第2話 遭難 緑の人
人生というのはよくわからない。
常々、そう思っている。とりあえず否定しても始まらないし、面倒くさいのは大嫌いだ。帰り道もなさそうだ。そう思うことにした。
アスファルトだったはずが、いつの間にか地面に立っていた。周りはレンガ造りの家が並ぶ。春の陽気どころか、熱い。太陽テメーと怒鳴りたくなる日差しである。遠くの人影は、どう見てもジーンズやジャージではない。三つ折りスーツとかそういうレベルでもない。もう少し布の節約を考えてはどうだろうかと勧めたくなるほど、なにやら布を巻いていらっしゃる。表面積の多さにびっくりだ。眼鏡をかけてさらにびっくりだ。五メートルは先にいたはずの人影が、目の前にあった。しかも、髪が緑色だ。
求む、日本人。
「えっと、どうかしましたか?」
しみついた下僕根性のせいで、初対面の不審者にも敬語になった。心の中は「どういうつもりだ、このやろう」である。
緑の人は、長い髪を振り乱して何事かを言ってきた。意味不明だ、さっぱりである。英語でもなさそうだし、よくわからない。
だが、周囲の人に比べ、緑の人はシンプルなものを着ている。無駄に布を使わない姿勢はなかなか好ましい。
「そうだよね、この暑い中ごてごて着るもんじゃないよね。お仲間だね。」
とりあえず愛想笑いを浮かべたところ、抱きつかれた。
「ぎゃ、痛い、卵が、つぶれる」
必死で訴えるがきいてもらえない。いじめである。死にかけの魚みたいにもがいていたところ、緑の人の向こうから恰幅のいいおじさんが走ってきた。その後ろからはお付きの人らしき人が数人走ってくる。その中の一人、無駄に体格がよく、腰には剣みたいなものをつけた男が緑の人を引き離してくれた。
「ありがとうございます」
頭を下げたところ、おじさんが緑の人に怒鳴りだした。周りの人の目も冷たい。どうやらこの緑の人も虐げられる側の人間のようだ。
美人さんなのに、親近感がわく。
だがそれとこれとは話が別だ。初対面の人間を絞め殺す勢いで抱きしめる人間はちょっと嫌だ。それに揉め事には巻き込まれないに限る。私がそっとその場を去ろうとすると、緑の人に手を掴まれた。
なぜだ。巻き込まないでくれ。手を引っ張るが抜けない。気づいたおじさんが緑の人に何かを言った。緑の人が何かを言った。おじさんはびっくりしたような顔をして私と緑の人を見比べた後、今度は私に向かってすごい剣幕で怒鳴りだした。
常々、後輩からも、たるんでいるといわれる私である。言語がかわっても人の癇に障ったらしい。罵られるのは通常営業だ。なんのダメージもない。
一応、怒られているときの心得として、「申し訳ありません」を装って斜め下を見つつ、嵐が去るのを待つ。適度なところで、同意の頷きを入れるのも忘れない。しかし、いつまでたっても嵐が去る気配はない。いい加減息がきれないのだろうか。ちょっと心配になって、上目遣いにおじさんの様子をうかがったのがいけなかった。
いきなり、おつきの一人に突き飛ばされた。私はあっさりとひっくり返った。背中で嫌な音がした。これは確実に卵がつぶれた。スーパーだったら、いやあ大丈夫ですと愛想笑い百パーであるが、今は違う。どこか分からない場所での、私の貴重な食料だ。仕返しに残った卵をぶつけたって許されるはずだ。もったいないので後で泣きながら食べる予定だが。
それに日本語が通じないということはつまり、どれだけ相手に本音をぶつけても、何この常識外れという視線も、この人頭おかしいんじゃないということも、空気読めよという舌打ちもされないということである。
「ブラボー」
試しに小さな声で叫んでみる。皆がいっせいにこっちを見た。
どうしよう。困った。なにやら言葉が通じてしまったもようだ。
しかもなにか状況が悪化した……気配がする。
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