温羅と猫又 前編

第三の段


 ある昼間に薺の机の上の黒電話がけたたましく鳴った。

 その時薺は依頼に行っていたし、初は夕飯の買い物に行っていたしで自分しか居なかったので、そのまま電話をとった。

「もしもし、龍です」

 電話に出る時の定型文を言うとそこに出たのは意外な人物で。

「おっ、龍か!」

 電話口から聞こえたのは(自称)保護者の宇留志の声だった。

 この宇留志という男は猫又である。自分たちの事務所の下に円という鎌鼬と住んでいて、現世の流行り物を専門とした店を構えている。

 何時も着流しにジージャンかスカジャンという何とも不思議な服装で過ごしており、本人自体も何とも不思議な感性を持っている。

 掴みどころのない性格をしているが、身元の分からない自分達の保護をして住まわせてくれる、身近にいる頼れる大人だ。

 保護している割には放任主義が過ぎると思う事もあるが、大事にしてくれているのはよく実感しているし、薺も初も、勿論自分もそれに深く感謝している。

「宇留志………態々電話かけないで箱階段登ったら僕達いるって何回も言ってるじゃん!今から下行くから!切るよ!」

 そう言いつつ電話を切ろうと受話器を下ろしかけると、わーっともあーっともつかない奇声が電話口から微かに聞こえるので、渋々また受話器を耳に当てた。

「………何?」

「龍今から現世来れるか?」

 その時の自分の顔は、凄まじかったと思う。顔中の筋肉が力んでいるのが分かる。

「あのね、宇留志、現世ってそんな簡単に行くところじゃないでしょ」

「大人の姿で来て欲しいから帽子被ってきぃや!ほな!原宿駅で待っとるわ!」

 優しく諭したのに自分の言うことは無視か。言いたいことだけ言われて電話を切られた。

 大きな溜め息を一つついて外出の準備をする。帽子だけ借りて家を出ようと思ったが、如何せん今の服装は派手すぎる。色としては紅に黒橡、所々に金の縁どりと普通だ。

 だが、いつか宇留志が買ってきてくれたニッカポッカが気に入り、頻繁に履くようになりはじめると、宇留志にあれやこれやと現代風なアレンジを加えられた。左の袖は肩から先が無いし、一風変わった前掛け、二の腕まである長い手甲、嗚呼、でも外履き用の足袋は気に入っている。

 とにかく流石にこの和装で現生は歩けない。ただのチンドン屋だ。

 代わりのものを、と思っても今着ている紅、縹、柿色とあった着流しも悪乗りした同居人の円の手により今では一着も普通の着流しがない。

「………薺の着流し借りよう」

 屋根裏へ続く箱階段の同じ色の着物しかない箪笥を開けながら一着引っ張り出す。

 ざっと脱いで下着になってから全身に力を込める。身体の中の氣を少しづつ大きくするとそれに比例して少しづつ身体が大きくなって、一尺ほどの二本の角が生えてくる。

 十歳位の見た目から二十歳過ぎ位の姿になった。もういいだろうと氣を止めて、出てきた二本の角を力の限り押し潰した。完全には無くならず一寸程残る。

 薺の着物に袖を通して帯を締め、箱階段を降りて、廊下を歩きつつ宇留志の同居人の名を呼ぶ。

「円ー!宇留志の帽子貸してー!」

 店番をしていた円に向かって大声で叫んだが反応がない。あ、と気づいて店への扉を開けて外へ出る。

 共同玄関を抜けて店に顔を出し、円の肩をとんとんと叩くと振り向いて、少し驚いた顔をした後に笑ってどうしたの、とたどたどしい口調で言う。

 初対面の時に円の耳は聞こえないと言うのは言い聞かされたが中々慣れない。聞こえないとは言われたが聞こえているようにしか見えない時が多々あるからである。

 その後はさっきと同じ轍は踏まない、とゆっくりはっきり話した。

「まどか、うるしのぼうし、かして!」

 そう言うと円は数度頷いて立ち上がったかと思うと、自分の肩を掴んで先程まで円が座っていた場所に座らされた。店番しろという事らしい。

 結局客は来なかったが、円は中折れ帽を持ってきてくれた。

 帽子を受け取って被る。

「りゅうくん、かっこいい!」

 帽子を被ったのを見て円は言った。

「そんな事言ったら宇留志がヤキモチ妬いちゃうよ」

「そうかしら」

 そう言いながら笑っているが、あの妖の独占欲をなめてはいけない。この間も大人の姿で円に話しかけようとするとするっと間に入っていつの間にか宇留志と話していた事があった。その時の宇留志はまさに、飼い主を取られまいとする猫だった。

「だって宇留志独占欲強いもん。僕達家族なのにさぁ………円のガード硬すぎ」

 笑いながらそう零すと、円は少し困ったように眉を下げながら言う。

「でも、それは、たぶん、どくせんよく、じゃなくて」

 最後の言葉は声が小さすぎて聞こえなかった。なんて言ったか聞いても笑って誤魔化される。こんな時は大体二人の触れてほしくない話なので深くは聞かない。

「……円が思ってるより宇留志は人間らしいと思うよ」

 笑いかけながらそう言う。

「人間らしくなかったら僕達は今頃外で野垂れ死んでる」

 円は何かを抑えるように胸に手を当てる。

「………そう、よね」

 少し円は笑ったと思うと自分の背中を押してきた。

「宇留志、よんでる、でしょ?いってらっしゃい。宇留志のこと、よろしくね」

「………任せてよ。宇留志は絶対安全に帰すから」

 そう言いながら店から出る。

 その後は円に手を振りながら門に向かって歩いていった。


**


11:30 原宿駅


 沢山の人が往来している。

 もう待ち合わせ場所の駅の前には来たのだが、門の前でもう一度電話をかけると少し遅れるということだった。

 反対車線ではカメラを構えている人が何人もいた。遠巻きにそれを見ながら宇留志の到着を待っていると、猫が前を通った。

「宇留志……?」

 少し小声でそう猫に問いかけても何も反応がない。どうやら猫違いのようだ。

 そのまま前を通った猫を眺めていると、そのまま道路に飛び込んでいった。左からは車。このままでは確実に轢かれてしまう。

「まっ……!」

 走り出そうとすると、横を特徴的な三つ編みとジージャンの男がすごい勢いで横切った。道路の端のブロックを常人とは思えない力で蹴って身体を無理矢理前に押し出す。そのまま猫を捕まえてもう一つ向こうの車線まで転がる。

 左右を確認しながらこちらまで来たのは宇留志であった。

「気ィつけぇや。渡る時は車来るか見なアカンで」

 猫に喋りかけながら地面に降ろす。

 宇留志と猫はそのまま話し始めた。(はたから見たらかなり変な人だ)

「ん〜?俺?俺は宇留志って言うねん。君は家猫やの?家出して飼い主さん困らせたらアカンで────」

 そう言いながらまだ話し続ける宇留志を周りの人が奇妙な目で見始めた。そりゃあそうだ。ただでさえ現代に余りいない、祭りでもないのに和装の男二人組で注目を集めていたのに、先程の宇留志の常人離れした身体能力のせいで益々注目が集まってしまった。そして極めつけに猫と話す(見た目)成人男性。

 正直もういたたまれない。

「宇留志!行くよ!」

「え、待ってぇな龍!ほんなじゃあな!タマちゃん!」

 取り敢えずこの場から離れたい、と宇留志の腕を引っ張って大股でどんどん歩く。反対側の、明治神宮の方面に出てきた。

 そこで初めて手を離して恨めしげな目でじとりと見る。

「もう!なんか変に注目されるし宇留志は道路に飛び出すし!轢かれたらどうすんの!」

 宇留志は笑いながらどうどうと宥めてくる。此方としては見ていて肝が冷える光景だったので、笑おうにも笑えない。

「あんな速さは速いとは言わへんわ。動きが見えるだけありがたい」

「何言ってんの………」

 先程の超人的な身体能力は本当に超人的だったのか。車は結構な速さがあると思っていたのだが、宇留志にとっては『速くない』らしい。率直に恐ろしい。

「宇留志って何か運動でもしてたの?」

「………いいや、只運動神経がええだけや」

 ふーん、とぼんやり返事を返しながら考える。少し間があったからまた触れてほしくない事であろう。

 少ししんとなった雰囲気を仕切り直すように宇留志は胸の前で手を大きく鳴らした。

「昼メシでも食べるか。何食べたいんや?」

「まっく」

「はは、好きやなぁ」

 原宿駅付近のハンバーガーの大手チェーン店には何度か行ったことがある。行っては度々宇留志に奢ってもらう。流石に自分のご飯なのだから払う、と申し出てみたものの、断られたのだ。「子供は気にせんと大人に甘えたらええんや」との事らしい。

 店に行く途中も平日のはずなのに人は多い。

「円はどうしとったんや」

「店番頑張ってたよ」

 そう言うと宇留志は顔を緩めながらうんうんと満足そうに頷いていた。

「流石円やな!」

 そうして話している間に店に着く。入って好きなバーガーを頼んで待っていると丁度お昼時なのもあって、どんどん人が増えてきた。

「龍、席見つけといて。俺が持っていったるから」

 小さく首を縦に振って店内を回っていると、丁度窓際の二人席が空いているのを見つけた。そこに腰をかけて待っていると、宇留志が注文した食べ物を持ってきた。

 いつもと同じ、好きな食べ物を前にして舌鼓を打つ。

「いただきます!」

「いただきます」

 二人でそう言って食べ始める。

 食べてる途中でそういえば、と途中でふと気になって聞いてみた。

「今日はどうして原宿駅行ってたの?」

 すると宇留志は口に入っていた食べ物を嚥下して話し始めた。

「あっこ、取り壊されるらしくてなぁ。ちょっとした知り合いの妖住んではったから挨拶行ってん。会おうにも工事中は絶対ちゃうとこ行くやろうし、出来ても新しい建物はよう落ち着かんからなぁ」

「会えなくなっちゃうの?」

「まあ……そんな感じや。今生の別れやないやろうけど、そう容易くは会われへんやろしな」

 ふーん、とぼんやりと言ってポテトを口に運ぶ。と、ピンとくる。

「明治神宮は行かないの?それなら今まで程じゃないかもだけど頻繁に会えるじゃん」

 そう言うとバーガーを食べ終わって同じようにポテトを摘んでいた宇留志が、苦虫を噛み潰したような顔をする。

「あほ、誰が天皇はんと同居したい言うねん。俺かて嫌やわ」

「ええー、いい案だと思ったのに……」

 ポテトの最後の一本を嚥下して立ち上がった。

 食べ物の無くなったトレーを持つ。

「宇留志、これ持っていくよ」

「ん、おおきに」

 トレーを返却して宇留志と合流する。席を引き払った後、すぐに人が座る。どうやら大繁盛の様だ。早めに来ていて良かった。

「んで、何するの。またお酒の爆買い?」

「いいや」

 そう言うと宇留志は照れ隠しのように頬を掻きながら続けた。

「円への贈りモン………みたいな、買いたいねん」

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