第8話 襲撃


 森をもう少し進んだところで、足もとの邪魔になっていた背の高い草はほとんどなくなった。頭上を遮る木の葉は逆に密度を増し、昼間だというのにさらに薄暗くなっていく。


「さて、こんなもんかな」


 結果から言って、薬草は思ったよりも早く集められた。

 二人の籠の中には10株ずつピルペ草が入っている。依頼達成報酬と合わせればぎりぎり二人宿に泊まれるだろうか。


「……微妙なところだな。リット」

「どうしましたか?」

「この辺でもうちょっと高く買い取ってもらえそうな薬草、見つけられないか?」

「それでしたら……」


 シュウがそう問いかけると、ためらいがちにリットは森の奥を指さす。


「水音がします。多分もう少し先に川があるんだと思います。水辺を探せば《シャクジン草》が見つかるかもしれません」

「それは高価なのか?」

「ギルドの資料が正しければ、花の部分が一輪1万ユエルで買い取ってもらえるはずです」

「い、1万!?」


 それだけあれば明日の昼ご飯くらいまで持たせられる。

 だが―――


「川か……」


 ギルドで集めた情報の中には川に関するものもあった。


「何かあるんですか」

「いや、この森真ん中を川が南北に流れてるんだけど、そこがちょうど森の真ん中らしい。そこから先にはほとんど誰も行かないんだと」

「……そこから先は奥地っていうわけですね」

「そういうこと」


 奥まで行けば熊のような危険な生物に会うかもしれない。

 とはいえ、金が手に入るチャンスだ。


「行ってみるか。何か変なのを見つけたらすぐ逃げるからな」

「あれ? ギフトで戦ったりとかできないんですか」


 リットが挙手をして尋ねてくる。


「まだこのギフトで戦ったことないんだよ」


 その手にはさっき召喚した鎌はない。足もとが歩きやすくなって、もう送り返したからだ。


「ではもし熊が出てきたときには私に任せてください。殴り殺して見せましょう」


 シュッシュッ、とシャドーしながらリット。


「まぁそん時は頼む」


 そういって歩き出す。

 しかし本当に任せるつもりまではない。少しの異変も聞き漏らすまいと、慎重に歩を進める。

 歩くにつれて、水音はだんだんと大きくなった。同時に空気もひんやりし始め、温度が下がっているようだ。

 やがて目の前に現れたのはとても澄んだ川だった。

 あたりを確認してみるが、特別危険はなさそうに見える。シュウはそっと川に手を入れてみた。


「つめたっ!?」


 驚いて手を引いてしまうほど、川の水は冷たい。


「シュウさん、見てください! 魚もいますよ! 捕まえられないでしょうか……じゅるり」

「そのよだれを拭け。釣り竿でも借りてくればよかったかもな……」


 頼めばギルドから借りられたかもしれない。次来るときは確認しようと決めるシュウだった。


「おい、水は飲むなよ? 腹を壊すぞ」


 すくった水に今にも口をつけようとしていたリットを止める。


「駄目ですか?」

「何が混ざってるかわからないからな」

「こんなに綺麗なのに……」


 しぶしぶと手にすくった水を流したリットだったが、喉が渇いているのはシュウも同じだった。早く街に戻りたい。


「なぁ、シャクジン草っていうのはどういう場所に生えてるんだ?」

「図鑑だと、水の流れの緩やかなところに根を張って、水中から突き出ているそうですよ。ただ、今の時期だと花が咲いているかどうかはギリギリのタイミングだと思います」


 ひとつ頷きを返すと、シュウも探し始める。

 河原は石がごろごろしており、歩きにくい。しかもシュウが今はいている靴は、こっちの世界に来て衛士のおさがりをもらったものだ。金に余裕が出来たらすぐにでも買い換えようと心に決める。

 一通り川のこちら側を探してみた二人だったが、収穫はなかった。それらしき草はあったものの、花はついていなかったのだ。


「ありませんね……」

「あと探してないのは、向こう側か」


 まだ探してないのは川の向こう側だった。川は歩いて渡れないほど深くも広くもないが、水は冷たい。もう少し上流と下流を探してみる手はあるが、と悩んでいた時だった。

 シュウの眼があるものをとらえる。

 それは最初、黒い大きな岩かと思った。

 シュウの身長は優に超す大きさ―――2メートルはある。


「ん?」


 黒いと思ったのは毛皮―――そう気づいたとき真っ黒な眼とがっちりとシュウの眼がかち合った。


「GYIIAAAOOOOUUU!」


 大きな咆哮を上げて、そいつ―――熊が立ち上がる。

 立ち上がるとその大きさはさらに増える。しかもそれだけではない。腕が4本ある。


「おいおい、あれが熊かよ!」

「そうですよ」

「いや、腕が4本あるように見えるんだが」

「そうですよ? 4本あるのは普通じゃないですか」


 4本腕があるのが普通なのか。よく考えれば異世界だった。

 そう納得しながらも、シュウは背中の籠を降ろし手にセイジョを呼び出す。隣のリットも同様に籠を降ろし、戦う気満々の様だ。


「GYIOOOOOOOOOO!」


 再びの咆哮。

 同時に、熊が川の水を蹴立てながらこちらへと突っ込んできた。

 その速度は車と同じくらいのもので、近づくにつれて小山のような体躯と自分の差がはっきりとわかり始める。

 しかし、シュウはそれを前にしても不思議と恐怖は感じなかった。それは手に握っているセイジョのせいだろうか、それとも女神の加護のせいか。

 むしろ目の前の熊の方がよほど何かに怯えているように見えた。


「よけろ、リット!」

「っ!」


 大きな破砕音を響かせながら、巨大熊の腕が空を切り、地面を割り裂く。


「GYUUUUUUUUAAAAAA!」

「くっ!」


 地面に突き刺さった腕を引き抜き、シュウへと向かってきた腕をセイジョで受け止める。体を覆う黒い毛は針金のように太く硬い。受け止めたセイジョが悲鳴を上げる。


「はぁっ!」


 だがシュウが攻撃を受け止める向こうでは、リットが巨大熊の隙をついてがら空きになった脇腹にミドルキックを叩きこんでいた。

 小山のような巨体がわずかに傾ぐ。

 怒りに満ちた視線がぐるりとリットへ向き、一瞬だが確かにリットが身をすくませた。

 だが身をすくませたリットは体にのしかかる巨大熊の重圧がすぐになくなったことに気が付く。それと同時に巨大熊は大きな音を立てて倒れ伏し、その後ろに剣から血糊を払うシュウの姿を見た。視線がリットに向いた隙を狙って、反対側のわきの下から心臓を突いたのだ。


「……なんとかなったな」


 何でもない風に言いながらも、内心では手が震える思いだった。

 巨大熊に殺されるかもしれない、という恐怖ではない。生き物を殺す、という罪悪感からだ。しかも一歩間違えればリットを死なせてしまっていたかもしれない。

 やっぱり自分には勇者は務まらない。

 改めてそう考えたシュウだった。


「リット、そっちは無事か?」

「は、はい……」


 リットに視線を向けると、彼女は地面にぺたんと座り込んでいた。


「……お前、もしかして本気で殺されかけたの初めてだったのか?」


 川に来る前の威勢のいいリットの言葉を思い出す。


「うっ、でも、本では読んで知っていたんですよ。それに熊を素手で倒した知り合いの話も聞いていたので、ですが……」

「実物を見るのは初めてだったか」

「……はい」

「あたまでっかちなお嬢さんだな」

「こ、子ども扱いしないでくださいっ!」


 顔を真っ赤にして喚き散らすリット。

 どこからどう見てもその姿は子供そのものだ。


「あ、あれ? シュウさん。それ……」


 リットがシュウの頬を指さす。触ってみると、ぬるりとした感触とともにべっとりとした血が指についていた。


「ああ、さっき熊の爪がかすったみたいだな」


 そう認識すると、今さらのようにじんじんとした痛みが広がっていく。

 どうやらシュウ自身も、思っていた以上に今の戦闘で興奮していたらしい。


「かすり傷だし、そのうち治るだろ」

「だ、ダメです。ばい菌が入ったらどうするんですか。こっちへ来てください」


 リットの強い口調に、シュウは仕方なく熊の死骸を回り込んで指示通りに傍へと腰を下ろす。


「少しの間動かないでくださいね」


 そういうなり、リットがシュウの頬に手を翳す。


「女神セレナよ、汝の子を癒したまえ」


 するとそこから暖かな光が溢れ出す。光はみるみるうちに傷口を覆い、同時に痛みはなくなっていた。優しく血をぬぐってみれば、すでに傷はなくなっていた。


「これは……」


 驚きに目を見張ると、目の前のリットがにっこりと笑う。


「私、これでも神官見習いなんですよ? 神聖魔法くらい使えます」

「これが、魔法……」


 確かに女神からこの世界には魔法があると言われていたが、実物を見るのは初めてだ。


「魔法、見たことなかったですか?」

「ああ。初めて見た。他にも何か使えるのか?」

「……まだ見習いなので、使えるのは第一階梯の《ヒール》と《リカバリー》くらいですね」


 ほんの少し置かれた間に、わずかばかりの違和感を覚えたがそれよりも好奇心が勝った。魔法について聞いてみる。

 簡単に聞いてみたところによると、この世界の魔法はいくつかの属性があり、それぞれの属性に階梯というレベルがあって、レベル帯ごとに覚えられる魔法があるらしい。


「ヒールは今見せたように傷を治します。生死にかかわるような傷だと治せませんが。リカバリーは毒や麻痺と言った状態異常を治す魔法ですね」

「便利だな。薬草とかいらないんじゃないか?」

「いいえ、使える回数にも限りがありますし。すぐに効果が出る薬は高価ですから」

「そういうもんか」


 だからこうして薬の需要もあるというわけだ。


「少しは私のことを見直しましたか? 見直したら子供扱いしたことを反省して下さい」


 どうやらリットの調子も戻ってきたようだ。


「……いいからさっさと帰るぞ。シャクジン草は見つからないし。他の野生生物だってどんな危険なのがいるか」

「あ、待って下さい。せっかくですからこの熊を持って帰りませんか」

「持って帰るって、こいつ食えるのか?」


 明らかにシュウの知っている熊とは違う姿に、食料として見れていなかったのだが、リットは目を輝かせて言う。


「当然です! 春の幸を食べてとてもおいしいですからね!」


 そこまで言うなら持って帰りたいものだ。


「だけど、どうやって持って帰る? 籠の中には依頼品の薬草が入ってるから、このまま直接入れたら血が付くだろ」

「でしたら、あの辺の葉っぱにくるんで持って帰れる分だけ持って帰るのはどうでしょう」


 そういってリットが指さしたのは、かなり大きな葉っぱだった。


「シュウさん、解体できるナイフか何か喚び出せませんか? 解体してせめて特にいい部分だけでも持って帰りましょうよ」


 リットの言葉にも一理ある。

 シュウは早速刀剣召喚で検索をかけてみる。解体用のナイフで、しかも素人をサポートしてくれるような機能付き―――1本だけ該当した。


「よし、じゃあリットは葉っぱをかき集めてくれ。その間に俺は内臓を取り出して血抜きしておく」

「了解しました!」


 威勢よく返事をすると、リットは葉っぱを取りに駆け出した。よっぽど熊肉が楽しみらしい。


「さて、と」


 シュウは手に解体用のナイフを喚びだす。これも草刈り鎌と同じで、銘はないが解体をサポートしてくれる特殊な魔法がかかっている。どういう解体をしたいかを思い浮かべれば、方法が頭の中に浮かんでくるのだ。しかも手先の動きまでサポートしてくれる。


「ふぅ、終わった」


 目の前には内臓を取り除いた熊の死骸がある。ほとんど手が勝手にやってくれたような感覚だった。ナイフを送り返して一息つく。あとはとりあえず川の水に浸けて血抜きをしておくつもりだった。


「シュウさん……」


 熊の重たい体を引きずってどうにか川に入れたところだった。

 振り向くと、手にたくさんの葉っぱを持ったリットがいる。さすがに集め過ぎだろう、と言おうとしてその表情が硬いことに気が付く。


「どうした、リット?」

「……何か、変じゃありませんか」


 そういって不安げにあたりを見回すリット。

 そういわれてみれば確かにさっきまでとは何か空気が違う。


「静かだな」

「そう、ですね。さっきまで鳥の声とか虫の声とかうるさいくらいだったんですが」


 解体に専念しすぎたのだろうか。全然そんな変化に気が付かなかった。

 だがこうしてみれば明らかに空気がどことなくピリピリしているようにも感じた。


「……森を出た方がいいかもしれないな」

「賛成です、急いで―――」


 出ましょう、と言いかけたリットの言葉は途中で止まった。

 足もとからわずかな振動が駆け上がってくる。それは、振動に気が付いた二人が顔を見合わせているうちに大きくなっていった。そして巨大熊が現れたのと同じ方からそいつは現れた。

 最初目にしたとき、シュウはそれが本当の意味で岩山が移動してきたのだと思った。

 やや黄色みを帯びた肌はごつごつと固くとがっており、それがぶつかった木はことごとく押し倒されていた。それが岩山などではなく、生物なのだと理解できたのは、さっきの巨大熊と同じようにその黄金色の瞳と目が合ったからだ。

 喉が一瞬で干上がった。

 ぶわりと背中から嫌な汗が吹き出し、足が膝から崩れ落ちそうになる。


「ち、地竜……!」


 隣に立つリットが真っ青な顔でつぶやいた。

 それはまさしく絶望と出会ってしまった声だった。

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