第23話 お肉狩り3
生きていた。それがよかったのかは分からない。目の前にはお肉様の子供らしき雛たちが周りを取り囲んでいる。これなに、新しい保存食?とでもいうように、私をいたぶった親鳥に鳴いている。現在目が合ってしまった一羽と無言の会話中だ。ケ、と鳴くとぽよぽよとした丸い雛鳥が私の頬にすり寄ってきた。仲間と認識したのだろうか、と思えば耳をかじられた。
『痛いわ!』
思わず死んだふりして逃げよう作戦を放棄し、飛び上がってしまった。じんじんする右耳を押さえながら親鳥の視線に固まる。
「起きたのか」
お肉様の巣のはずが、さっきの男がいた。洞穴のような土壁には読めないが何かを描いた紙が貼ってある。奥には布の塊がある。もしかしてこの人の家なのだろうか。しかし、柔らかい草と羽毛が敷き詰められた上には雛鳥たちがいる。お肉様の巣であることは間違いない。ここでは、人はこういうところにも住むのだろうか。性別も変わる人間もいるし、そういうこともあるのかもしれない。
考えても分からないことは考えない。とりあえず、保存食からの脱出が急務だ。
「わたし、食べ物ない」
ズボンの上にぽよんと雛鳥を乗せたまま言えば、男はほれと堅いパンをくれた。
「違う、わたし、食べ物違う」
「腹が減っているのだろう。食べろ」
サラミが追加された。なぜだ。分からないながら、かじった。人から渡されたものを拒否できるほど、強くない。
「お前、何をしていた。ここは王家の森だぞ。入っていい場所ではない」
「さんぽ」
用意してきた言い訳を伝えれば、これ以上はないほど苦い顔をされた。
「私、さんぽです」
男は私のリュックの中をのぞいた。
「この縄はなんだ?」
「それは、縄です」
「なんのために持っている?」
「私は縄持っています」
覚え始めた定型文が使える質問に嬉しくなって答えれば答えるほど、男はものすごく嫌そうな顔をする。
「大丈夫ですか。気分悪い?」
「だれのせいだ。……名前はなんだ」
「ハル・ヨッカーです」
「どんな偽名だ。本当の名前は?」
言ってもいいけど、言えないだろう。
「楠木小春」
「クスノキコハル?聞かない名前だな。舌を噛みそうだ」
男はさらりと口にした。
『どうして』
男を見た。日本人の要素なんてどこにもない顔だ。同じところから来た人、じゃない。だけど間違いなく自分の名前だ。もう誰にも呼んでもらえないと思っていた。
だから、涙が出た。
黒い髪でも目でもない。短足でもないし、鼻が低くもない。自分との違いを男に見つけるたびに悲しくて、それでも心配そうにクスノキコハルと呼ぶその声に涙が止まらない。
「おい、どうした。どこか痛めたのか?」
男の人は小さな子供にするように、顔をのぞきこんできた。不器用に頭を撫でる。その目の奥にあるのは、心配、それだけだ。さっきはお肉様に私を献上しておいて。
おかしかった。
そうか、私は寂しかったんだ。すとん、と何かがはまった気がした。少しだけこの世界が好きになれそうな気がした。
「ありがとう、すき」
感謝を伝えれば、男はぎょっと私の頭から手を離した。もう少し撫でていて欲しかったのに残念だ。
「おまえ、初対面の男にそういうことを言うな」
「どうして?」
習慣も言葉も違う世界、伝えなければ伝わらないではないか。
「そりゃ」
甲高い鳥の鳴き声に男は私の口を塞いだ。
足音がして誰かが入ってきた。暗い洞穴、突然明るい光を向けられ目がくらんだ。
「これは?」
「森で迷子になっていまして」
男は丁寧な口調だ。やはり男は森の番人かなにかなのだろう。
「迷子?」
闖入者は男と何かを話すと出ていった。そのあとを親鳥がのっそりとついていく。洞穴には私と男と雛鳥たちだけが残った。
ふ、と現実にかえった。今がチャンスではないか。名前を呼んでもらえたことは嬉しいし、森の番人ならあとで男が怒られるのかもしれないが、それはそれ、これはこれだ。私は自分が大事な強欲で弱い人間だ。
男には申し訳ないが、親鳥がいない今ならいける。男もさっきのやりとりで態度が軟化しているし、十羽近くいれば、一羽くらい大丈夫そうだ。
『ちょっとお散歩しませんか』
一番私にちょっかいを出している雛に声をかけると、ケ、と鳴いた。了解、ということだろう。この子ならリュックに入る気がする。じっとまん丸い瞳をみつめた。人懐っこいのか、顎の下をかいてやると目を細めた。
気分は誘拐犯だ。せめて快適な移動にしようと、草と羽毛をリュックにつめていく。羽毛だけ入れたいがそんなことをしていて、親鳥が戻ってきたら今度こそやられる。手早く草ごとつめられるだけつめた。それでもびっしりと敷き詰められているので、ちょっととったくらいは分からない。きれいな羽も落ちていたので、それも拾った。ワラビかおかみさんに渡そう。
「おまえ、何をやっている?」
「リュック入れる。私帰る」
男は動かない。背を向けて壁の紙に何かを書き始めた。捕まえる気はないみたいだった。何なのだと思ったが、今は時間との勝負だ。リュックの中を快適にし、雛鳥を入れる。ジャストサイズだ。
息ができないと困るので、首だけ出した。ちょうどよいサイズ感だ。雛鳥もケケケ、とご機嫌だ。これならおじいさんのところまで無事につきそうだ。
『外に出るまで首を出してはダメですよ』
雛鳥はケケ、と鳴くと首をひっこめた。さすがに閉じ込めて息ができなくなるのは怖かったので、持ってきた布を頭の上にかけておく。男は入り口近くに座っているし、立って移動すれば見られることもないだろう。
なに、新しい遊び?と足元にまとわりつくほかの雛たちをおしやって、入り口へと歩く。男はちらとこっちを見たが、出ていこうとするのを止める気配はない。何も話さずに行けばよいのだが、小心者には無理だった。もしかしたら食べられようとしたのを止めてくれたのかもしれないし。名前を呼んで貰えてうれしかったのもある。
「名前、なにですか?」
男は答えなかった。
「名前、なにですか?」
もう一度聞けば、少しためらった後答えてくれた。
「アスタだ」
「アスタダ」
「アスタ」
アスタ、繰り返せばそうだと頷いた。
はじめて人に名前を呼んでもらえた喜びと、名前を呼べた喜びに笑顔になった。アスタの視線もほんの僅かだが優しくなった気がした。アスタ、アスタ、繰り返し口ずさんだ。それがいけなかった。それに呼応するように、背中のリュックがケケと跳ねた。
アスタの視線が一気に険しくなった。
さっと立ち上がった。
「何をしている」
「さ、さんぽ」
口ごもってはいけないときばかり、口ごもってしまう。小心者の自分がにくい。アスタは目を細めた。リュックの上の布を外せば、雛鳥がぴょこんと顔を出した。
「ほう、ニカンルーの雛を連れていく必要はないだろう」
ケケケケケ。背中で陽気に囀った。
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