第6話 手紙

太宰治は「恥の多い人生を送ってきました」と書いたけれども、その何が卑怯かといったらわたしの人生をどこからか盗み視ていたようなところである。


昔の知り合いと遭うことは、過ぎ去った自分の恥ずかしい記憶と再会することでもある。


いまはFacebookという便利なナイフがあって、うまく使えばリンゴが剥けるのだが、どうにもわたしは自分の手首を切ることくらいしかできないようである。友達を集めるといっても、そこで出会うのは過去の死んでしまいたいむなしさばかり。


嘘にまみれて笑っていた何も持たない小学生。

ふてくされ、高慢に縛られた中学生。

虚無を抱いて泣いている抑うつされた高校生。

刃物を振り回して遊んでいた幼稚で無責任な大学生。

わかったつもりでいただけの盲打ちな外資時代。

期待されることばかりを望んで、病んで狂ったSE時代。

愛をもとめて結局みずから棄ててしまった日々。

5秒かけて起き上がり、0.1病で倒れることを繰り返した研究者時代。


いったいどこに一本スジの通った気高さや、エネルギイがあったというのか。どこにもない。流されて生きてきた論拠のない人生。根無し草のいのち。


ほんとうにこんなわたしと再会してよかったのだろうか。

願わくば変革された自分を晴れやかに披露目たい。

だが、彼らの屈託のない笑顔のなかにある小汚い乞食の像がいまにも芽吹いて、食虫植物のようにわたしの脳を捕食してしまうまぼろしを、どうしても視てしまう。

つらい。


閑話休題。

そんなことではだめなのだ。ダメなのである。振り絞れ。

再会を喜ぼう。自然な自分を探そう。


心の奥からアンジェラ・アキの声を拾う。「手紙」は未来の自分とのやりとりを俯瞰したような歌だ。なんでだかわからないが、邪ではないところにある氷塊が涙を流したことを覚えている。

いまのわたしはあのころの私たちになにをしてやれるか。

なにも語りかけられない。自分の恥ずかしさに苛立ち赤面するから。

気持ちはわかったからなにもするなと、ただただ抱きしめて、引きずられてあげるくらいしかない。


銃後のぼくには誰にも話せない、悩みのタネがあるのです。

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