第8話 ユーザビリティの戦場における雑草

マイクロソフトではユーザビリティをかなり重要視していた。


ユーザビリティとはソフトウェアの使いやすさのことである。操作感だけでなくパフォーマンスなども含まれているかなり広範な概念だと言える。要はお客さんをイライラさせないこととも言い換えられる。


OfficeやIMEが戦争時代にあったマイクロソフトではユーザビリティに専門のチームを置いていた。デジタルな世の中にも関わらずかなりアナクロな方法、失礼、人間工学的な手法を用いてソフトウェアの品質向上を図ってきた。いや、測ってきた。何を向上させることがお客さんのためになるかを常に考え、改善のループと大ゲンカの両輪で、製品のグレードを高めてきた。高めてきたのである。


締切直前に、なんとなく反応がもっさりしているというフィードバックを得たら、現象を再現させ、ストップウォッチやプログラムで速度を測り、PMやディベロッパーに無能さを突きつけ、笑顔で殴り合って、朝日が昇る頃に「なんとか直してみたからテストしてみてくれない?」との言葉でノーサイドになるような日常だった。その結果がお客さんの満足に直結するとみんな信じていたからできたことだ。


ユーザビリティの視点が抜けているソフトウェアは、どうコストが安かったり開発速度が速かったりしてもあまり評価できない。それはわたしがテスター出身であることとは無関係ではないと思う。すべて売る側とディベロッパーの論理であり何かが虚無だと思えるのだ。


たとえば、オペレーションにおいての余計なワンステップとか、なぜこうなっているのかわからないUIだとかはマイクロソフト時代には不具合としてバンバン報告したし、PMとバトルを繰り広げた。テスターはお客様の代表だという意識が常にあったからである。少なくともマイクロソフトでは仕様の確認だけしていればよい立場ではなかったのである。


昔、あるシステムをいじる機会があったのだが、時々血が騒ぐときがあった。やはり操作が迂遠な気がするのである。この画面を表示した時のお客さんの意図はとにかく情報を早く見たいということであるはずなのだが、理由もなく検索ボタンを先に押さなければならない。なんのため?誰のため?


そう。ここなのである。いったいシステムは誰のためにあるのかという観点が欠けているとこうなるのだ。


宮沢賢治風に言うと、「ほんたうの品質は一體何だらう」である。


わたしはシステム屋を断罪しているわけではない。品質について見方を提示しているだけである。その結果が使いやすい道具につながるならばお客さんの評判を呼び、営業の成功につながる。すべてのソフトウェアにそうなってほしいのである。


どうもテスターからITの世界に入ったせいか、ケチばかりつけるケチな人間になってしまったのかもしれない。こんなのにまかせていたらモノは売れないと言われるかもしれない。しかし、こういう人間でなければ立てなかった戦場で、思い切り向かい風にいのちをぶつけてきた。競合ばかりが血を流す相手ではなかった。


マイクロソフトに入社するとき、面接で上司にこう問われた。

「うちはほかの製品に比べると品質が高くはないと思うけれども、それでも君は納得できるの?」

わたしは答えた。

「いま良くなくともシステムを改良していけばいずれはお客さんが満足してくれるものになります。」


水色に染まる用賀で、久々に青臭い雑草の香りを嗅いだ。胸の内側から薫ってくる。あのときどう戦死したかもおぼえている。昔からカーブを直角に曲がるクセがなおらない。


いまの自分が何者なのかは自分でもさっぱりわからない。


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