ともう一度正面から戦うことを意味していた。

 つい先ほどの、真正面から迫ってくる地竜の恐ろしい姿を思い出す。

 思わず足が震えた。

 でも、目の前の少女を置いて行って、死なせてしまうよりもいい気がした。


「もしかして、刀剣召喚ですか? 確かに召喚できれば勝ち目はあるかもしれませんが……。わかっているんですか? 地竜の表皮は魔法によって硬度が上げられていて、突破するにはそれこそ幻想級の魔剣が必要になるんですよ。そんなもの、喚べるんですか?」


 最後の問いは、わずかに期待に瞳を揺らしながら絞り出された。


「俺の刀剣召喚は、現実に存在した剣なら剣についての細かい情報があればそれを喚び出せる。例えば剣の形状や名前、逸話なんかでもいい。できるだけ細かい情報が必要なんだ」

「逸話……ですか。地竜殺しの伝説は有名なのを一つ知っていますが……」

「どんな伝説だ?」

「ほとんど眉唾ものですよ?」

「実際に喚んでみればわかることだ」


 シュウの刀剣召喚は実際に存在したものであれば何でも喚びだせるものだ。それはつまり実在しないものは呼び出せないということである。


「……」

「どうした?」


 急に黙り込んでしまったリット。その顔には何かを懊悩する感情が見て取れた。


「その剣を召喚できたとして……勝てるんですか?」


 上目づかいに問いかけてくる。

 その言葉にシュウははっとさせられた。

 リットもまた、シュウを心配していたのだ。

 ここでシュウに話せば剣を召喚し、シュウは戦うだろう。それはとりもなおさず勝ち目の薄い戦いにシュウを戦いに向かわせるということだ。リットは自分の話す内容によって、シュウが死ぬかもしれないことを危ぶんでいるのだ。


「……心配すんな」


 それを理解して、シュウはますますこの少女を見殺しにはできないと思ってしまった。


「必ず勝つ。だから、教えてくれ」

「……約束、ですよ?」

「わかったよ」


 シュウはそういって、リットを安心させるようにぽん、と手のひらを乗せる。


「こ、子ども扱いしないでくださいっ!」

「ははは」


 シュウの手を振り払って叫ぶリットにシュウは声を上げて笑う。

 もう、地竜に怯えて動けなくなっていたリットはいなかった。

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