25日目 『義理と真実』

 日曜の夜、階下から妹の呼ぶ声がした。


「お兄ちゃん、今日はお母さんたち出かけてるから、

 夕ご飯はカレーの残り食べててって」


 下に降りると、愛海がカレーの入った鍋を火にかけているところだった。


「……いくら子供が中高生で手がかからなくなったにしたって、

 自分たちだけ出かけて、わたしたちには残りものなんて、ちょっとヒドイよねー」


「でも愛海、カレー好きだろ」


「う……そりゃあ、家のカレーが嫌いな人なんて、そういないでしょ」


 あれから愛海は、何事もなかったかのように、普段どおりの妹として振る舞っている。


「お前も高校入ったら、部活でもしたらどうだ?

 せっかく運動神経いいんだしさ。土日も練習とか試合とかでヒマじゃなくなるぞ」


「えー、やだ。お兄ちゃんと一緒にいられる時間が減っちゃうもん」


 食卓で向かい合ってカレーを食べていると、愛海はまたじわりと微妙なラインに触れてきた。和仁がスルーしていると、愛海はかまわず話しつづける。


「ほんと仲いいよねー、あのふたり。再婚って言っても、もうけっこう経つのに」


 そこで愛海はスプーンを運んでいた手を止め、少しうつむいて言った。


「わたしは……そんな幸せな結婚なんて、できないのかな」


「なに言ってんだよ、お前……」


「お兄ちゃん」


 愛海は、真剣な声音になってそう言うと、スプーンを置いた。


「わたしはね、学校も、友達も、お母さんだって、そのためだったらぜんぶ捨てられるよ。

 だから……もしわたしがこの家を出たら、ひとりの女の子として、好きになってくれる?」


 愛海は、じっと和仁の顔を見つめる。

 和仁が口を開こうとすると、さえぎるようにさらに言葉を重ねた。


「だって、これだけ長い間いっしょに暮してて、ずっとそばにいたんだよ。

 それぐらい好きになったって、おかしくないじゃない……!」


「……愛海」


 和仁のほうも、少しだけ強めに、しかし落ち着いた口調で、目の前の愛海に向かって言った。


「俺と、お前は、兄妹なんだ」


「だから、そんなの関係ないって……」


「違う。俺たちは、同じ両親から生まれた、血の繋がった実の兄妹だ」


「そんな適当なウソつかないでよ。だって、わたしのお母さんは――」


「俺たちの母さんは、お前を産んですぐ死んだ」


 ――その死をめぐって、父方と母方の両家で感情的な諍いが起こった。

 揉め事はこじれ、解決の糸口は見えず、何より父と幼い和仁のふたりだけでは、乳飲み子の愛海を育てることは困難だった。

 そうして愛海は、母方の家に引き取られることになった。


「お前を育ててくれた揚子さんは、本当の母さんの妹なんだよ」


 母方の祖父母の死をきっかけに、幼い愛海は揚子と一緒に、再び和仁たちの家で暮らすことになった。

 死んだ母と揚子は姉妹で顔も似ていたし、血液型も問題なかった。

 母の死を知らないような間柄の人からは、いたってごく普通の家族に見えただろう。


「父さんと揚子さんは入籍してるわけじゃないんだよ。

 ただ、揚子さんはお前と……俺と父さんのことを気遣って、一緒に住んでくれているだけだ」


 ぽかんとした顔で和仁の話を聞いていた愛海は、やがて静かに視線を下に落とした。


「……それじゃ、わたしは、今まで……」


 膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめる。


「最初から、ずっと、間違ってたんだね……」


 ガタッ、と乱暴に椅子を引き、愛海は立ち上がった。


「そっか……だからお兄ちゃんはわたしのこと、妹としか見てくれないんだ……。

 これからも、一生ずっと……何があっても……」


 ふらついた足取りで、愛海は二階へと消えて行った。





 残された和仁は、この場にいない父と揚子のことを思った。

 揚子が一緒に住んでくれているのは、愛海や和仁のためだけではなく――


(たぶん、揚子さんも父さんのことを……)


 そのことに気づかないほど子供ではない。それを受け入れられるほど大人でもない。

 和仁が『恋愛』というものを無意識に遠ざけるようになってしまったのも、無理はないだろう。


 テーブルの上の冷めたカレーは、和仁がおぼえている味ではない。


(……たぶん、俺さえいなければ、この家族はうまくいってたんだろうな)





 ――あと5日。

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