速かっただけ
黒煙草
1
この世は、人類100m走最速が義足を上回った時代
機器による強化された人間が、生身の人間に勝ってしまい、はや100年の年月が経った今
僕の名前は『
僕の家系では、例えば父だと下の名前を『
また、祖父も『
なので、僕は……まぁ女の子なので『いのこ』という読みからして女の子らしい名前ではあるものの……
“おーい、とんちゃん!ちょっといいか!?“
装着している腕時計から、『柄谷』先生の呼び出しをくらい、席を立つ
先生からは『月 豕』という並びからとんちゃんと呼ばれる羽目になり、小さい頃から豚、ブタと名前で周りからいじられることは多々あった
「はいー、今行きます」
しかし僕は、そんなこと気にもしなかった
理由の一つとして、世間一般の持つ豚のイメージが“鈍足“であるのがひとつ
それに反比例して僕は俊足の持ち主で、全国の高校で優勝するほどだ
目立ちたくはなかったが、『豚』という汚名を背負わざるを得ないならばと、思い立ったのが始まりで
今では『音速の豚』と、親しまれるようにはなった
……親しまれているのかこれは?
などとズレた考えをしていると、職員室にたどり着いていた
職員室に入って柄谷先生の机に向かうと、第一声にとんちゃんと言われた
「とんちゃん、何故俺が呼び出したか分かるか?教室に行くのが面倒だからだ」
「はい、知ってます」
このくだりは、学校の生徒たちと柄谷先生の、共通の挨拶のようなもので、初めて柄谷先生と対面した生徒は動揺するのが通例となっている
「とんちゃんさぁ、俺と初めてあった時もその態度だよなぁ」
「初対面でぶたちゃん言ってくる人は、信用してないので」
「悪かったってぇー、あの時は本当────」
「用事はなんですか?」
先生の言い訳を区切り、本題へと入らせる
「あー、えっとなぁ…とある大学から推薦が来たんだ」
推薦────
足が早いだけの取り柄の高校2年の僕に、推薦の声がかかった
正直嬉しい、表情に出したいほどなのだが……
「……?何故、先生は渋っているんです?」
そう、柄谷先生は言葉を選ぶように頭を抱えては声に出さないように口を噤んだりしている
「いや、なぁ……俺も自分の持つクラスの生徒が、大学推薦なんて嬉しいよ?」
「…?大学に問題が?」
「いや、超有名大学だよ…義足の世界でな」
それを聞いて、あぁと納得した
生身よりも、機械による強化人間が最早一般と化しているこの世
如何に生身の人間が機械に耐えきれるかが本題となり、それを競い合うのも趣旨となっている今では、若い頃から肉体改造を行おうとする輩は少なからずいる
そういった輩に目をつけられたのであれば…
そこまで考え、納得した僕は柄谷先生から推薦状だけを貰い、職員室を後にした
────────────────────
その日の放課後になって、陸上の部活動が終わり、その帰り道
ひとつの浮遊原付バイクが横を通り過ぎた
タイヤの処分による、排気ガスを懸念した世界政府が旧道路でも使えるように、コンクリートに対する反作用を用いた原付バイクだ
原理は不明だが、授業で習った気もしない
…話を戻すとして、原付バイクにのる男はひとつのカバンを手に持って逃げるように走っていた
「待ってー!泥棒よー!」
今どき珍しい窃盗を目撃した僕は、俊足を活かして原付バイクに走り出す
時速30キロで走ると言っても、曲がり角では当然スピードは落ちる
運良く目前がT字路ということもあり、スピードを落とさざるを得ない原付バイクの乗り手は、僕の手によってうなじを掴まれる
しかし、完全に捕まえることは不可能だった
住宅街の中を突っ込むように走る宅配便と、原付バイクは激突したからだ
「────えっ!」
それに巻き込まれ、僕も原付バイクの男と共に吹き飛ばされた
地面との衝突
何か、枝が砕ける音が響き
僕は────
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「────は、────しょう…」
「そんな!?何でですか!」
「──様、────では静かに──」
声が聞こえた
ひとつは母の声だと理解出来た
悲観しながらも叫ぶように荒らげる声は、絶望していると言っても過言ではない
もう2つは男性の声で、初老の男性と若い男性の声ふたつが、母を宥めているようだった
──…何を、話しているのだろうか?
次第に声が聞き取れる
「ですから奥さん、あの子の脚は元には戻りません…義足という選択肢を、事実を伝えるべきです」
「なんで!?あの子は将来有望だったのよ!?脚を完全に治してちょうだい!」
「奥様、声を抑えて…」
「あなたは黙ってて!院長先生!!お願いします…っ!うっ、うぅ…」
母は段々と荒らげた声を、泣き声に変換していき、しまいには泣いていた
僕は……そうか、と楽観してしまう
ぶつかる瞬間の記憶は鮮明で、“自宅時間指定有りの無機物瞬間配送“に頼らない宅配浮遊トラックが“浮遊原付バイク“と衝突し、原付バイクに乗っていた男は身体正面をトラックに打ち付け、僕はその流れで全身打撲、両足を打ち砕かれたのだ
トラックのスピードはそのままに、浮遊力を失い、地面を擦りながらも僕の脚をペシャンコにしたのは嫌でも思い浮かべる事が出来た
個別の部屋にはドアがあり、その向こう側から大声が聞こえる
内容からして、両足ともども骨の復元が難しく、同じ成分を配合した3Dプリンターを使ったところで、僕の体は拒絶反応を起こし、一生、太ももの付け根から下は無くなるだろうと診断結果が出たらしい
いくら時代が進んだとはいえ、未だ解明されていない人体は、科学には到底適わないのだと痛感させる院長先生の言葉だった
ドア越しからの声は無くなった
だが、足音はしている
誰か追加で来るようだ
「……貴様がここの、院長か?」
足音の正体は分からないが、低く、ドスの効いた声で院長先生を脅したようにも取れた
「な、なんだね君は!」
どうやら、その低い声の男の正体は院長先生は知らないようで──
「あ、あなたは!!『
低い声の男はフールさんと言うらしい
こんな国まで、ということは海外の人だろうか?
「ふーる?愚者を名乗るような男がこんな所で何をしている!!」
「院長先生!まずいですって!!世界医学最高峰の“賢医の集い“のワースト1位ですよ!?」
トップではなくワーストなのはどうなのだろうか?
「若いの…ワーストってお前…一番下ということだろう?」
「違いますよ!!“賢医の集い“はワーストになるほど、しゅじゅちゅの成功率が上がるんです!!」
いやそこは噛むなよ若い人
「いや、わしはそんな集いなぞ知らぬし…しゅじゅちゅの成功率が上がるところで…」
お前も噛むなよ院長
「“賢医の集い“は100名いるそうで、成功率が順位を競い合ってるんですよ!」
それだとワーストではなく、逆にならないだろうか、と疑問をぶつけたい
「では、何故最下位なのだ」
「“賢医の集い“に入った順番で、新規には1位を付与し、特典で残り99人を好きな場所へと派遣することが可能らしいです…」
新入りいじめにも程がある…
嫌な集いだな…と、思いと院長先生の言葉が重なると、フールという男が声を出す
「そろそろいいか?お前たちがここで駄弁っているという事は、俺の患者はここで間違いないな?」
「なっ!?き、貴様!!ここは私の病院で!私の患者たちだ!!外から来た、変なやつには渡さん!!」
院長先生が吠えるも、愚者にはどこ吹く風のようで
「知るかそんなもん、この世界の患者は俺のもんだ」
と、一瞥した
「それに、だ────」
愚者は小声でなにか言っていたが、聞き取れなかった
しかし、院長先生は
「な、何かあれば貴様をこの国で裁いてもらうからな!!」
捨て台詞を吐いた院長先生はそのままドカドカと足音を立ててどこかへ行ってしまった
愚者という男は弱みでも握っていたのだろうか?
「ふん、面倒なヤツめ…」
「あ、あの!愚者先生!サインください!!」
今も泣き崩れているだろう母と、気分を損なった院長先生を他所に、若い男はサインを求めていた
こいつ、将来大きくなりそうだなと心の中で思った
「お前も俺の立場になればわかる、面倒だと」
そういって、低い声の男はサラサラと何か書いた後、僕の部屋に入る
「……酷いな」
低い声の男は部屋に入る
背は高く、白衣にはフードが付いていて目元を完全に隠していた
そして、僕の被る布に隠された脚を見てそう言った
「あ、あの…豕の脚を治してくださるんですか?」
泣き崩れていたはずの母は、愚者先生にそう聞く
だが、返事は残酷なものだった
「いや、治らねぇなこりゃ…」
「そ、そんな!なんで!?」
「……正直に言おう、俺は完全に脚を復元することは出来る。だが、治らねえ」
「だからなんでですか!?」
「……?精神科は俺の分野じゃねえから」
────────────────────
僕の脚の手術は、対面したその日に行われた
時間にして2時間だと母から聞いたが、眠っていたので体感時間はもっと長い
夢の中では、暗闇の海を沈んでいく感覚だったが、光とともに現れたごつい手に、惹かれ引かれて目を覚ましたような感じだ
手術後に見た愚者先生と似ていたが、違うだろうなと思った
────────────────────
「動かしてみろ」
愚者先生に言われ、足を無理やり動かそうとするが…
「う、ぎぎ…動かない」
足の親指から先が全く動かないのだ
「……ふぅー…奴さんにはしてやられたな…俺は完全に復元はしている。神経から筋肉細胞に至るまでを…」
単純に考えて、それはすごい事なのでは?と思ってしまうが、愚者先生は続ける
「たが、豕と言ったか?お前自身が、動かすことを否定しているんだ」
それはない!
と言いたいが、否定できない
「そんなことはありません!豕?動かせるわよね!?」
母の恐喝もどきの要求に、動かそうとするも、ビクともしない
「なんで、なんでですか!?」
「だから言っただろう?俺の分野じゃねぇと………ん?来たな、入れ!」
遠くから足音がしたと思ったら、急ぎ足に変わり勢いよくドアが開く
「はぁー…はぁー…はぁー…」
「遅いぞ、
鈍と呼ばれた先生は頷きながらも、息を吸っては吐いてを繰り返す
「物はあるな?」
「はぁー…はぁー…はぁー…」
息を整えながらも、何かしらのゴーグルを渡す鈍と呼ばれた男
「息切れするなら、タバコ吸うなって何度も言ってるだろう…貰うぞ」
愚者先生は鈍と呼ばれた男からゴーグルを奪うと、僕の膝元に投げる
「はぁー…はぁー…はぁー…っ!」
息切れしながら、なにか抗議してくる鈍と呼ばれた男
しかし、愚者先生は無視して僕と向き合う
「ボウズ、これ付けりゃ…次こっちに戻ってきたら時には、足は動かせれる……現実と仮想は区別つけろと言われているが、これはそんなことを気にしなくてもいい」
僕はゴーグルに興味本位で、試しに被って中を見てみる
「説明は面倒だ、鈍ァ!起動しろ!!」
「はぁー…はぁー…!!」
いつまでも息切れしている鈍と呼ばれた男は、ゴーグルを被る僕に近づき、なにかスイッチを入れてきた
「はぁー…はぁー…」
「いってらっしゃい、だとよ」
「え、なに──────」
言葉は続けられずに、僕の目前には白が広がった
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速かっただけ 黒煙草 @ONIMARU-kunituna
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