第43話 呪いのはじまり

「はじまりは、贈り物だったんだよ」


 組んだ指にあごをのせて、先生は語りはじめた。遠い昔の物語を。


「親愛と友情、特別な好意。そんなもののあかしとして、ある人間が“鍵”を贈られた。わたしの祖先にあたる男だ」


 先生の声は低く、抑揚は耳に心地よく、病み上がりのぼくの頭にすべらかに流れ込んできた。


「それは本当に特別なことだった。彼らが人間に興味を示すこと自体、ひどくめずらしいことだったからね。あるいは、それがそもそもの間違いだったのかもしれない。交わるべきでない相手というのは、確かに存在するんだ。いまさら論じても意味のないことだが……」


 先生、とぼくはとっさに声をかけた。頭に浮かんだ疑問と、胸に湧き起こった心細さに突き動かされて。


 くすんだ金の陽射しのなか、どこか遠くを見るような先生の顔を眺めているうちに、ぼくはどうしようもない不安に駆られてしまったのだ。この人はちゃんとここに、ぼくの側に居てくれているのだろうか、という。


「彼らって、誰のことですか」

「我々とは異なる存在。この世界のどこにもない国の住人」


 簡潔な答えは、相変わらず謎かけのようだった。


「妖精みたいなものですか」

「いいね」


 先生の顔がほころんだ。そんなにおかしなことを言ったつもりはなかったのだが、とにかく先生が笑ってくれたことに、ぼくはひどくほっとした。


「きみは素敵な言葉を知っているね。そうだよ、妖精からの贈り物だ」


 確かに、とぼくは思った。それは心躍る素敵な響きだった。妖精からの贈り物。


「その鍵はね、この世界と妖精の世界をつなぐ扉の鍵だったんだよ。彼はよほど妖精に好かれていたんだろうね。これを使っていつでも訪ねておいで、というわけさ。そんなことが許されたのは、後にも先にも彼だけだった。彼だけに与えられた、特別な贈り物だったんだよ。だから彼がこの世を去るとき、鍵もまた妖精のもとへ返されるべきだった。最初から、そういう約束だったんだよ。ところがだ、ルカ君」


 その先は、ぼくにも予想がついた。返されるべきだった鍵。そしてついに返されることのなかった鍵。それは長い時を経て、いま先生の手に引き継がれているのだと。


「彼には息子がいてね。父親が持つその鍵を、息子はのどから手が出るほど欲しがっていた。なんといっても妖精の鍵だ。そこらの鍵とはわけが違う。その鍵は、所有者にいっぷう変わった力を与えてくれる。見えないものを捉え、聞こえない声を拾い、それらを自在に操り異なる形に落とし込むような……」


 それは例えば、何もないところから金貨を取り出すような。虚空に光と幻影を踊らせ、扉なき部屋に道をつなげるような。


「息子は鍵を惜しんだ。その鍵が持つ力を惜しみ、手を尽くして妖精の目から隠し通した」


 そこで先生は小さなため息をつき、組んでいた指をほどいてかるく広げた。


「これが、我らが一族の呪いのはじまりというわけさ」


 自嘲めいた笑みをたたえた先生の顔に、午後の陽射しが淡い影を落としていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る