第4話 ハル、理解する

 目を開けると、緑の人がいた。美人のどアップだ。眼福だが、どアップは脅威だ。

 しみ一つない白い肌と、赤く色っぽい唇。色気漂う視線、ふんわりと長い髪を書き上げる仕草。

 別に……事実だ。何も思ったりしない。しないったらしない。

 それよりも大事なことがある。


「あなた、だれ?ここ、どこ?」


 昨日の生卵事件のときに駆使したジェスチャーでようやくするべき質問ができた。

 緑の人はふんわりと笑い、私を軽く抱きしめてきた。すかさず手をはたく。生卵事件で学習した。言葉が通じない以上、態度で強く示すしかない。犬のしつけと一緒だ。しつけられる側じゃないのかというのは禁句である。


「あなた、だれ?」

 もう一度、指差す。緑の人は今度もにこにこと私を抱きしめてくる。

「一体どこに、抱きしめる要素があった!いい? 私が知りたいのはあなたがだれで、ここがどこで、昨日の人は何で、どうしたら家に帰れるかってこと!」


 緑の人はそれはそれは優雅に小首を傾げた。そのまま私から手を離し、右を見た。窓が一つあった。

 私は緑の人から情報を取ることを諦め、裸足のまま窓へと歩いた。窓の鍵は閂のようだった。二つの輪っかに一本の金具が差し込まれているだけだった。

 日本、なんかじゃない。考えたくない可能性に窓を開ける手が震えた。

 重い音とともに金具を抜いて、窓を開けた。


 熱くなりかけた日差しが照りつけ、活気のある声が聞こえる。反対に目の前に広がるのはだだっ広い土地だった。大小さまざまな石が転がり、近くに民家は見えない。遠くのほうに暗い色をした森らしきものが見えた。


「人に会えば」

 なんとかなるかもしれない。人の声が聞こえたということは人が住んでいるということだ。私は緑の人を振り返った。

「玄関は?」

「ゲンカン?」

「入口、外、ドア。どこにあるの?」


 言葉を変えても、オウム返しにしてくるだけで埒が明かない。仕方ないので、裸足のまま、窓枠に足をかける。


「ダメ、ダメ」

 必死に止められた。昨夜私が散々口にしたので覚えたらしい。無駄に賢いヤツだ。

「私、歩く。外」


 日本語を単語で言っても理解できない人に意味ないとは思うが、こちらも必死だ。そして緑の人も必死だった。お互いの必死さにより、私は玄関にたどり着くことができた。

 家の中を探検したいと勘違いした、緑の人に家中を案内された後ではあったが。

 のぞき窓のついた分厚い木の扉を押す。外は、舗装もされていない砂利道だった。声をたよりに、森とは反対のほうへひたすら歩いた。

 家を出る前に、緑の人の強硬な反対により、今は大きなマントのようなものをかぶせられている。暑い。きっと緑の人の前をさまよう白いお化けに見えているはずだ。

 緑の人は、つかず離れずついてくる。手は触れない。でも、手を伸ばせば届く距離だ。一人で行かせてくれる気はないらしい。本当に昨日のあの場の翻訳を誰かしてほしい。念のためスマホに向かってしゃべってもらったが、無駄だった。


「遠いな」

「トオイナ」


 さっきから私がぼやくたびに、緑の人は繰り返している。これでは緑の人のほうが日本語を覚えそうだ。しかもろくでもない単語ばかり。

 ちょっと睨むとちょっとちっちゃくなっている。大きいのに。ちょっと面白い。緑の大きな子兎みたいだ。

 それにしても遠い。大きな声だったから、ものすごく近くから聞こえていると思ったが、時計を見れば、十五分は歩いている。もう、面倒くさい。人に会うのとかどうでもいいかもしれない。どうせ、会っても言葉分からないし。体力を奪われ、当初の切迫感も疲れに変わったころ、砂利道が舗装された道に変わって市場があった。あったけれど、せわしなく人は行きかうし、店の人は怒っているのか勢いよく話しているし、とても声をかけられない。そう、スーパーのおばさまたちのごとき熱気なのだ。完全に場違いである。私の来るべき場所ではない。もう少し、落ち着いた、私の話を聞いてくれそうな、暇で、根気強くて、優しい人を探さなければならない。市場を抜けしばらく歩くと、大きな広場があった。円形の広場は街の至る所から来られる中心部のようだ。中央に馬に乗った銅像と、噴水があった。


「騎士と姫の銅像?」


 騎士は鎧をつけた勇ましい姿で、槍を掲げていた。その前には横座りした女性が乗っている。銅像を見上げていると、緑の人に肩を叩かれ振り返る。反対側の空を指差していた。その先をたどって息をのんだ。


「お城?」


 白亜の城が強い日差しに照らされて、輝いていた。あんな建物知らない。突きつけられた現実に、涙が出た。


「そうか。遠いな」

「トオイナ」


 緑の人が嬉しそうに笑った。

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