第3話 ハルと緑の人

「ブラボー」発言からこっち、おじさんがこっちを見ている。

 なめるような、なんてもんじゃない品定めの視線である。緑の人と見比べて鼻で笑われた。緑の人はといえば、こっちを遠慮がちに眺めていたが、その視線がどうも下に見ている。川で流されかけて、太い枝をつかんだはずが、一緒に流されているゴミだったというレベルだ。

 どのような結論にいたったのか、緑の人は必死になにやら、おじさんに話し出した。おじさんはそれを無視して、こっちに手をだした。ごつい手だ。


 『お手』とぼけてはいけない。こういうのは大概の場合、金よこせのサインである。迷わず、財布を出す。金をせびられたら、渡す。その一択だ。だがここで、万札を出すのはせびられ慣れていない証拠である。慣れた人間は見せパンならぬ、見せ財布があるのだ。お札を出して、財布ごと取られても問題ないようにしておく。大事なことだ。


 ものすごく不本意な顔(もちろん作っている)をしながら、私は虎の子のがまぐち財布を出す。明らかに金入ってないだろう、安っぽいがまぐち財布だ。周りの男たちがどよめいた。おじさんの目も釘付けだ。予想外である。

 何に驚いているのかわからないが、また言葉が通じても困る。私は戦々恐々としながら、黙って千円を差出した。

 おじさんは千円をじっくり吟味し始めた。時々こっちを見てくる。

 偽札を疑っているのだろうか。マイノリティなのにマジョリティのふりを精一杯している小市民に偽造なんて度胸があるはずないだろう。と言いたいが、言葉が分からない。

 すかして見るようにジェスチャーをした。おじさんは片眉をすがめながら、日に透かすと、

 ガタガタッと音がしそうなほど、勢いよく後ろに後ずさった。

 私の顔と、千円札を何度も見比べている。

 なんだ、なんなのだ。

 唾をとばさんばかりにまくしたてられても、理解できるはずもない。

 何が地雷なのかもわからない。


 結果、無言のままおじさんをを見つめる。もうなるようになれ、である。

 しばらくしておじさんは、天をあおいで、男の一人に頷いた。

 男の人は少し驚いた顔をしたが、千円札を見せられると大人しく緑の人の前にかがんだ。

 緑の人の足元でガチャガチャと金属の音がした。


 緑の人は足首が鎖につながれていた。

 リアル社畜か。

 ドン引きである。

 男は緑の人の足首の鎖に革紐をつけると鍵と一緒に、それを私によこした。

 えっ。くれるの。いらない。弁償してくれるなら卵がいいんだけどと言えずに、鎖にドン引きし立ちつくしている間に、緑の人と何事か話し、彼らは去って行った。


 一体何があったのか。

 金をせびっておいて、まあ今回は許してやるぜも、ほらそっちもよこせもなかった。しかも手の中には緑とはいえ、人間に繋がっている紐である。

 変な趣味はないので、こんなものが手の中にあるのは不安極まりない。

 とりあえず、紐やらなにやら一式を本人に返却する。

 あとは自分でなんとかするだろう。

 いや、してほしい。切実に。

「じゃ、そういうことで」

 こちらはこちらで、なんとかしなければいけないことがいっぱいである。

 歩きだそうとしたら、緑の人が叫んだ。びっくりして振り返った。緑の人が抱き着いて、いや締め上げてきた。

 こ、殺す気か。

 生まれて初めて気絶した。



 やっぱり面倒なことになっている。

「これはどういうことなのかな」

 見知らぬベッドの上で目を覚ませば、心配そうにのぞきこむ緑の人がいた。そう、私を締め上げて落としたヤツである。いかに美人であろうと、人をいきなり気絶させるような人物にさんづけなどする必要はない。心のうちで主張する。

 私はリュックごと包帯を巻かれていた。ドン引き再び、である。リュックを下ろそうとしたら、緑の人が何やらうるさい。必死に私の手をつかみ言い募ってくる。悪い人ではなそうだが、意味が分からない。

「ちょっと静かにしてください」

 通じない。予想はしていたが。しゃべるなとばかりに両肩を押された。私は人差し指を立てると、ぴっと緑の人の前に出す。


「ちょっと黙ってください」

 静かにしましょう、のジェスチャーだったはずだが、口を開けたとたん、緑の人に何やら押し込まれた。生卵だった。それも殻混じりでじゃりじゃりだ。ちょっと待て、という間もなく、緑の人は次から次へと私の口へ押し込んでくる。

 包帯の周りに飛び散る黄身と白身。そして殻。

 何の拷問だ。

 ひとしきり、じゃりじゃりとした生卵を嚥下させられた後、身振り手振りで察するに緑の人は私の内臓が出たと思ったらしい。

 殻つきの透明な粘性物体と黄色い内臓など願い下げだし、口から内臓戻して問題ないのかと思わないでもない。だが、そこは緑の人がいる世界である。人知の及ばないこともあるのかもしれない。

 リュックを下ろし、それは自分とは別の個体であると証明したら静かになった。


 いろいろ疲れすぎた。空も暗くなりかけていた。ここがどこだとか、お前は誰だとか考えるのも面倒で、そのまま緑の人が用意してくれた怪しい色のご飯を食べ、眠った。

 生卵が大量に破裂する夢を見た。

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