第11話 ハルとお風呂と伴侶の誤解2

 とりあえず、抱き込まれながら、ワラビの頭を撫でた。短い経験則からスキンシップをはかると落ち付くらしいというのは学んだのだ。きっとスキンシップに飢えているのだろう。

 だが、今回は違った。さらに盛大に泣かれた。

 誠実に慰めているのに、非常に心外である。

 しかも周囲からの視線はさらに厳しいものになった。


「あんたなあ、振ったサイタリ族に優しくするってどんだけ鬼畜なんだ。しかも分化までさせておいて」

「そうだよ。サイタリ族は生涯伴侶を一人しか持てないのだからね」


 周囲から烈火の集中砲火で責められているらしい。これは言語の差による、言葉がきつく聞こえるという現象ではないと思われる。なにせ、さっきまでちょっと感心しないね、位のレベルだったのが、今は皆さんそろって滅多うちの気配だ。やられ下僕人生の長さはだてじゃない。言語が変わったってその辺りを感じる力は衰えてはくれない。


 切ないことと世知辛いことは大抵の場合真実である。

 いつもの私なら逃げの一択だった。嫌なことからは逃げる。争わない。戦わない。

 それでもだ。私もこちらへ来て相当荒んでいた。言語が分からなければ批難など訳の分からない雑音だと思えるほどには図太くなっていた。


 そう、生きていく。そのためには、なんだってしなければならない時があるのだ。残飯漁りだって、馬小屋に寝ることだって。人間らしさなんてものは誰かに与えてもらえるものじゃなくて、自分で勝ち取らなければいけないものだと身をもって知った。当たり前なんてものはこの国のどこにもなくて、誰かが助けてくれるなんてことは一つもなくて、言葉が分からない私には助けの求め方すら分からない。

 今の自分にあるのは、嫌だけど、本当に吐きたくなるほど嫌だけれど、買ってしまったらしいこのワラビだけなのだ。責められたって、脅されたって、このたった一つの命綱を離すわけにはいかないのだ。


「黙っていないでなんとかいったらどうなんだい」


 誰かに小突かれた。


『うるさい!うるさい、うるさい!私だって好きでこんなところに来たんじゃないわよ。ベッドは固いし、隙間風は入るし、馬小屋だし、ご飯は変な色だし、それでもあんたたちにこんなに責められるようなこと、何一つしてないでしょ。なんで風呂に入ろうとしただけでこんなに責められなきゃいけないの。それともここでは違うとこから来た人は風呂に入っちゃいけないとでもいう決まりがあるってわけ?さっきは外国の人たくさん入っていったのに。私だって色々思うことあるんだから』


 言い終わると、周りがシーンとしていた。言いすぎたか?これまでの鬱憤があふれだしてしまっただけで、別に本当にやり合いたいわけではない。恐る恐る手近なおじさんを下からのぞきこめば、ぷいっと顔をそらされた。なんだこの反応は。隣のおばさんはさっきまでの剣幕がなりを潜め、若干目をうるうるさせている。

 何だこの展開は。これからお互いに喧々諤々やりあって、行くという流れではないのか。言葉が違ったって戦うぜと一世一代の覚悟であったのに完全に出鼻をくじかれた感満載だ。


『あのー』

「なんだ、よかったじゃないか姉ちゃん。伴侶にここまで言ってもらえるなんて愛されてんな」

「そうよ、性別なんて関係ないお前が必要だなんて、久しぶりに熱くなるわ」


 さっきまでの滅多うち批難ムードが一転、大歓迎ムードだ。なんだ、私、今何を言った。何のスイッチを入れたんだ。流れが分からずうろたえていると、ワラビにギュッと強く抱きしめられた。


「ごめんなさい、ハル。私はあなたが言葉が分からないって知っていたのに。勝手に誤解して分化して。きっと、今の言葉も本当は違うって分かっています。だけど、とても嬉しいです。私にとってあなたは、たったひとりの人です。今も男になりたかったと思う気持ちもあります。でも、女の私だからあなたにしてあげられることもあるはずです。いつかあなたが今日のことを理解して本当に私のことを必要だといってくれる日がきたらもう一度きかせてくださいね。それまで私があなたの全てを守ります」


 優しい微笑みは最強だった。ね、と小首を傾げられれば、頷いてしまうのは当然の帰結だった。のちにその意味を知って、小さな恐怖におののくのだが、その時の私は命綱を得たくらいに思っていた。

 そのあと、一緒にお風呂に入り、服を脱がすところから、体中洗われそうになり必死で抵抗した。


「同性というのもいいものですね」


 ワラビのその言葉に周囲のお客さんが生ぬるい目をしていた意味が理解できなかったのは私にとって幸せだったということにしておきたい。

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