第16話 夜の外出
「明日の夕飯はいらないよ」
思い出したように先生がそう言ったのは、ぼくが先生の家にお世話になってから半月ほどたった日の夕食の席だった。
台所で済ませる朝食とはちがい、昼と夜の食事は食堂のテーブルでとる。昼食はキャリガン夫人も交えてにぎやかに、そして夕食はぼくと先生の二人だけで。
先生と囲む食卓はいたって静かだ。それを気づまりだと思ったことは一度もない。むしろ親密な沈黙とでもいうようなその雰囲気が、ぼくはとても好きだった。孤児院の食堂のように、隣で乱闘が始まってスープを頭からひっかぶることも、よそ見をしている間に自分の皿のパンがかっさらわれるなんてこともなかったし。
「お出かけですか」
キャリガン夫人お手製のミートパイを切り分けながらぼくが尋ねると、先生は「まあね」と曖昧に首をかしげた。
めずらしいな、とぼくは思った。先生はめったに外出しない。一日の大半を書斎か、居間の長椅子で過ごしている。書斎にこもっているときの様子はわからないが、居間で見かける先生は、だいたいお茶を飲みながら本を読んでいるか、さもなければ昼寝をしているかだ。
たまに出かける先といえば、近所の書店か雑貨店がせいぜいだった。これはぼくも一緒に行ったからわかるのだが、それぞれの店の上得意であるらしい先生は、店主と親しげに話をしながら、大量の本やびっくりするくらい高価な茶葉を買いもとめていた。
「悪いが、明日の夕食はきみ一人でとってくれ。わたしは遅くなるから先に寝てなさい。火の始末と戸締りに気をつけて」
先生の言いつけに、わかりました、と従順な弟子らしく応じたぼくだったが、たぶん
だからなのかもしれない。先生が苦笑まじりにこう続けてくれたのは。
「よかったら、きみも来るかい」
「ぜひ」
勢い込んでぼくはうなずいた。散歩に誘われた犬のよう、とは情けない例えだけど、そのときのぼくはまさにそんな気持ちだった。
後になって、行き先を確かめる前に答えてしまったことに気づいたが、べつにどこだって構わなかった。先生が行くところならどこへでも、ぼくはお供するつもりでいたのだから。
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