第26話 誤解と理解の代償
翌朝、下腹部の痛みで目が覚めた。ベッドの中で体を丸めた。
「おはようございます、ハル」
今日も今日とて、朝一番の視界がワラビだ。お金がなかったので仕方がないといえど、ワラビが男になってからも私とワラビは同じベッドで寝ている。モノ申したいことは多々あれど、ワラビに関してはもうワラビという生物ということで理解を諦めている。そのうち分かることもあるだろう。ここの生態系が謎なので実害のないことは深く考えないことにした。掛け布団も一枚しかないので、正直寒がりには人肌がありがたい。
「どうしましたか、ハル」
いつもならすぐに起き上がれるが、この痛みは起き上がりたくない。こんなところに遭難し、しばらく止まっていたので気にしなかったが、生理だ。ナプキン事情はどうなっているのだろうか。ワラビが笑顔で小首を傾げた。女だったこともあるのなら知っているだろうか。女性より美しい相手だし聞くことに躊躇いはない。しかし、生理なのですが、どうしたらいいですか。はハードルが高い。そんな単語、知らない。
「おはよ、ござま。ワラビ、おなか……」
「お腹がすきましたか? すぐにご飯にしましょうね」
前髪をさりげなく上げられ、私のおでこに口づけすると、ワラビは体を起こした。相変わらずのスキンシップ魔だ。
「ちがう、私、おなか」
ワラビの腕を掴むと、ワラビはどうしました、と顔をのぞきこんできた。くるりとした緑の髪が顔をかすめた。
「ちかい!」
キスしそうな距離にワラビの胸を押した。
「あら、残念。せっかくハルが私ともっといたいと言ってくれたのに」
とろけそうに微笑まれたが、きっとろくなことは言っていない。案の定ワラビは、私の頬に手を伸ばしてきた。ちがうのだ、生理痛でお腹が痛いのだ。痛い、どこかで使ったはずなのに、思い出せない。
「どうしたのです、ハル。具合が悪いのですか?」
「私、おなか、わるい。ダメ、いや」
泣きたくなるほど語彙がない。寝起きの頭も相まってとりあえず否定を並べまくった。
「お腹が痛いのですか?」
それだ!
「私、おなか、痛い」
「そんな」
ワラビは勢いよく掛け布団をめくった。すかさず布団を奪い返す。お腹が冷えるとよけいに痛くなるのだ。
「だめ!」
ぐるりと布団を巻き込む。
「ハル、分かりましたから。何か拾って食べたりしていませんか。知らない人から食べ物をもらったり、ハル。大丈夫ですか、ハル」
煩い。きゃいきゃいと飼い主の横で騒ぐ大型犬のふりをした小型犬だ。ミノムシ状態から顔だけを出し、じとっとした目で申告する。
「私、おなか、血、出る」
生理を端的に説明したらワラビは真っ青になった。
「血!どこかで怪我を!」
慌てたワラビは容赦なかった。悪代官もかくやという勢いで布団を引っぺがされた。私はベッドの上でワンバウンドし、壁に鼻をぶつけた。頭じゃない、鼻だ。低くたって鼻だ。
「いたい」
新しく覚えた言葉でワラビに抗議しようと振り返れば、ベッドの上に膝をついたワラビに、パジャマ代わりに来ていたスウェットのような服をインナーごとめくられた。ぺろんじゃない。ぐわっと力任せだ。生理中の女性に何をする。抗議する前に第二波が襲ってきた。腹部だけだったのに、なぜか首までめくられた。前面をばっちり目視される。ワラビの顔がちょっと赤くなった。
おい、まて、なんで顔を赤らめた。そしてなんでちょっと視線を外した。ここは見られた私が恥じらう場面だろう。どうしてワラビの方が見せられてしまった感をだすのだ。
「やっめ」
腕を振り払おうと暴れるも女性の美貌に男性の力。かなうわけもない。今度はフライ返しでお好み焼きをかえすみたいに裏返しにされた。空中で一回転、枕に顔面強打した。豆のつまった枕は地味に痛い。お腹も痛い。もう、好きにしてくれ。どこで意思の疎通ができなくなったかは分からないが、私は諦めのいい人間だ。落ち着くまでじっとしていることにした。背中をぺたぺたと触られ、腕までめくられて確認していくのをじっと待つ。だが、しかし。
「血がない」
パンツに手をかけられ、我に返った。
「ワラビ、やめる」
さすがにそれはだめだ。男とか女は関係ない。常識だ。モラルだ。全力で主張したいが、言葉が見つからない。
「何を言っているのですか。血が出ているのなら手当をしないと」
ワラビはパンツにかけた手の力を緩めない。
「てあて、ない。私、大丈夫」
大丈夫じゃないが、そういうしかない。もうこの際ナプキン事情はどうでもいい。人間としての尊厳のほうが大事だ。何が悲しくてただの同居人に下半身を見せなければならないのだ。しかもワラビ、お前下着ごと持っているぞ。気づいてないのか?わざとか?
そして――。
女性としての尊厳をかけた戦いに私は負けた。勢いよくずり下ろされた。
「血」
ワラビは固まった。どこを見て、なんてきかないでほしい。今しかない。これまでの人生で一番俊敏に動いた。左手でワラビの頬を思いきり張り倒し、右手で布団を引き寄せ、くるまった。
「ハル」
呆然とワラビがつぶやいた。どうやら事態の把握はできたようだ。上から下まで布団にくるまった私を見た。
「ハルがぶった」
ワラビは白魚のような手でそっと自分の頬に触れた。その醸し出される儚い令嬢感とワラビの顔についた手形、左手のじんじんとした痛みに、下僕根性が刺激される。悪いのはワラビ、悪いのはワラビ。心の中で唱えるも、謝らないといけないような気になってしまう。
「ハル」
ワラビの声が震えた。ぽろぽろと泣き出した。止まらない。
ええっと、そんなに後悔しているなら、まあ許してもよい。言葉が分からないんだし、心配してくれたんだろうし。理不尽を自分の中で理由をつけて納得し始めたときだった。
ワラビは微笑んだ。
ん?
「それはですね。女性が子供を産めるようになったという証なのですよ。生理というのです。ハルは初めてでびっくりしたのですね。あとでお祝いしましょうね」
私を抱きしめると、落ち着かせるように背中を撫でてきた。
うん?なんかおかしくないか。言葉が分からなくても分かるものがある。
ワラビの髪をくいくいっと引っ張る。
「おいわい、なに?」
「おめでとう、ですよ。ハルは大人になったのですから。これで正式に伴侶になれますね」
「おいわい、ない」
そんなものは十年も前に終わっている。
「どうしてです。初めてはお祝いする習わしなのですよ。それをもって女性は大人とみなされるのですからね。ハルの国では違ったのでしょうか」
「初めてない」
「初めてじゃない?」
私は頷く。ワラビは噛みしめるように何度も繰り返す。私はミノムシのまま厳かに頷いた。ミノムシに馬乗りになっている相手に、威厳というものが発揮されるかは考えてはいけない。
「ちがう。私、大人ずっと前」
「えっと、ハルはいくつなのですか」
「いち、に、さん……いっぱい!」
ワラビは沈黙した。じっと見つめ合う。
何かに耐えるように目をつむると、口元を押さえて目をそらした。ぼそぼそと何かをつぶやくと、ゆっくりとベッドから下りた。
「温かい飲み物と、手当の布を用意しますね」
なにか諦められた気配に妙に焦った。ワラビの後ろ姿に口走った。
「ワラビ、にひゃくさい」
「ハル、よいこで寝ていましょうね」
目がこわい、こわいぞ、ワラビ。美人さんの笑顔は凶器だ。こくこくと頷くしかない。
数はまだ勉強中である。
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