妖の国

麗月

最期は貴方と共に居れて良かった。

───君の名前、『薺』っていうのはどうだい?


───女みたいで嫌?私だって男みたいな名前だ。


───君と出会ったのが春だったから『はる』とか、縊鬼は『いつき』とも読むらしいからそれにしようかなとも思ったけど………。


───………うん、でもやっぱり『薺』がいいと思うな。異論はあるか?


**


 朝から同じ場所を行ったり来たり。昨日の事で仕事は山積みである。

 父が亡くなり、唯一の跡継ぎとして駆り出された自分がこの先、皆を上手くまとめれるだろうか。正直言うと、全く自信はない。

 今している仕事というのもただ、父の仕事の真似事であって、そこに自分の意思はそこまでない。只々苦痛であるだけの作業である。

 さらに気落ちさせるもう一つの要因として、集落で一番若い癖に跡継ぎとは、と意外とあまり良く思われていない事だ。でもそれは誰も自分の前では堂々と言わないから、所詮その程度なのであろう。

 現実逃避したように見た窓には決して青くない空と小さな日本庭園が上品に収まっていた。

 ふぅ、とため息をついたつかの間、急に玄関の方から声がかかった。

「ごめんください、拜の代理で来た薺というものですが」

 疲れていたのもあってか、驚きで肩が小さく跳ねる。上がる心拍数そのままに、駆け足気味で玄関まで移動する。

 急いで玄関を開けると一人の男が立っていた。

「はい、薺様、お待ちしておりました。どうぞお入りください」

「ありがとうございます」

 入ってきたのはくたびれた着物を着た名前の割に可愛くない、肩口まで伸ばした髪を後ろに結っている若い男である。男、基薺は恭しく礼をする。ぱっと上げた目があう。死んだ目とまでは言わないが、目が据わっていて伏し目気味、第一印象として少々近寄り難い雰囲気を醸し出している。

 観察もそこそこに、客間に案内する。静々と後ろを着いてくる様は女性を彷彿とさせる。言い方を変えると育ちの良さが垣間見える。

 客間の席を勧めながら話を切り出した。

「わざわざすみません。実は、先日お伝えしていた通り、親父が死んだんです」

 そこで懐に手を入れ一枚の紙を取り出した。紙は暫くそこに入れていたせいか、端がよれて少々汚い。

 まぁ構わないだろう、と話を続けた。

「親父の遺言に御友人の拜様の名前がありましたので、お呼びした次第でございます」

 薄く作り笑いを浮かべながらそのまま続けた。

「拜様はお元気ですか?」

「えぇ、拜も今日は来られなくて残念だ、と申しておりました」

「そうですか」

 妙な沈黙が流れる。場を壊すように薺が話し始めた。

「中を拝見さして頂いてもよろしいですか」

「あ、えぇ、それはもちろん」

 持っていた遺書を渡すと薺は真剣にそれを読み始めた。対する私は飽きずに薺の観察をまた始めた。

 男とは聞いていたが、改めて見ると女みたいな顔をしている。それは多分、彼の大きな目や長めの睫毛、長髪がそう思わせるのだろう。

 暫く見つめていると、読み終わったのか薺が顔を上げたので勝手に人を観察していた疚しさから少し慌てる。

 咄嗟にあ、とかえ、とか言いかけると、薺と被ってしまった。しまったと思ったが薺にどうぞ、と言われたのでそのまま話した。

「あの……差し支えなければ教えて頂きたいのですが、拜様と父はどのような関係か聞いた事は御座いますか?」

 男は暫く考えた後、にこっとしながら答えた。

「嗚呼、聞いた限りでは昔少々お世話になった、とか」

 はぁ、と適当に相槌をうちながら考えを巡らす。

 今まで親父の立場上たくさんの人と会ってきたが、拜、とやらの名前はは一度も聞いたことがない。もしかしたら幼い時に会っているが覚えていないだけか、それ程の仲でもないだけかもしれない。いやいや、遺書に名前が出てくる程なのだから親密と考えない方が不自然か。

 悶々と考えているとあの、と遠慮しがちに声がかけられた。若しかしたら考えた事が口に出てきていたのかもしれない。

「それにしても、お父様がお亡くなりになられたのは大層寂しいでしょう?」

「……え、いや、寂しさを感じる前に忙しさの方が大きいですね」

 少しの羞恥を持ちながら答えた。さっきから薺には何かと心を揺さぶられがちだ。

「確かに、集落の長が亡くなったとなれば尚更でしょうか」

 先程の挙動不審を気にした様子はなく、そのまま話を続けられる。

「えぇ、私は唯一の跡取り、ですし。まぁ村の住人は余り期待していない様ですが」

そうですか、と相手は素っ気ない返事をして会話は途切れた。

 そこで思い出したように茶を啜る。沈黙に耐えかねたのか、話は終わったという意か、薺は急に立ち上がった。

「では、私はここでお暇させて頂きます」

「あ、お見送りします」

 真逆このタイミングで帰るとは思わず、少し慌てて薺に続き立ち上がった。

「ありがとうございます」

 薺は柔和な笑みを浮かべながら礼を言う。その笑みに少し気を良くした私は、意気揚々として玄関まで案内をした。

 その時だ。それ迄特に世間話などもしなかった薺が玄関横の掛軸の前ではたと立ち止まった。

「庭薺…………」

「おや、良くご存知で」

 そう言えばこの人の名前も薺だった。となれば、知っていて当然かもしれない。

「美しいものでしょう」

 一緒にその掛軸を見ながら言う。薺はええ、と答えたきり静かに絵を凝視し始めた。ちらと横目に顔を見たが相も変わらず据わっている瞳で感情はよく読めない。

「………お譲りしましょうか」

 そう言うとぱっとこちらを振り向いた。その目は最初の印象とは異なり、少年の様に輝いている。

「……いいのですか?」

 余程嬉しいのであろう。その顔を見ていると、薺が持っていた方が良い様な気さえしてくる。

「面倒をかけてしまいますが、また明日お越しくださったらお譲りしますよ」

 そう提案すると彼は大きな目を更に大きくして、少しだが口を開けて笑った。この表情は大変貴重なものではなかろうか。

 手を前で合わせ喜んでいるのを見ると、輪をかけて少年らしさを感じる。若しかしたらこの人は大人になりたくて少し背伸びをしている様な人なのかもしれない。

「是非、と言いたい所ですが…………本当に宜しいのですか?大切な物でしたら流石に引き取る訳にはいきません」

 少しだけかもしれないが感情を表に出さなそうな人が笑うのを見て、自然に自分の口も弧を描く。何処か妙に勝ち誇った気分でいた。

「構いませんよ。どのみち片付けなくてはいけませんから」

「ありがとうございます!ではまた明日、再度お伺いさせて頂きます!」

 先程の冷たく思える態度とは打って変わって好青年の様な印象を持つ。

 其の儘帰っていく薺を見送った。

「おや………」

 薺が居た場所に花のような爽やかな香りが漂っていた。


**


 次の朝、お茶を入れていると控えめに戸を引く音が玄関から聞こえた。

「おはようございます、薺です」

「どうぞどうぞ、お入りください」

 暫くすると台所の入口から薺が顔を覗かせていた。

「おはようございます。お茶を入れているので良ければどうぞ」

 そう勧めると薺はでは、と受け取った。受け取った指は細いが、確りと男らしい骨張りが見て取れた。

「頂きます」

 自分も一緒に飲む。癒される。

 暫くそうして温かいお茶を堪能していると薺が此方に目を向けてきた。

「あの、仏前で手を合わせても宜しいですか?お父様の遺品を引き取らせて頂きますし、拜さんにも頼まれたので」

「勿論。父も喜ぶと思います」

 と仏壇のある和室まで案内する。

「どうぞ」

 薺はぐるりと部屋を見回した。元は父の自室だったこの部屋は、今は仏壇だけしか置かれていない。八畳程の家の中では少々狭い部屋であったが、父はこの部屋をとても気に入っていた。

 質素な部屋ですね、と最もな意見を呟きながら薺は仏壇の前に腰を下ろした。

「このお屋敷は広いですね。迷ってしまいそうです」

 マッチを擦って線香に火をつけながら薺は言った。

「大きいだけです。中はもうとうの昔ににガタがきてます。大きな村と言えども裕福なものではないのにこんな大きな家で困ってしまいます」

 苦笑しながら愚痴を漏らす。

「それに前の大戦の復興が追いつかなくて………来られるとき村をご覧になったでしょう?もう何処も彼処も崩壊してしまっていて」

 こうなっても助けを求めるには街に行くしかない。そうやって若者は出稼ぎや徴兵で村を出ていった。残された村だけで過ごす厳しさを思い出すだけで思わずため息が出る。

 このご時世、何をするにも街に赴かないといけないのは些か不便である。が、事実街の方がモノも妖も多いので、街に全く頼らずに生きるのは難しい、というよりもう出来ない。

「最近は村から街へ移住する人も多いでしょうから………そこの所は難しい問題でしょうね」

「えぇ、若者は皆新しい物が沢山ある街へどんどん行ってしまって、村を運営していくのも負担が大きくて正直首が回らなくなってきました」

 力なく笑う。いつの間にか薺は手を合わせ終わったようで、隣で立って話を聞いていたので、さりげなく座布団を出して勧める。

「………私は大戦は経験してないので小耳に挟んだ程度ですが、大変だったと聞いておりてます」

「おや、私より全然お若いのですね」

 意外だ。勝手に同い年位かと思っていた。少し申し訳ないように感じていると薺が慌てたように弁解した。

「あ、いえ、多分大戦は経験していますが、如何せん記憶が曖昧で。その………大戦辺りの数百年の記憶がすっかり抜け落ちていて」

「はぁ……それは災難ですね」

 軍人だったりしたのであろうか。妖の力を酷使しすぎたり、他の妖の能力により、何かしらの障害を持って(軽いものでは能力が使用できなくなり、重いものでは四肢欠損や記憶障害などあるようだ)浮浪人になってしまった人はよく居ると聞く。

 彼もその内の一人なのだろうか。それにしては鍛え上げられた身体と言う訳でもなく、寧ろ華奢な印象を持たせる。戦争孤児なのかもしれない。

「それにしても、大戦の事を話して貰えたとは。余り話したがらない方が多いですのに」

「………保護者のような方に教えて頂けたのです。大戦の話を聞いてみることを勧めたのはまた別の人ですが、とても内容が細かかった」

 今この国では大戦を話す、生を得て長い妖がとても少ないから、薺は貴重な体験が出来ただろう。大切な人や物が沢山なくなった。だから誰も何も話さない。

 でもそうやって何も話さない、という事は如何なものかも思うこともある。しかし話さない、と言うのも一つの選択肢だ。辛い記憶から逃げるというのは悪い事ばかりではないと思う。

 何も知らない外野である自分が兎や角言うつもりはない。

「良い保護者ですね」

「そうでしょうか」

「そうですよ」

 少し訝しげである。

 薺は余り其の保護者が好きではないのだろうか。でも年頃になると親がやけにうざったく思う時もあるであろう。

 しかしそれが成長、大人になる事だ。

「其の保護者の方は辛い記憶から逃げなかった。きっとお強いのですね」

 穏やかな気持ちでお茶を啜っていると、薺がいつになく強い語調で喋り始めた。

「さすれば貴方は弱い妖と言われざるをえないですね」

 は、と思わず聞き返した。

 言ったことについては勿論だが、初めに会った時とは違い、言葉に鋭い針が通った様な口調にただならぬ気配を感じた。

「何を、仰っているのです」

「貴方は弱い。過去から逃げて、現実から逃げて………挙句妄想を現実にした」

 膝の上の手が拳に変わった。

「貴方は此処にいてはいけません」

 打って変わって至極穏やかな顔でそう言われた。それに対して自分は頭では訳が分からないと思いつつ、だが何か言い返すことも無く、ただそこに正座していた。

「ここに来るまでに村などありませんでした。ただ腐って壊れてしまった何かが所々に散らばっていただけです。殆ど何もなかった」

 衝撃で何も話せない。只々薺の顔を見つめるだけが精一杯だった。

 そんな何も喋らない自分をちらりと見やってから、また淡々と話し始める。

「此処は大戦後、復興が追いつかず荒廃してしまった村です。貴方はそこの村長だった。

 どうやらこの村での大戦での損害は、お察しの通り絶望的だったようです。貴方は悩んだ。何しろ若衆や高能力の妖は皆大戦に行って死ぬか、出ていったきり帰ってこないかのどちらかだからです。村を復興しようにも人手が圧倒的に足りなかった。

 残った村人と貴方は家族の帰りを待ちました。でその間に何故か、どんどん死んでいく。そう、人間の信仰が無くなってきていたからです。結局残ったのは、信仰心を直接受け取れる貴方だけになってしまった。

 残された貴方は、平和だった記憶を辿っていくうち、思い出と現実が混濁してしまったのでしょう、この様な空間が出来てしまいました」

 思い当たりがないことを彼は話す。きっと話を聞く限り自分と村の過去なのだろうが。

「証拠はあるのですか?そこまで言える根拠が」

「ないです」

 即答だった。

 だがそれでおわりではなかった。

「これだけは言えます」

 そう言うと薺は急にすっと立ち上がり仏壇の前に仁王立ちになった。

「この遺影」

 今までで一番大きな声で薺は喋りだした。

「何故写真が入っていないのでしょう」

 思わず口から驚きの声があがる。自分が見る限りではどう見てもあるようなきがする。

 だが薺は終始その微笑みを崩すことはなかっ縺溘?

「そうですね………多分そもそもお父様がお亡くなりになったのは貴方の妄想。写真など残ってなかったのでしょう」

 そのまま薺は一人で話し始めた。

 いしきがもうろうとする。

「貴方はもう、人間からの信仰心が殆どないのです。人が世話をしなくなった神社あたりだと思います」

 そう言ってはいるが、もう自分に隱槭j縺九¢縺ヲ縺?k繧医≧縺ォ縺ッ閨槭%縺医↑縺??

「妖は人に覚えられてこそ妖となれる。姿がもうない貴方は、妖でも何でもない。ただの地縛霊だ」



「愚かな妖ですね…………何故、何故途中で気づけなかったのでしょうか」


「まぁどうでもいい。帰ろう」


「庭薺…………あの人は元気でしょうか」




「お邪魔しました」

 蠖シ縺檎ォ九■蜴サ縺」縺溷セ後↓縲√∪縺溷セョ縺九↓闃ア縺ョ蛹ゅ>縺後@縺溘?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る