異国の姉弟と狐

第二の段


 窓から光が差し込む。だがしかしその光は太陽ではない。じゃあこの光の正体は分からないが、それは暗いこの世界を少し明るくしてくれる。

 名前も無い便利屋の従業員、初は事務所の主の薺と居候の龍の為にお茶を入れていた。本日のお茶は珈琲である。龍はまだ苦いものは得意ではないので、牛乳と砂糖を入れ、最後にクルっとスプーンを一回ししてトレイに乗せる。お茶を事務所に持っていくと煙草をふかしながら作業をしている主の机に茶を置く。近ずくとふと顔を上げた薺は、煙管を置いた。一旦作業を中断してお茶休憩するらしい。

「嗚呼、有難う」

 そう言いながら受け取る手の反対側には灰皿がある。見るとこんもりと吸い殻が山になっていた。確か昨日の晩に一回綺麗にしたから、今この本数だと、大体一日数十本は吸っている事になる。

「お若いのに煙草を吸うのは如何なものかと。お体に障りますよ」

 そう声を掛けると小さく肩を揺らしながら華は答えた。

「妖の身だ。少々は問題ないよ」

「それでも、ですよ。健康第一です」

 少し休憩したと思ったら直ぐにまた煙管を持って作業に没頭し始めたので話すのはそこそこに次は龍を呼ぶ。

「龍」

 そう呼ぶとお絵描きで遊んでいた手を止め、小走りで初に向かって行った。

「何?」

「お茶を煎れました。熱いので気をつけて飲んでくださいね」

 息を吹いて少し冷ました状態で龍に渡す。

「そんな子供じゃないぞ、僕は」

 少しムッとしながら彼は答えた。

「私からしたらまだまだ子供です」

 そう言うと、「これだから初は……」とかブツブツ言いながらも、お茶を持ってまたお絵描きをしに元いた場所に戻っていた。

 そういう所だ、と初は思う。子供っぽいと言われる所以は。

 龍という人間?をよく知っている訳ではないが見た目はとても幼い。その幼さからか、変に見栄っ張りな所があるが、まぁそこも可愛い所だろう。

 さて、と気持ちを切り替え、薺の膨大な量の仕事を手伝おうと作業中の薺に近づき、あの、と話しかけた。

「お仕事お手伝い致しますが」

「助かるよ、ではこの依頼を頼んでもいいかい?」

 そう言って渡してきたのはペラ紙一枚だ。

「簡単な見送りの仕事だよ」

 しばらくじっと眺め、内容を吟味する。どうやら外国人霊らしい。つまり自分の仕事は向こうの霊界に送るのか。

「分かりました。今から行ってきます」

「ありがとう、よろしく頼むよ」

 出張依頼だったので、いつも着ているお気に入りの、紺に梅が咲いた、シンプルな吾妻コートを羽織る。何時もその服に吾妻コートは合わない、と言われるのだが、初めて円さんから貰った服だ。デザイン的にどうこう言われても気に入っているものは気に入っているのだ。

 箱階段を少し降りて事務所の中に向かって声をかける。

「では、行って参ります」

「行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃい」

 二人の声が小さな事務室いっぱいに広がった。


**


 薄暗い部屋にホットドッグやラザニア、ゴミから漂う腐ったにおい。ハエやコバエが飛び回っている汚い部屋。

 つい数日前まで過ごしていた自分の部屋とは大違いである。

 そんな事を考えていると、また男が電話で怒鳴り始めた。ここの所、男は毎日そんな調子だから、初め頃は大泣きして収集がつかなかった隣の姉も、今は打って変わって静かだ。勿論自分も、恐怖心は微塵もない。

 話が終わったようでチッ、っと大きな舌打ちをした後強く画面に指を押して電話をきった。そのままスマホを思い切り床に叩きつける。隣の姉の肩が恐怖で撥ねる。その拍子に、自分達の手首にかかっている手錠の鎖が鳴った。その音に男がゆらりとこちらに向かってくる。

 今まで見せた事のなかった様子に、余程怒っている事は察せられた。

「悪いな、テメェらにはもう用は無くなった」

 そう言いながら性急に向けてくる銃口に不思議と恐怖は感じなかった。隣にいる姉は次第に大泣きし始める。

「アニキ!コイツら殺したら交渉が……!」

 仲間の一人が諭すように『アニキ』を説得するが、「うるせぇ!」という大声で怯んだ。

 誘拐という大それた事をする割には臆病だと思った。

「もう幾ら待っても金はこねぇ!」

 そう男が吐き捨てた後の運命を悟った。姉もそれを悟ったのであろうか、いや自分の顔色を見てそう思ったのか、手錠でままならない動きで寄り添ってきた。

「………ちょうどこのクソガキもキャンキャンうるせくてイライラしてたしよォ」

 銃に弾を込めながら、尚も男は続ける。

「あの野郎、国を平和にとか平等とか理想ばかり言ってやがったくせに…………」

 泣き叫ぶ姉。

「アイツは自分の子供の命じゃなく、理想を取った!名声を取った!」

 それから僕らを見てこう言い放った。



「テメェらは捨てられたんだよ」



**


「失礼します」

 初はあるビルに入った。

 ここらも最近は近代化が進んでいて、よく道に迷いそうになる。しかし近代化と言っても現世程ではない。宇留志さんから聞いたところ、現世で言う明治・大正時代辺り位の近代化、と言っていた。

 現世に比べるとまだまだ古いようだ。

 そうは言ってもそれなりに道も活気も、妖も変わっていった。それが何となく寂しいだとか、最近思う。

 仕事をしなければ、と返事がなかったビルの一室にまた声をかける。

「あの」

「おぉすまんすまん!」

 と、くたびれた服装の老人が、瓶底眼鏡をかけて、ポリポリと頭を掻きながら出てきた。

 この一見汚い老人が名もなき事務所に仕事を与えてくれる仲介業者だ。

 黎、と名乗っているが、噂では本当は違う名前だとか、本来の姿を隠すためだとか言われているが真相は誰も知らない。だがそんな噂も嘘みたいにそれなりに、いや底抜けに明るい妖だ。

「よぉ来てくれたな!まぁ入れ入れ!」

「いえ、お構いなく」

 さっと右手をだして牽制する。

「それより依頼の子は」

「おぉおぉ、はっちゃんは真面目やのぅ。けど真面目ばっかりじゃのうて、偶には肩の力抜いて遊んどけよ!」

 そう言いながらもいつの間にか奥に引っ込んでいる。

 暫くすると、黎が子供を二人引きずってきた。

「おい!ジジイ!離せよ!」

「やめて!大人しくしてアダム!」

 どうやらこの子達が依頼された子らしい。見た所、龍より見た目が少々年上か……女の子の方が、黎に引きずられ暴れているアダムという男の子を軽く叱っている。

 どちらも特徴的な金髪青目で、すぐに外国人だと分かる。

 やはり、事務所で吟味した内容で合っているらしい。ならばすぐ取り掛かるのみ。

「分かりました、ではお預かりします」

「お、話が早いねぇ。よろしく頼むよ」

 そう言いながらアダムを事務所の外へほっぽってじゃあのぉ、と手をふっている。

 軽く一礼をして、さて、と二人に向き直る。

「生憎、門が開くまで微妙な時間があるのでお好きな所に連れて行って差し上げますよ、えー、アダムさん、と」

と言いながら少女の方に目をやる。

「イヴです」

「イヴさん、ですか」

 そう言うと少女、イヴはにこにこ笑いながらよろしくお願いします、と頭をさげた。傍らにいるアダムはむくれた様子でそこに突っ立っていた。

「………お前の名前は。あとさん付けはいい」

 人見知りなのだろうか、少し頬を赤く染めながらアダムは聞いてきた。その時自分はまだ名乗っていない事に気付き、姉弟の目線にしゃがみ込んだ。

「……私は初、と申します。初とお呼びください」

 そうすると二人は、はつ、はつ、とブツブツ呟いていた。最後にうん、と首をひとつ縦に振って何か納得した様子だったので、で、と話を進めた。

「先程も言いましたが、門が開くまで時間があるのでお好きな所に連れて行って差し上げます。何処か行きたいところはありますか」

「………」

 二人で顔を見合わせてうーん、と言ってから揃えてこう言った。

「らぁめん食べたい」


**


「………本当にラーメンでいいのですか」

「うん」

 ラーメンが食べたいという二人をラーメン屋に連れてきた訳だが、もっと、こう、遊園地やおもちゃ屋などというリクエストが来ると思っていた初は、財布の中の余分な札を持て余していた。

 でもまぁ、丁度昼飯時だし、と店の大将の鮮やかな麺の湯切りをぼんやりと見ながらラーメンが来るのを待つ。

「いただきまーす!」

 といつの間にか食べだした二人を見て初は自分の目の前にもラーメンが来ていることに気がついた。軽く手を合わせて同じくいただきます、としてラーメンを啜りながら不思議な人間の子だ、と考えていた。

 今までの人間は御見送りする時に何処でも連れていく、と言うと、所詮人の金だと財布の中身を配慮してくれない霊がいる、要するに傲慢なのだ。

 そのため基本初や華、はたまた龍も何時も財布の中は余分に札を持っていっている。

 と言っても龍に物を強請る霊はそういないが念には念を、である。だが龍を甘く見ている訳では無い。龍は見た目は子供でも自衛は出来るし、一応神格の高い妖だから特に心配する事もない。

「やっぱりJapanのラーメンは最高ね!」

「うん、日本を訪問した以来だけど……まさか死んだ後に食べれるなんてね」

「…………美味しいなら、良かったです」

 そのままズルルと麺をすする音が続く。

「そう言えば、初の言ってた門ってなんだ?」

 そう聞いてきたのはアダムである。

「門は妖の国とあの世、つまり黄泉の国を繋ぐ大きな扉のことです。基本はこちらのあの世とを繋いでいますが、定期的にそちらのあの世とコンタクトをとるために開くのです」

「って事はあの世はあの世でも日本とアメリカは違うのか」

 これは難しい質問である。初は慎重に言葉を選びながら説明をする。

「………なんと言うか、概念が違うのです」

「がいねん?」

「イメージ、と言えば分かりやすいでしょうか。」

「ふぅん?」

「キリスト教はどんな人でも死んだら天へ行きます……っていうのは知ってますよね」

 そう言うと二人はうんうんと頷いた。

「対する日本では亡くなって天に逝くのまでは一緒ですがそこからまた輪廻転生や天国や地獄、極楽浄土など中々世界が多いのです」

 麺をすすりながら今日の仕込みはラーメン屋の大将じゃなく女将達が作ってるのか、味が違うと場違いなことを考えていた。

「まぁ私の話も付け焼き刃なものなので、余り信用しないでおいてください」

 そう言うと今まで頷くだけだったイヴが口を開いた。

「でもそしたら何で私達はここにいちゃ駄目なの?」

「此処はあの世ではなく妖の国という場所です」

 あやかし?と二人が声を揃える。

「化け物、いや、物の怪の類いが集まる国です。あの世との大きな違いは、輪廻転生がなく、死がある事でしょうか」

 そこまで言って視線を下に落とすと、三人ともラーメン鉢が空になっている。長話も駄目だ、そろそろ門が開く。

「余り長話も良くないので割愛しますが」

 手早くご馳走様をして、会計を済ませると急いで店を出る。先に出した二人は大人しく待っていた。

「我々妖は人の心に生きています。人の心からいなくなったら、つまり人々から忘れられた時が私達の死です」

「忘れちゃうの!?初の事!」

 半泣きになりながらそう言う二人を宥めながら少々呆れたように言う。

「……いえ、私はまだ生きてますよ。どこかの誰かが私の事を信仰していたり覚えてたりして頂いてるのでしょうね」

 そこからは私は静かに黙っていた。二人で仲良くお喋りに花を咲かせたからである。

 途中で駄菓子屋を覗いてみたり、キネマを覗いたりと、街中の散策をする。二人はずっとすごいすごい、と喜んでいるようだった。

「お二人は日本に来た事があるのですか?ラーメンを食べた時もそれらしき事は言っていた様な気がしますが………」

 そう尋ねると、イヴが悩ましげに笑いながらこう言った。

「………お父様の仕事でちょっと」

「着いて行ったんだよ、その時にラーメンを食べた」

「そうなのですか」

 そこで会話は途切れた。

 そこから数十分経っただろうか。目の前に威厳のある建物が見えてきた。これには後ろを歩いていた二人も会話を止めておぉ、と魅入っている。

 黒い壁に金縁の加工、装飾は至って少ないがなんとも言えない圧迫感が襲う。

「着きました。残念ながら見送りはここ迄です」

 そう言うと二人はもじもじしながら、ありがとう、と小さく呟いた。その言葉に小さく笑いながら、向こうでも安らかに過ごしてくださいね、と祈るように答える。

 二人を迎えに来ていた天使に引き渡す。

「よろしくお願いします」

「いえいえ。こちらこそいつもありがとうございます。薺さんにもよろしくお伝えください」

「はい」

 深く一礼をしてから真っ直ぐアダムとイヴを見つめる。薄く笑って、見送り後の決まり文句を言う。

「来世も良い人生となります様に」

 そのまま手を前に組んで少しだけ頭を下げる。

「行ってらっしゃいませ」

 前を見た瞬間二人が突然「ああ!」と大声をあげた。

「初!初ってなんのアマカシさんなの!?」

 何だ、態々振り返ったと思ったらそんな事か。

「………野狐ですよ。あとアマカシではなくてアヤカシです」

 二人の子供が満面の笑みを浮かべる。

「バイバイ初!ありがとうね!」

「ずっと初の事忘れないから!」

 本当に最後の言葉は聞いていたのか怪しい所だが、まあいいだろう。

 あんな笑顔を貰えたのだから。



 これが異国の姉弟と化け狐の話である。


**


「行ってらっしゃいませ」

 門から出ようとした時に聞こえたので、一瞬自分に言ったのかと思って振り向く。この門にもエレベーターガールの様なものが居るのかと思ったのだ。

 結局それは自意識過剰に過ぎなかったのだが、そんな事はどうでもいい。その言葉を発した主の方にオレは釘付けになった。

「So cute……!(スゲー可愛いじゃん……!)」

 それと見た事のあるあの双子。

「Isn't the president's child missing?(ありゃあ行方不明になった大統領ンとこの双子じゃねーか?)」

 もう死んでたのか、と他人事に考えていると、双子が大声で女の名前を呼んでいた。

「Hathu……hmm.(ハツ………ふーん)」

 初めて惚れたであろう女の名前を噛み締めながら、踵を返す。

「I feel like meeting you someday. No, I ’m going to meet you.(君にはいつか会える気がするよ。いや、会いにいく)」

 君からはとても面白い匂いがする、と得意の嗅覚を駆使する。

 常々ここは飽きさせられない、と思いながらまたオレは歩き始めた。

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