第2話 転移


「あの~ま、まだでしょうか~?」


 ページをめくるシュウにセレナが急かすように話しかけてくる。

 ギフトを選び始めてからどれだけの時間がたっただろうか。体感では数時間くらいな気もするし、もしかしたら数分かもしれない。何しろここは相変わらず真っ白な空間で、景色的な時間の変化が全くない。唯一必死でギフトを一つ一つ確認しているシュウの脇で徐々に焦っていくセレナの姿だけが、時間の経過を知らせていた。


「はぁ……」


 とはいえさすがにシュウも疲れ始めていた。

 ここまで見てきたギフトは、どれも魔法を使えるようになるもの、伝説の武具、魔龍を召喚など多岐にわたったが、どのギフトも極め付きに強力に見えた。


「なぁ、こんだけすごい力を授けられるんならあんたが行って倒して来ればいいんじゃないのか?」

「できるならそうしたいところなのですが、神は世界に対して干渉できることが限られているんですよ。だからこうして何人もかの世界へ勇者を送り込んでいるわけでして」

「……ちょっと待て、あの世界に送り込まれてる異世界人って何人もいるのか?」

「あ、はいいますよ。累計で軽く100は超えるかと」

「100!?」

「まぁ、あっちの世界では勇者を送り始めてから数100年以上たっているので、今も魔王と戦っている勇者は数人しかいませんけど」

「……そいつら全員、こうやってチートギフトをもらっていったんだよな?」

「? そうですよ」


 この本に書かれているギフトはどれもとんでもない強力なものだ。

 それを100人もの人間がそれぞれ授かって、それでもなお倒せない魔王ってどんだけの強さなんだよ。


「あの、さすがにそろそろ決めてもらえませんか……? 時間がかなり押してしまってるので……」


 上目遣いにこちらを見てくるセレナは、本当に焦っているようだった。思っていたよりも時間がたっているのかもしれない。


「……」


 シュウは分厚い表紙を一度閉じると、本の小口に指を這わせる。

 もう面倒くさい。

 大体100人からなるチートギフト持ち達が束になってかなわない敵に、どうして一般人でしかない自分が勝てるというのか。

 魔王を倒すのもやめだ、適当なチートギフトをもらってあとは向こうの世界でスローライフとしゃれこむことにしよう。


「おっぱいはもったいないけどな……」

「何か言いました?」


 未練たらたらに適当なページを一気に開く。

 視線に真っ先に入ってきたギフトは―――


「刀剣召喚……?」


 どうやら実在した剣を召喚するギフトらしい。

 召喚に関しては細かい条件があるようだったが、シュウはそこから先を読むのはやめた。男子として剣に興味はあったし、これ以上細かい文字を見ていたくないということもあった。


「もうそれでいいのですね? やけに地味なギフトですが……」

「もうこれでいいよ」

「そうですか。ではそれにプラスしてギフト『女神の加護』を授けましょう」


 早口にそういうと、セレナは両手を大きく広げた。どこからともなくシュウの頭の上に七色の光が降り注ぐ。どうやらこれでギフトを授かったらしい。


「はぁ、だいぶ時間がかかってしまいました……向こうと時間がずれているとはいえこれでは……」


 口をとがらせてぶつぶつと言うセレナ。


「まぁ、きっと何とかなるでしょう。ではかの世界への扉を開きましょう」


 真っ白な手のひらを天にかざすと、そこに虹色の見たこともない文字で描かれた複雑な図形が浮かびあかった。図形の中心が立体的に浮かび上がり、高く伸びていく。それはまるで、虹色の文字でできたトンネルの様だった。


「さぁ、お行きなさい。どうか、魔王を倒してください」


 その言葉とともに体がふわりと浮き上がる。

 こちらを見上げているセレナの姿がだんだんと遠のいていく。

 はじめは一面真っ白だった空間は、次第に黒くなっていき、しまいにはシュウの周りに浮かぶ虹色のトンネルだけが浮かび上がっているようになった。

 自分の意識がどんどん薄れていくのを感じる。それと同時に体も足先からぼろぼろと解けるように消えていくのが見えた。

だが、なぜか恐怖はない。

 願わくば、異世界でスローライフでも送れればいいな。

 そんなのんきなことを考えていた。




   ◆◆◆


 漆黒の闇の中、大きな音を立てながら七色の閃光が降り注ぎ。

 夜空に大輪の花を咲かせた。


「な、なんだ? 花火か?」


 顔を上げてすぐに目に入ってきたのは、夜空にいくつも打ち上げられた無数の花火だった。


「……ここは……本当に異世界なのか?」


 あたりは薄暗い。どうやら細い路地の様だった。石造りの地面と家に挟まれた狭い場所。普段慣れ親しんだ日本の建築方式とは違う雰囲気だが、外国に行けばこんなところはどこにでもありそうだ。

 そんなことをぼんやりとした頭で考えていたシュウだったが、路地の切れ目から歓声が聞こえてそちらに視線を向ける。

 向こうからは無数の人の気配がした。おそらく大きな通りなのだろう。


「行ってみるか」


 頭がまだぼんやりしてうまく考えがまとまらなかった。

 神様に呼ばれて。

 魔王を倒してほしいと言われて。

 カタログみたいな本からチートギフトをもらって。

 魔王を倒せば、神様のおっぱいが揉める、と。


「……少し頭はっきりしてきたかな」


 まぁ、チート持ち連中が束になってかなわなかった相手に自分が敵うとはとても思えない。この世界でどうするかは情報を集めてからでもいいだろう。

 元の世界に特別戻りたい理由もない。

 神様のおっぱいの方はかなり惹かれるが……。


「さて、俺の異世界ライフはこれからだぜ……!」


 シュウは明るい大通りへ向かって、異世界ライフの第一歩を踏み出し―――


「いやああああああ! 変質者よ!」


 という甲高い悲鳴に包まれた。

 続けてさざ波をうつように広がっていく悲鳴と動揺の気配。

 一泊遅れてそれが日本語として自分が理解できていることに思い至る。言葉の意味を理解したのはそれよりも後だ。

 変質者だと? ゆるせん。

 昔満員電車で局部を女性に向けてモロ出ししていた場面に出会ったことがあるが、あれは気持ち悪いを通り越して恐怖と怒りを覚えたものだ。

 神様からもらったギフトでそいつをぶんなぐってやろう。

 そう考えたシュウはいざその変質者を見つけようとあたりを見回して気が付いた。

 周囲の恐れを帯びた無数の眼が、こちらを見ている。

 すべての視線はシュウへと注がれていたのだ。

 いや、もっとはっきりと言えば、シュウの股間にぶら下がったモノに対してだ。


「はっ!? はああああああ!?」


 シュウは今さらながら自分が何も着ていないことに気が付いた。

 全裸。

 まさしく全裸であった。

 焦る頭でなぜこうなったのかを考える。神様とやらと話していたときはまだちゃんと服を着ていた。ということはつまり転移時に服がなくなったわけで―――


「あんのクソ神ィ! 人をターミ○ーター方式で転移させやがったなぁああああああ!?」


 全裸で路地裏に異世界転移させられる勇者なんて聞いたことがない。

 衆人環視の中、絶叫したシュウの肩にぽん、と分厚い手のひらが置かれる。


「祭りの熱に浮かされるのは仕方ないが全裸はいかんなぁ全裸は。悪いがちょっと来てもらえるかなぁ?」


 振り向けばそこには腰に剣を下げた、男がいた。軍服のような服は内側にある筋肉によって膨れ上がり屈強なイメージを植え付ける。身長も頭二つ分は違った。

 しかし気安い声と笑顔とは裏腹にその眼は全く笑っていない。こちらを警戒するかのようだった。肩に置かれた左手とは反対の右手はいつでも腰の剣を抜けるようにしている。

 それがなぜかシュウには分かった。


「……はい」


 シュウはただ頷くことしかできなかった。


「よし、では行くぞ」


 満足そうに頷いた筋肉男の眼から警戒の色が薄れる。

 先導する筋肉男に続いてシュウは歩き出す。すると群衆の中から同じ軍服を着た男が付いてきた。こちらは目の前の男ほどではないが、それでも十分に鍛えているのがわかる。その目線から、こっちの男はまだシュウのことを警戒しているようだった。

 そこまで考えてようやくシュウはあたりを見回すだけの冷静さを取り戻した。

 今歩いているのは大通りだ。

 大勢の人々が行きかっており、軒を連ねる店からの明かりもあって昼の様に明るい。そしてそこかしこに露店も並んでおり、人々は皆笑顔だった。


「なぁ……」

「うん?」


 シュウが声をかけると、目の前を行く筋肉男が肩越しにこちらを見た。


「なんか、すごい人の数だけどここはいつもこんな感じなのか?」

「いつもってわけじゃないさ。今日は祭りだからな」

「祭り?」


 シュウがそうつぶやくように聞くと、なぜか筋肉男の眼が少し見開かれたように見えた。


「お前、祭りの酔っ払いじゃないのか? 全裸だし、さっきは何か叫んでたようだが」


 そこまで言われてようやくシュウは理解した。

 どうやら今は街をあげての祭りの最中で、自分は酔客と間違われているらしい。確かに全裸で街中で絶叫してればそう考えられるのも仕方ない。

 これが平時なら気が狂ってると思われただろうな……。


「あー……多分そんなところだ。なんかよく思い出せないけど」


 仕方なく、シュウはごまかすことにした。

 酔っぱらってふらふらしてたところを襲われて、身ぐるみはがされて、記憶が混濁してる。そういう設定で乗り切ろう。


「おいおいあんた一体どれだけ飲んだんだよ。そりゃ今年は10周年目の魔王討伐祭だからハメを外したくなる気持ちはわからないでもないが。衛士のご厄介になるほどに飲んじゃまずいぜ」


 ああ、すんません。

 そう薄く笑って頷こうとしたシュウだったが、今目の前の筋肉男が言った言葉に引っかかりを覚えて硬直する。


「い、今なんつった?」

「は? だから飲み過ぎはいかんぞって……」

「そうじゃねえ、この祭りは何の祭りだっつった!?」

「そんなことも忘れるぐらい飲んだのかあんた。いいか? この祭りはな―――」


続けられた言葉にシュウは息をのむ。


「勇者様が魔王討伐に成功されてから10周年目の平和を祝うための祭りなんだよ」


 拝啓、女神様。すでに魔王が討伐されて10年が経っているようです。

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