第12話 一か月後

 想像できうるすべてのことは現実になる。

 確かにそうだ、だけど精神衛生上よろしくない現実も確かに存在する。

 確か昨日の風呂でワラビは女だった。それが、なぜ、どうして男になっているのだ?

 ベッドの上、目の前に広がる肌色革命に気をやりかけた。少女の時代はとうに過ぎ、見事な社会人だ。一晩寝たら股間が、パンの発酵のように膨らんでいるという案件には出会ったことがない。


「神様にお祈りをしたのです!同性もいいとはいえ、やはり伴侶として」


 ワラビがむにょむにょむにょと恥じらった。仕草はまだ女性だ。あいにく何を言っているかはさっぱりだ。目の前にあるのは、昨日一緒にお風呂に入った女性が、男性になっているという現実である。

 悟りがひらけそうだ。

 そんな世界なのだろうか。世の中とは不思議に満ちている。


 ※ ※ ※


 初めて緑の人に出会った日から一か月。私はまだ、遭難中である。

 色々あった。本当に色々あった。語るも涙、語らぬも涙。とにかく面倒くさいので、割愛させていただきたい。

 とりあえず、生きている。言葉もそれなりに分かるようになった。長ったらしい名前は面倒なので割愛しているが、まあ、問題はない。この国の人たちも、私の名前を言えないので、ハル・ヨッカーで通している。佐藤や鈴木と同じくらいありふれた苗字らしい。ヨッカ―さんが多すぎて失敗したかもしれないとは思う。ハル・ヨッカーは典型的な偽名らしい。名乗るたびに胡散臭そうな顔をされる。今更どうしようもない。


 緑の人の名前がワリュランス・ビュナウゼルというのだが、ワラビと呼んでいる。べつに私の発音が悪いとか、長い名前が覚えられないとかいうわけではない。愛称である。そう、親しみの証だ。そういうことにしておいてほしい。


 ワラビはセドと呼ばれるこの国の競売にかけられており、競り落とした商人から、私が千円で買ったことになっていたというのは最近になって知った話だ。人を売るというのはめったにないことらしいが、ワラビはサイタリ族と呼ばれる珍しい種族で、高値がついていたらしい。それをこの国では見たことのないホログラム入りの千円札で買ったのが私だった。

 とはいえ、行き場のないワラビを、遭難中の迷子が買ってしまい、当初は大変だった。どういう理由で自分を売りに出していたのかは語学力のなさでまだ訊けていない。

 ただ、無一文で生きていけるわけもなく、身に着けていたもの徐々にセドにかけて売り払っていった。二人で生きていくためには必要だった。

 後悔はない。ただ、ときどき無性に寂しくなることがあるだけだ。


「ハル、何をしているのですか?」

「私は、字を書きます」


 夜の手習いももう慣れた。ミミズがのたうちまわって死にそうな文字しか書けないが、どこが文の切れ目かというのは分かるようになってきた。曲線と直線の長さと曲がり具合で文字が変わるなんて文字と呼んではいけないと思うが、主張する言葉を知らないので、ひたすら書いている。

 小さな子供のめちゃくちゃな文字と大差なさ過ぎて進歩しているのかどうかすら分からない。


「だいぶ上手になりましたね」


 私に激甘と思われるワラビの言葉は基本あてにならないが、こと教育に関してはスパルタなので信じてもいいと思っている。


「私、練習した。たくさん」

「しました、です。ていねいに話しましょうね」


 私だって使い分けのできる子である。近所の悪ガキはゆるされて私は許されないという理屈は納得できない。でも、反論はしない。ワラビのお説教は長いのだ。そして最後に謎の言葉で泣きだしてしまう。


「しました。私、行ってきます」

「行くって一体どこにですか。もう暗くなりますよ」

「じょーほーしゅーしゅー」

「情報収集って、そう言って酒場に入り浸るのはよしてください。仮にも女性なのですから」


 別に私も好きで言っているわけではない。ワラビの作る怪しい色の食事がこの世界の通常なのかと思っていたがそうではないと知っただけだ。知れば普通のご飯を食べたくなるというものである。傷つけずに伝えるすべを持たないので直接言ったら泣かせてしまった。


「明日、セドある。じょーほー大事。負けられない。ワラビはリドゥナ書く」

「それはそうですけど」


 定期収入は家計の要。大銭を得るために撒き餌は大事だ。

 私も行きますというワラビをおいて、おいしいご飯を食べにでかける。

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