第11話 東京墓参散歩

昨日午前中はエネルギーがなく職場を休んでしまった。午後からなんとか力がわいたので、東京を散歩することとした。どうせ眠れない。


雑司ヶ谷へは副都心線で行く。都市は様々な表情を見せるが、高層ビルと古ぼけた家屋の対比が更け行くこころをかすかにゆらす。着いたのは墓地。念願だった作家の墓参に来たのである。さまざまな方が眠られているが、観光できたわけではないので、自分に縁があった方だけを拝むことにした。


最初は夏目漱石。墓所にある花屋に行くと白黒の老猫が迎えてくれた。あざといくらいに心憎い配慮のように思える。毛並みをほめ、撫でていると、店員さんが花と線香を用意してくれる。二千五百円。一瞬、空気が煮えるが、そうそう頻繁に来るところでもないし、誠意のためなら喜んで出すことにする。すこし濁った誠意ではある。聞けば、このあたりは小説「こころ」の舞台になった場所だとのこと。どう考えても漱石マニアの店員さんが事務的を装いながらも喜んで話してくれた。せっかく仕入れた技をだれかにかけたい気持ちはわかる。辻斬られである。大きな白い墓石に水をかけ、花を供え、線香のけむりを焚きしめる。手を合わせた。


わたしには漱石の夢十夜がどうにも日露戦争の描写と批判にしか見えない。暗号のように様々な断片が埋め込まれている。腰をすえて分析したところ五割から戦いのにおいがする。たとえば冒頭に出てくる植物の露はそのまま露西亜の露であるし、第二夜にも鷺という漢字には路が部分的に使われている。日ヶ窪という地名は乃木希典に関係がある。決定的なのは第九話の杉の梢という言葉で、これは広瀬武夫「杉野はいずこ」に符合しているとしか思えないのである。このような言葉遊びを手がかりにしてみると、第四夜には膳という言葉と臍の奥があり、庚申講の意味合いが深まり、善、すなわち日本の政治家の戦争責任の話と読める。第三夜に出てくる文化五年はそのままたどると百年前にしか行き着かないが、文化の世紀の五年とみると1905年である。第五夜は「とり」という手がかりから、民話にある天邪鬼の話が埋め込まれており、登場人物をあてはめると高御産日神という皇室の祖先の神様が現れ、「火の柱のような二本(日本)の鼻息をした太った馬+女」=「新たな日本を生み出すはずだった妊婦」が奈落の底に落ちていく話に見えるのである。第十夜はあきらかにポーツマス条約と小村寿太郎である。


残念ながらこういうやり方でたどれるのは前述のように五割がやっとで、ほかの部分になにが隠れているかまではわからなかった。いずれ天から着想でも「ぷら」でもいいからなにかが落ちてきて、瞬間的に融解するときがくれば。そう願って墓石を拝んだ。


巣鴨の墓地までは都電荒川線に乗った。チンチン鳴る音が奥底の子供心をふうわりさせて、二十分程度の道行きが昭和の音を響かせた。


芥川龍之介。何冊か読んだ。中山道を左に折れて、両足がくたびれる寸前にようやく墓地のへりに掠る。作家の人生に似つかわしい寂しさを、墓石の群れの上に輝く青いグラデーションのなかに感じる。自己主張することのない中くらいの石が、卒塔婆の作り出す影に隠れていた。拙作「鵺」が芥川の作風に似ていると評されたこともあって、縁を感じ、参上した次第である。


夢十夜と同じ手法で、芥川の作品を分析したことがある。蜜柑。芥川は漱石を尊んでおり、同じやりかたが通じるところがあるとにらんだからである。汚い少女が電車のまどからミカンを弟たちに放り与える話は、第一次世界大戦の終焉と日本の将来を言祝ぐ構造が隠れていると見えた。度重なるあかのイメージは日輪を暗示する。客室に立ちこめる黒煙は暗澹たる時代を示している。踏切を越える瞬間、田舎臭い少女は天照大御神に変貌し、岩戸から出て、日の光のようなミカンを我々に与えるのである。ここまでは神話の構造が暗示されているという話であるが、では踏切はなにかという問いに対してはテキストからベルサイユ条約が適合すると読めた。蜜柑の初出は1919年であるから関連性が大いにありうる。これに関しては友人と大激論をした。テキスト外の想像を補間して鑑賞の美を重視した友人に対して、わたしは「オッカムの剃刀による物語の適切な鑑賞モデル」という概念をひねり出して対抗したおぼえがある。理系である。


蜜柑についてはほぼ分析が終了しているが、河童、トロッコなどからは同じ天啓は得られなかった。すべての文学にこの方法が通じるものではないようである。だが、この経験を通して創作者分析者としての自信を深めたことを疑う必要はなかった。


三鷹についたときは冬の日は落ちきっていて、禅林寺まではタクシーで行かざるをえなかった。暗闇の中、境内を手探りで漂い、墓石の群れを泳ぎ切ると二つのたましいが眠っていた。


太宰治。森鴎外。

太宰に対しては人生でそれほど深い性的な接触があったわけではない。金木町の斜陽館、弘前での演劇の前に何冊か読んだくらいである。ファンを名乗るにはにわかが過ぎるというものであるが、今回の墓参行では縁者に挨拶するということであったので外すことはできなかった。いまだに心の表面の皹が痛むので、いずれなにかの形でお礼参りとは思っていたのである。


鴎外を鴎外として認識したのは高校の作文の授業で、舞姫の感想文を書かせていただいたときである。担当の野中先生から表現をたいそうほめられ、5をいただいたというちょっとだけ火の通りの甘い想い出がある。高瀬舟も目以外の部分は乾いていた。


こちらの二人については語彙を分析したくらいで、妄想チックに構造を斬り並べたわけではない。だがいずれ、わたし自身のやりかたで何かを導出してみたい。


調布市国領へ。マイクロソフト時代に住んでいた街は夜に浮かび上がる幾何的な存在へと変貌をとげており、味覚の古いわたしにはもう飲み込めなかった。足をのばしたのは当時お世話になった寿司屋のご夫婦に挨拶するためであったが、二十年は彼らを行方不明にしてしまっていた。ため息とともに腹の虫が鳴ったので、当時の面影を求めてラーメン屋に入った。


くどくて大ざっぱな味噌味はそのままだったが、なんだかちょっぴり塩辛い気がした。


東急世田谷線に乗り帰宅の途へ。蛇足を覚悟のデニーズのパンケーキは無味乾燥で、疲れた中年の味がしたのである。




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