27日目 「偽りの舞台の終幕」
ウェイトレスの制服を脱いで下着姿になったリノは、小さな声でつぶやいた。
「……たぶん、これ着るのも今日が最後だな~」
エプロンを軽くたたんでクリーニング用のカゴに入れ、
着替えを終えて更衣室を出ると、初老の女店主が声を掛けていた。
「お休みの日なのに入ってもらってゴメンね、梨乃ちゃん」
「いえいえ~。
それより、これからが忙しくなるのにシフト入れなくって、こっちこそごめんなさいです。
去年のクリスマスもお休みさせてもらったのに……」
「ふふっ、いいのよ。
そりゃあ梨乃ちゃんぐらい可愛かったら、彼氏のひとりやふたりいるわよねぇ」
「え~、ふたりはマズイですよぉ」
愛想よく笑いながら、リノはその頃のことを思い返す。
世間のムードに乗じて彼に近づこうとする敵対勢力の工作員を、リオとふたりで排除するのに忙しかったのだ。
(あっちは人材不足なのか、女子大生だとかOLだとか年齢層高くて、そのぶんどっから近づいてくるかわかんないから大変だったんだよね~)
本当に厄介な風潮だ、とリノは思う。
(……まぁ、性欲をなんでもかんでも消費に結びつけようってのは、面白い発想だけど)
そんなリノの心中など知るはずもなく、女店主はにこやかに話し続ける。
「本当に、梨乃ちゃんがお友達をたくさん連れてきてくれたり、新商品やキャンペーンを考えてくれるから、若いお客さんがずいぶん増えてねえ」
(――もともと地域密着でファミリー客層の基盤はあったから、あとはこの店の味で育った子供たちの意識を、学校やテレビの流行からもう一度こっちに引き戻してあげただけ)
もちろんそれは口に出さずに、リノは笑顔で「おつかれさまでした!」とあいさつして店を後にした。
少し歩いたところで、向こうからリオが迎えに来た。
休日でもきっちり三つ編みをして、手にはコンビニの袋を提げている。
「“お姉ちゃん”、ほんとに牛乳好きだよね~」
リノは、コンビニ袋の中の牛乳パックを指さす。
「これだけ上質なのは、あっちに戻ったらもう飲めないわ」
リオと呼ばれる少女は、山間の村の牛飼いの家に生まれた。
人手はいつも足りておらず、荷車に乗せたミルクをふもとの町まで卸に行くのは、まだ小さな彼女の仕事だった。
ある日、彼女が町から戻ると、村は根こそぎ略奪されていた――住民の命も含めて。
戦場から敗走し、野盗と化した傭兵たちの仕業だった。
その後、紆余曲折を経て暗殺組織
「リノこそ、またケーキ貰ってきたの?」
「うん、たぶん最後だし」
そんなことを話しながら並んで歩いていると、車道側のリノが思い出したように言った。
「そう言えば、この世界じゃ、守る側の人がこっちを歩くらしいよ」
車道を指さすリノに、リオは不思議そうに答える。
「どうして? 私の側のほうが、とつぜん路地に引っ張り込まれたり、窓から何かを投げられたり、危険でしょう」
「だからこっちじゃ、車のほうが危険なんだってば。
向こうの夜道は馬車も走らないけどね」
リオは、納得いかないという顔をしながら、場所を入れ替えようとする。
「でも、私でも、あの鉄の塊を倒すのは難しいわよ」
「いや、戦おうとしなくていいから……」
リノは呆れたようにそう言いながら、そのまま車道側を歩き続けた。
家に着いたリノたちは、ケーキと牛乳を冷蔵庫にしまい、自室に入った。
女の子らしく可愛い調度で揃えられた部屋を、リノとリオはふたりで半分ずつ分けて使っている。
この家の“親”はシングルマザーで、今も仕事で世界中を飛び回っており、家にいるのは彼女たちだけだ。
「そう言えばこれ、用意してきたわ」
そう言ってリオは、金属製の鍵を何本か、リノに手渡した。
「お~、さすがぁ。
儀式の場所だけど、それなりに広くて人目に付きにくくて、念のため空が見える屋外ってなると、やっぱあそこだよね」
「こっそり合鍵つくるの、それなりに苦労したんだから。
失くしたりしないようにね」
子供に注意するような口調でそう言うリオに、リノは苦笑した。
「ほんとに、すっかり“生徒会長”ね」
「私は、リノたちみたいに器用じゃないから……
常になりきっていないと、演技なんてできないわ」
「まあ、ねぇ……。
あまり目立ちすぎるのも困るから、書記ぐらいに落ち着くようなちょうどいい感じの演説原稿を書いてあげたのに、噛むたびに律儀に『すみません、すみません』と頭を下げるのがウケて、会長になっちゃったのよね~」
笑いながら、リノはいたずらっぽく尋ねた。
「――ずっと闇にいた自分が、表に立った気分はどうだった?」
「…………」
リオはそれには答えず、話題を変えた。
「それより、皇女のほうは問題ないの?
本当に彼の――
「ん~、それは向こうの領分だから。
あたしたちは契約ぶんの仕事をするだけだよ~。
もし万一、彼の力とやらが眉唾でも、『異世界から来た少年』として広告塔になってもらって、こっちの技術を取り入れた商品でも売れば、2年かけた元も取れるでしょ」
事もなげにそう語るリノを見て、リオは考える。
(こちらの世界に来て、思った……。
皇国は、商業経済というものの力を軽視しすぎている。
これからの世の中を動かすのはきっと、皇族や星術院ではなく、リノのような才覚だ)
リオにとって、年若い少女であるということは、暗殺者としてこの上ない利点だった。
しかしそのアドバンテージも、もうじきに失われてしまう。
残るのはただ、裏の世界にはいくらでもいる『女暗殺者』としての自分だけだ。
それならば……。
「だったらむしろ、星術院に取り入ったほうが良かったのでは?」
「……こっちの世界見てると、何となくわかるでしょ。
長い目で見るとね、平和で便利すぎる社会になると、お金の流れが滞っちゃうの。
適度に戦争でもしてくれたほうが、商人としちゃオイシイんだよね~」
そう言ってから、リノは珍しく少し不満げな顔になって付け足した。
「それにたぶん、ルイっちって……
あたしみたいな女のこと、生理的に大っ嫌いだろうし」
「そうなの?」
「うん。計算高い者どうしの同族嫌悪に加えて、
あたしがプライドより実利優先して誰にでも媚びを売るから。
……あと、おっぱいが大きいから」
リノの口調は冗談っぽかったが、一方のリオは真剣な表情になって、リノに向かって口を開いた。
「じゃあ……それならば、いっそ」
「――あたしたちが彼の力を手に入れる、って?」
リノが、リオの言葉を鋭くさえぎって言った。
顔は笑顔のままだが、その声には先ほどまではなかった緊張感が漂っている。
「だめだよ、“お姉ちゃん”。
この局面でわざわざ皇族と星術院を敵に回して、余計なリスクを冒すのは商人じゃなくてギャンブラーよ?
商売のコツはね、リスクを避けて、冒険しないこと。
元手さえ残れば、永遠にいつまでも商売し続けることができるんだから」
喋りながらさりげなく立ち上がり、リノは部屋の扉のほうへ移動しようとする。
「……最近の“お姉ちゃん”、ちょっとおかしいと感じてたんだよね~。
あなたには、裏の仕事をやってもらうために手を組んだんだよ。
まさか、こっちで生徒会長なんてやってるうちに、『表舞台で働きたい』なんて野心に目覚めちゃった?」
その言葉の後半を、リオはすでに聞いていない。
飛びついてリノを床に引き倒し、そのまま組み伏せる。
左腕で彼女の細い喉元を押さえつけると同時に、右手でその胸元から黒く輝く石のペンダントを引きずり出す。
「身体能力で、リノが私に勝てるはずがないでしょう。
このまま送り返されたくなかったら、おとなしく私に従って……」
抑え込まれたまま、リノはくすくすと笑った。
「自分で脆弱性を指摘しといて、何の対策もしてないわけないじゃない。
それ、偽物よ。本物は、ほら、あそこ――」
リオは、そう言うリノの目線を、つい反射的に追ってしまった。
気付いたときにはもう遅かった。
彼女が首から下げていた“転生の月片”は、リノの手の中に握られていた。
「――
リオは、光に包まれはじめた自分の手足を呆然として見下ろし、やがて我に返って叫ぶ。
「リノ……っ! 私にこんなことをして、一体どうなると……!」
「裏切った者は殺す、とか言うんでしょ。その考えが古いんだな~。
……商人ってのはね、そういうリスクは実際に起こる前に先手を打って切るものなの」
リノは、体重が失われつつあるリオの身体を押しのけて、乱れた衣服を直しはじめた。
「悪いけど、“閉じた顎”のほうにも、もう話はつけてあるんだ。
任務に失敗した自分がどうなるかの心配をしたほうがいいと思うな~。
ま、“お姉ちゃん”なら何とかできると思うけど」
「……リノ……っ!!」
怒りか、絶望か、複雑な感情に歪むリオの顔を見て、リノは軽くたしなめるように言った。
「も~、やめてよ。
あたしの顔で、そんなブサイクな表情しないで」
最後に声にならない叫びを残して、リオの姿は光の粒となって消えた。
それを見届けて、リノはふうっと息を吐いた。
リオが腰かけていた勉強机の椅子に自分もそっと腰を下ろして言う。
「ほんとはね、ちょっと楽しかったよ、“姉妹ごっこ”。
リオみたいなお姉ちゃん欲しかったし。
……でもね、どうせもうすぐ終わっちゃうウソだから。いま壊したって一緒でしょ」
そう言ってリノは、椅子の背に身体をあずけ、大きく伸びをした。
「さ~て、“お姉ちゃん”がいなくなったこと、どう説明しようかなぁ。
どうせあと3日だから、記憶をイジするのも二度手間だし」
しばらく口元に指を当てて考えてから、リノは明るい調子で言った。
「ま、とりあえず失踪ってことにしとけばいっか。
この世界の女の子も、ひとりやふたりいなくなるぐらいは、よくあることみたいだし」
リノは、部屋のクローゼットに吊るされたままの服や、本棚に並んだ本たちに目をやった。
「……もともとこの家にいた子も、そうだしね」
――あと3日。
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