第4話 託宣


 入ったときにちらっと見た限りでは、隣の牢も同じような造りだったはずだ。

 厚さ数センチの壁の向こう側には同じように鉄格子があるはず。ならここから声をかければ聞こえるだろう。


「おい、誰かいるのか?」

「ひっ!? だ、誰ですか」


 眠りを邪魔されたことで思ったよりもいらついていたらしい。声が少しぶっきらぼうだったかもしれない。返ってきたのは怯えたような、若い女の声だった。


「隣の牢屋のもんだよ。なんかずっと泣いてるみたいだったからな。なんか、あったのか」


 こうして牢屋に入っている以上、何もないなんてことはないとは思ったが、一応聞いてみることにした。

 今度は少し意識して怖がらせないように話してみた甲斐もあってか、壁の向こうの女はつっかえながらも答えを返してくれる。


「そ、そのうるさかったです、よね。すみません」

「いや、それはまぁいいんだけど……あんたはどうしてこんなところに?」

「え?」

「いや、眠気もさめちゃったし。暇だったら少し話し相手になってもらえればと思ってさ」

「そう、ですか。そう、ですね。よかったら少し聞いてもらえますか」


 女の暗く落ち込んだような声は少しだが明るさを増したようだった。

 壁越しに、何かが移動する気配があった。おそらく話しやすいように女も鉄格子のそばに来たのだろう。


「私、駆け出しなんですが神官をしているんです」

「神官?」

「はい、セレナ教という女神さまを信奉する宗教で「ぶほぉぅ!」どうかしましたか?」

「い、いや、続けてくれ」


 急に飛び出した知り合いの女神の名前にシュウは盛大に吹き出してしまった。あんな女神だがこの世界ではしっかりと信仰を集めているらしい。


「数日前、女神さまから託宣があったんです。〝魔王復活ノ予兆アリ、勇者送ル〟と「ぶふぉあ!」本当にどうしましたか!?」


 あんのクソ女神適当な仕事しやがって、という内心の憤りを押し隠し、


「い、いや。やっぱりなんか堅苦しい感じなんだな神様の言葉って」

「いえ、ほんとはもっと砕けた感じでした〝魔王復活するかもー勇者送るから援護しくよろー〟って」


 女子高生かなんかか……。

 もはや何の気持ちもわいてこなくなった。


「ですが、魔王討伐10周年を祝おうとしている矢先にそんな不吉な話、誰も信じてくれるわけなくて……」

「……そうか。それで不吉なことを吹聴したことで疎まれてこんな牢屋に入れられたわけだな」


 そりゃ平和な世の中で急にそんなことを言い出す奴がいたら気でも触れたか、もしくは何らかの扇動を疑うだろう。


「いえ、違います」

「は?」


 だが女はシュウの言葉をきっぱりと否定した。


「誰も信じてくれなかったので、仕方なく自分で勇者様を探すべく一人私は旅に出ました。あちこちを流れてこの街までやってきたのですが、食事をとろうと食堂に入りました。入ったのですが……」


 すらすらと話していた声が急にしおれる。


「入ってどうしたんだ?」

「お、お金を掏られてしまって……」

「あー」


 どこにでもそういうやつはいるものだ。むしろこんな異世界、しかも文明も未発達で監視カメラもないとなればスリにとって人でごった返す場所は格好の餌場だろう。


「し、しかも気が付いたのがご飯を食べてしまった後で返すわけにもいかず……」

「それで無銭飲食でここに入れられたと」

「いえ、違います」

「は?」

「食堂の主人には持っていた錫杖を渡してひとまず示談にしたのですが、周りにいた連中が私を子ども扱いしたのにイラついて喧嘩をしたところ騒乱罪とかで牢に入れられました。ほら、ちょうどあなたの向かいの牢に入れられている連中が私が相手にした奴らですよ」


 その言葉に向かいの牢を見てみる。薄暗い中目を凝らしてみると、そこには数人の男がかすかにうめき声をあげながら寝ているのが見える。

 いや、本当に寝ているのか? 

 それぞれが巻いている包帯が痛々しい。気絶してるだけなんじゃないだろうか。


「それじゃ自業自得じゃないか」

「いえ、私のことを子ども扱いした連中が悪いのです」

「だったらなんで泣いてたんだよ、あんた」

「うっ、そ、それは……」


 壁越しに聞こえてきた声は少し涙声だった。


「く、暗い場所が苦手なんですっ! 真っ暗だと眠れないんです!」


 一瞬呆然となったシュウだが、慌てて、


「い、いや。でもさっきまで普通に話してただろ」

「は、話してたおかげで気が紛れてたんですっ! 本当にありがとうございますっ!」

「逆切れ!?」


 急に興奮したような声に驚く。それからしばらくの間、壁の向こうからは荒い息が聞こえていた。


「そっ、そっちこそなんでこんなところにいるんですかっ!?」


聞こえてきたのは少しばつの悪そうな声だった。冷静になって自分の行動を思い返して恥ずかしくなったのかもしれない。

 壁の向こうの女は素直に話してくれたがシュウの方はあまり話したくはない。全裸で捕まったなどとカッコ悪過ぎる。ここは何とかしてごまかしたい。


「俺か? 俺はな―――さっき10人ばかり人を殺してきた」

「……」


 気配が一気に遠ざかった。流石に言い過ぎたか。


「おい、冗談だぞ」

「じょ、冗談ですか、そうですか。べっべつに怖かったわけじゃありませんからね?」


 微妙に震え声だったが、またこっちの壁に近寄ってきたようだ。


「とはいってもここ牢屋だし。そんなやつがいてもおかしくないんだから気を付けろよ」

「ご忠告には感謝します。ですが怖かったわけじゃありませんから」

「あっそ」


 そこで会話が途切れる。


「それで」

「で?」

「結局どうしてここに入れられたんですか?」


 ごまかせなかったか。

 できれば言いたくなかったが、ここで話を途切れさせるのももったいなく感じる。シュウはまだ自分がこの世界に呼ばれた理由が生きているのかもわからなかったし、この世界で生きていくためにも情報は必要だ。


「わいせつ物陳列罪」

「はい?」

「外で全裸になってたら捕まった」

「……今度は本当なんですよね?」

「追いはぎにあったみたいで気が付いたら全裸だったんだよ。しかも殴られたのか目が覚める前のこともよく思い出せないし」


 仕方なく衛士の時と同じ設定を話す。


「そうですか……ということはまさかまだ全裸?」

「いや、衛士の人が気を利かせて古着をくれたけど―――って想像したな!? 隣の部屋で全裸でいる男を想像しただろう、変態!」

「んなぁっ!? ち、違います! 不幸な目にあったかわいそうなあなたに女神さまのご加護があらんことを、とお祈りして差し上げようと思ったんですっ。本当に変態じゃありませんから」

「無銭飲食と喧嘩で捕まった神官のくせに」

「無銭飲食の方は示談になってます!」


 こんな神官がいるセレナ教にご加護なんてあるのだろうか。いや、自分自身も女神の加護があるのだった。

 あの時会話した、おさげでおどおどした野暮ったい感じの女神が思い起こされる。


「……なぁ」

「……なんですか?」


 聞こえてきたのは少しの怒りを含んだ声だった。からかわれた熱がまだ冷めないらしい。本当に神官なのだろうか。そんな疑問が頭をよぎるが、今はもっと重要なことがある。


「本当に魔王はいるのか?」


 壁の向こうの気配が、むっとするのを感じる。


「……少なくとも私は確かに聞きました。女神さまは魔王が復活する、そう仰せられました」


 その声はどこかむすっとしたもので、不服に思っているのが丸わかりなものだった。きっとこれまでも同じように聞かれて、何度も笑われてきたのだろう。


「そうか……やっぱりいるのか」


 女神の必死な説得の様子を思い出す。

 まぁ、魔王をわざわざ探して戦う気などさらさらなかったが。

 実際に使ってみて思ったが、このギフトではもし本当に魔王がいたとしても勝てるとは思えない。

 そんなことよりも明日の寝床とご飯が心配だった。

 このギフトで稼げるのだろうか。


「……信じてくれるのですか?」


 これからのことを考えて思考に耽っていたシュウは、壁の向こうから聞こえてきた声がわずかに震えていたこと気づかなかった。


「ああ、信じるよ」


 ただ反射的にそう返す。

 あんな間抜けな女神だったが、これだけ敬虔な信徒を持ててると知ったら泣いて喜ぶことだろう。


「あなた、変な人ですね。誰もこんな与太話信じてくれなかったのに……」


 わずかな沈黙の後、つぶやかれたその声にはもう不機嫌さはなく、ただ純粋な驚きがあった。


「まぁ俺も変な人だって自覚はある」

「露出狂の変態ですもんね」

「あれは俺の意志じゃねぇ!」


 壁の向こうからくすくすと笑う声が聞こえる。

 もう、最初さめざめと泣いていた女の雰囲気はない。

 そんなことを考えながら、シュウは眠りに落ちるまで壁の向こうの女とたわいもない話題を続けるのだった。

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