剣の神官と女神の剣

橘トヲル

第1話 要請


「ふぅ、またお姫様を助けてしまったぜ……」


 シュウはそうつぶやくと立ち上がって大きく伸びを一つした。

 ふと見れば窓の外は陽が落ちてしまっており、すでに真っ暗だ。窓ガラスには見慣れた自分の姿が映っている。少し伸びてきた黒い髪先をいじる。窓の中では青年が同じ動作をしていた。

 カーテンを勢いよく閉めたその時、パソコンからポンと軽快な音が聞こえてくる。

 目を向ければパソコンの画面にはシュウがさっきまでやっていたフリーブラウザゲーム「まおうくえすと」のウィンドウと、チャットアプリが並んでいる。音が鳴ったのはチャットアプリの方だ。


「やっぱりあんたか」


 口元がにやけるのを抑えてシュウがつぶやく。

 チャットを送ってきたのはSELENAだ。


『こんばんは、SYUさん。またまおうくえすと、記録更新ですね。おめでとうございます』


 SELENAと知り合ったのはまおうくえすとを通じてだった。

 面白いゲームを探してネットをふらふらしていたシュウは、たまたま見つけたこのゲームをプレイしていたのだが、ある日このゲームの開発者だというSELENAが声をかけてきたのが始まりだ。

 目線をまおうくえすとの方に戻す。

 マウスを操作してスコアボードの方に移動する。そこには一位からスコアが順番に掲示されており、その一位には『SYU』の名が刻まれている。もちろんシュウのことだ。


 ただし、二位から下も『SYU』の名前が並んでいるのだが。


 ゲームは荒廃した世界をぴょんぴょん飛び回りながら、魔王にさらわれたお姫様を助けに行くという古式ゆかしいアクションRPGだ。

 とはいえあまりにも古臭すぎてもうこのゲームをプレイしているのはシュウだけだろう。とっくに過疎化したゲームをシュウはずっとやっているのだ。一日当たりのプレイ人数がシュウ以外にいないこともザラにある。


『それにしても今回のステージ、殺意高くないか?』

『もしそう感じさせてしまったならすみません……。確かに難易度は今回高めで作りました』

『やっぱりかー』

『だって……』


 メッセージが数秒途切れる。


『もうあなたのためだけにこのゲームを作っているようなものですから』


 その言葉にシュウは頭を殴られたかのような衝撃を受けた。


「うれしいこといってくれるなー」


 口元がにやけるのを抑えることはもうできなかった。

 SELENAのことは性別もわからない。シュウは話している時の口調から、少し年上のお姉さんじゃないかと妄想していた。やさし気で長い髪の大きなおっぱいのお姉さんに違いない。

そんなとりとめもないことを考えているとまたポン、とメッセージが届いたことを知らせる。


『ところでSYUさん。あなたに頼みがあります――魔王を倒してほしいのです』

 なんだ? また新しいクエストを組み込んだのか?


 シュウは疑問に思いながらも続きを読む。


『あなたにしか頼めないのです』


 あるのはたった一文。

その言葉にひゅっ、と息をのむ。


「あなたしか、ね……」


 何しろこのゲームをプレイしているのはほとんどシュウだけだ。確かに頼めるのは自分だけだろう。


「……」


頭のどこかでやめておけ、という言葉が聞こえた気がした。きっと後悔するだけだ、そもその影は言う。

だが――—


「いいぜ、やってやろうじゃん」


頭を振って幻を追い払うと、自分を鼓舞するように無理やりな笑みを口元に浮かべて言う。

シュウは出来るだけ気軽に見えるように『いいですよ』と返事をする。

 エンターを押してメッセージを送信したシュウは、


 気が付くと何もない真っ白な空間に立っていた。


「は?」


 シュウの口から間の抜けた声が出る。

 右を見て、左を見て。

 勢いよく後ろを振り向くも、やはり何もない。


「なんなんだよ……ここは……」

「ここは、神界、です」


 目が痛くなりそうな光景を前に、呆然と呟いたシュウだったが唐突に後ろから声をかけられる。

 はっとして振り向くと、黒髪をおさげにした女の子がいた。黒縁の眼鏡をかけており、その向こうからおどおどとした大きな黒目がシュウに向けられていた。どこかの学校の制服のような、ブレザーを着ている。そして何よりブレザーを押し上げる大きな胸に目が引き寄せられた。


「こ、こんにちは、シュウさん。こ、こうして会うのは、は、初めてですね」


 か細いとぎれとぎれの、しかし美しい声だった。


「あんたは……?」

「私は、セレナ、です」


 女の子が名前を言うと、シュウは目を見張る。

「セレナ!? もしかしてあのSELENAなのか!?」

「そ、そうです。急にこ、こんなところへ連れてきてしまってすみません……」


 今までチャットでだけ話していたSELENAが目の前に現れたことで驚く。胸と髪の長さ以外は何もかも想像とは違ったが、かなりの美人だ。


「そうか、あんたがセレナか。なんていうか、想像していたのとは違う感じだな」

「すっすみませんすみません!」


 そういって激しく頭を下げるセレナ。それと同時に大きく自己主張している胸も弾む。

 うむ、大きいことはいいことだ―――。


「で? ここが神界、だって?」

「は、はいそうです。訳あって、あなたをここにお呼びさせてもらいました」


 そこでセレナは一つ大きく深呼吸をする。すると大きく胸も揺れる。


「あなたにはこれから異世界に行って、魔王を倒していただきます」

「はい? 魔王?」


 一息に紡がれた言葉は力強くはっきりしており、まるで練習していたかのように感じた。だがその言葉にシュウは一瞬間の抜けた言葉を返すことができず、次いでようやく自分がセレナに何を言われてこうなったのかを思い出してはっとする。


「これからあなたが行く世界は、魔王の侵攻によって人間の国が滅びかかっているのです。あなたにはかの国を救う勇者として異世界転移していただきます!」

「いや、そういうのいいんで。家に帰してください」

「……」

 シュウは目の前で手を振りながらさらっという。

 一瞬、目を点にして硬直したセレナだったが、数秒の空白を置いて意識が戻ってきた。


「え? えっと、あの、その~どうにか魔王を倒していただくわけにはーいかないのでしょうかー?」


 そして再び上目遣いにそういってくる。

 しかしシュウの答えは決まっていた。


「いや、そういうの興味ないし。間に合ってるんで」

「そんなぁ、訪問販売を断るときみたいに言わないでくださいぃ……」


 目にうっすらを涙をためながらセレナが声を震わせる。


「だ、第一あなた、あんなに毎日毎日クソゲーをして魔王を殺しまくってきたじゃないですか! 魔王を殺すのが大好きなんじゃないんですか!?」

「んなわけねーだろ! つか開発者が自分のゲームをクソゲーとかいうな!」

「うぅぅ……」


 シュウが怒鳴るように言うと、女はついに唸るように泣き崩れてしまった。

どうやら自分が頼まれた魔王を倒してくださいというのは、ゲームの話ではなかったらしい、とようやくシュウも理解できた。理解はできたのだが―――


「いや、さすがに無理でしょ。さっきまでヒキコモリでゲームしかしてなかった人間に魔王討伐なんか……」


 無理ゲーもいいところだと思う。

 大体この女の子はいったい何者なのか。目の前で顔を伏せてすすり泣きする姿にようやくシュウは疑問を持った。今いるこの場所に関しては何となく察しがついたのだが―――。


「ううっ、うっ……そこまで言うならしっ、仕方あ、ありませんね……」


 やがて涙をぬぐったセレナが顔を上げる。

 どうやら理解してくれたようだ、とシュウが胸のうちでほっと一息ついたが。


「かっかくなる上は、力づくでもいうことを聞いていただきます」


 顔を上げたセレナの眼が黒から金へと変わっていく。

 その雰囲気が一変する。

 金色の視線を真っ向から受け止めて、シュウは背筋がゾワリと粟立つのを感じる。それはまるで圧倒的上位者のもつ存在感。自分の生存が目の前の相手に握られているという感覚。


「魔王と戦う気がないというのなら―—―選びなさい」


 そして厳かに告げる。


「小指を箪笥の角にぶつける痛みをずっと感じ続けるか、体中を虫が這いずり回る感覚を味わい続けるか」

「なんだその微妙に気持ちの悪い嫌がらせはっ!?」

「び、微妙!? うぅぅ、まだなりたての神ではこれくらいのことしかできないんですよぅ……」


 やっぱりあんた神サマだったのか。


「ほ、ほらいやでしょう? ずっと足の小指が箪笥にぶつけた時の痛みを感じ続けるんですよ? そ、それにもし魔王を倒してくれたらなんでも一つ、言うことを聞いてあげますから……」

「―――なんでも?」


 その言葉を聞いた瞬間、シュウの眼がゆらりと強い光を帯びる。


「え、はい。魔王を倒していただけたらなんでも一つ、あなたの願いを叶えましょう」

 目の前の自称神サマはどこか挙動がおかしいが、相も変わらずシュウを圧倒する存在感を放っている。

 気が付けば、喉がカラカラに乾いていた。ごくりと唾を飲み込んで、固まった口を開く。


「本当に? 本当に何でも叶えてくれるんですね?」

「私、これでも神なんですよ? 大抵のことは叶えられます」


 そういってセレナが大きな胸をそらした。


「じゃあ」


大きく息を吸い込んで、言う。この女神に会った時から言いたかったこと。


「俺が魔王を倒したら、その胸もませてくれっ!」

「はい?」


 大きな声で言い切ったシュウに対して、セレナは首をコテンと倒す。

 しかしじわじわと言葉の意味を理解したのか、徐々に顔が真っ赤に染まっていく。


「な、なななななななっ」

「あんたの胸をもませて欲しい」

「二度も言わないでくださいっ!」


 さっ、とシュウの視線から胸をかばうセレナだったが、余計に寄せてあげられていて。

 正直、とても眼福です。


「なんだよー、なんでもって言ってたじゃないか」

「ぐっ……まぁいいでしょう、その程度のことで異世界に行っていただけるなら……!」


 苦々し気なセレナだったが、ようやくその首を縦に振った。


「いよっしゃあああああああああ!」

「なんでこんなことでそんなに喜ぶんですか……」

「童貞をなめるなよ!」


 もはや若干引いているセレナにサムズアップして笑顔を見せてやる。


「はぁ、もういいです……では、あなたには魔王を倒すための力を授けましょう」

「おおっ! 異世界転生モノでお約束のチートスキルですね、わかります」

「ではこの中から選んでください。ちなみにかの世界では神から与えられる先天的なスキルをギフトと呼びます。これからあなたに授けるのがまさにそれですね」


 そういって取り出したのは分厚い百科事典のような本だった。


「おい、なんだこれは」

「ご覧の通り、ギフトブックです。この中から好きなギフトを一つ選んでください」


 重たい表紙を開くと、中には無数のギフトが書かれており、一つ一つに詳しい説明がつけられている。

 ギフトブックというか、まさしくカタログギフトだった。人でも殺せそうな厚さのやつ。


「この中から選べってのかよ!? いったいいくつあるんだこれ」

「えーと、全部で……」

「いや、やっぱり言わなくていい。それよりこれじゃ探すのに時間がかかり過ぎるだろ……タブレットみたいなのはないのかよ」


 げんなりしながらそうつぶやくと、


「わ、私も早く電子化してほしいんですけれど。こんな末端の末端のそのまた末端みたいな……しかも生まれたばかりの神にそんな最先端機器回してもらえなくてですね」


 電子化が始まったばかりのお役所仕事か何かか。

 改めて本を眺める。

 雑誌のような大きさの本は、石板の様に分厚い表紙がつけられている。薄緑色をした表紙には金文字の刺繍が施されていたが、見たこともない文字だ。

 書かれているギフトを確認していくと、ギフトのジャンル別にまとまっておりその中から選ぶことができるようだ。


「仕方ない……」


 シュウは深い溜息をつくとギフトを選び始めた。

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