24日目 「まっすぐな狂信、歪んだ正義」

 体育用具室。

 ほこりが舞い、うっすらとカビ臭い空気が漂っている。


 今日の奈々は、学校指定の体育ジャージを着ていた。

 つまり、ここにいても何の不自然もない格好だ。

 しかし奈々にとって、その部屋に置かれているものは、使い道が想像もできないようなものばかりだった。

 まるで武器庫や拷問部屋にでも迷い込んだようで、どこか不気味に感じられた。


「……同年代の女の子がそれ着てたら、校内うろついてても目立たないよね~。

 帽子以外は、ぶかぶかのパーカーと季節外れのサンダルって情報しかなかったから、見逃すとこだったよ。

 いつもどっかで拾ってきてんのかな?」


 入口のほうから声がして、奈々はあわててそちらを向く。

 そこには、制服姿の梨乃が立っていた。


「やっぱ、イルナの聖教徒か~」


 目の前にいる少女がかぶっている帽子を見て、梨乃は言う。

 麻で編まれた、猫耳を模した黒い帽子。

 それは、猫の頭部を持つ半獣半人の女神イルナを信仰する彼らが、

 常に身に着けているシンボルだ。


 値踏みするように自分をじろじろ観察してくる梨乃に対して、

 ナナは帽子ではなく、とっさにジャージに書かれた名前を隠すような仕草をした。

 しかし梨乃は、それを見てすぐに察したようだった。


「……あ~、なるほど。

 卒業するセンパイは、この時期もうジャージ使わないもんね。

 困ったチャンだな~、あの人も。自分がしくじったからって、梨乃たちの足を引っ張ろうだなんて」


 跳び箱の陰に半身を隠して、ナナは梨乃の姿を見る。


「朽永梨乃……

 いいえ、セベク商会の若き後継者候補、リノ・セベク……」


「宣伝どうも♪

 でも、王族や貴族と違って、血筋だけで地位が保証されるほど甘い業界じゃないんだよね~。

 だから皇女サマをサポートして貸しを作ったりして、功績を上げないとさ~」


「あ……あなたたちは、どうかしてますっ!」


 どもりながら、ナナは懸命に強い調子で言った。


「かっ……彼には彼の人生があり、未来があるんですよ!

 それを、己の私利私欲のために利用しようなどと……

 それが同じ人間のすることですかっ!?」


「だからぁ、彼の意思を尊重するために

 こうやってみんなして、まわりくどい手を使ってるわけでしょ~。

 だいじょうぶ、『人は恋で変わる』から♪」


 そう笑いながらリノは、芝居がかった仕草で右手を掲げ、指をパチンと鳴らした。


「――いいよ、お姉ちゃん」


「……!?」


 ナナはとっさに振り向いた。いつからそこにいたのか、すぐ後ろに梨央が立っていた。

 リノと同じ顔をした彼女は、目にも止まらぬ速さでナナを背後から羽交い絞めにする。その細い身体からは想像できないほどの力で持ち上げられ、ナナは宙に浮いた足をバタつかせた。


「わかってると思うけど、殺しちゃダメだからね~。

 こっちの世界じゃ、死体の後始末が面倒なんだから」


 くすくすと笑いながらリノは言う。


「もちろんあたしに双子の姉なんていないし、リオなんて名前も嘘っぱち。

 幻覚の一種で顔を変えて見せてるだけ。

 他の転生者の子たちは、“中の人”はあたしの身内だと思ってるみたいだけど――」


 指を鳴らした右手を、今度はゲストを紹介するかのように横に大きく広げて見せる。


「その正体は、暗殺組織“閉じた顎クルロ・タルシ”の秘蔵っ子ちゃんなのでした~♪」


「ちょっと、余計なことを喋らないで」


 ナナを抑え込みながら、リオが鋭く制止したが、リノは気にせず続けた。


「“お姉ちゃん”ってば、考えが古いなぁ。

 こういう口コミ効果で、次のお仕事が増えていくんだってば♪」


 自由を奪われたナナに向かって、リノは続ける。


「彼女みたいな裏社会と、商会との利害って、案外衝突しないものなの。

 持ちつ持たれつ、清濁併せ呑むってやつでね。

 そんなわけで事前に手を組んで、姉妹として転生してきたってわけ。

 転生先を共有していると色々やりやすいでしょ。周囲の記憶操作の手間も節減できるしね~」


 話しながら、いつの間にかリノは、羽交い絞めにされているナナのすぐ目の前にまで近づいてきていた。


 その柔らかな口調と、相手の興味を惹くような話術によって、周囲への注意力や逃げるための算段をする余裕を削るのが彼女の手なのだと、ナナは今になってようやく理解した。


「騒いでもムダだよ~。潜伏先に学校を選んだのは一長一短ってやつだったね。

 何しろここじゃ、女の子たちがいつもどっかでわーきゃー言ってるもんだから、誰もいちいち気に留めたりしない。

 うらやましいよね~、平和な世界ってさ」


 現に、そういう今も、外からは部活に興じる生徒たちの歓声や、吹奏楽部の楽器の音などが、途切れることなくけたたましく聞こえ続けている。


「ところであなた、名前は?」


「……円場奈々ですっ」


「ナナちゃんかぁ。『名を尋ねられた時は、そう名乗れ』って、教団から教え込まれてきたのね?

 だめだよ~、何でも愚直にその通りにするんじゃなくて、そのへんは自分でアドリブも利かせないと」


 言いながら、リノは体育ジャージの上着のファスナーをジジジ……と下ろしはじめた。

 マリーにもらったシャツを着た、痩せた身体があらわになる。


「歳はいくつ? ……いくらなんでも発育悪すぎない?」


 そう言って顔を寄せたリノは、ナナの瞳をじっとのぞきこむ。


「――幼い頃から教義を植え付けて、人を都合よく思い通りに操って利用する。

 ねぇ、それって、あなたがさっき非難したことと、どう違うの?」


「イルナ聖教は、私を利用したりなんかしていませんっ!

 わ、私は、自分の意思で、正義のために」


 ナナの言葉をさえぎって、リノは指先で彼女のほほに触れた。

 リノの口元は小さく笑ったままだが、視線がすっと冷たくなる。


「人はね、もともと捻じ曲がった生き物だから……

 よほど歪んだ育てられ方をしないと、まっすぐ正しくなんてならない。

 ――そう、誰かに教わらなかった?」


 そのとき、ふっと、ナナを押さえつけていたリオの力がゆるんだ。

 あわてて逃げ出そうとしたが、数歩駆け出したところで足がもつれ、転んでしまう。


「あらら、まともに走れてないじゃない。……ちゃんと食べてる?

 あたしたちみたいに周囲の記憶イジったりなんてしてないし、住む場所もないんでしょ?

 いつこっちの世界に来たのか知らないけど、今までどうやって生活してきたの?」


 ナナは両腕に必死に力を入れ、身を起こそうとする。


 ――こちらの世界では、店から捨てられる時間と場所さえおぼえれば、食べ物は簡単に手に入る。

 深夜の公園の水道で髪を洗ったり身を拭き清めたりするのも、教団での日々の修行に比べれば、決してつらいものではなかった。


 リノはそんなナナに再び近づくと、帽子をさっと奪った。


「ぼ、帽子……っ!?

 か、かえしてください……!

 それがないと、司教さまにまた叱られちゃう……」


 帽子に手を伸ばそうとするナナ。

 リノは帽子をリオに投げ渡し、ナナがそちらに気をとられた隙に、もう一方の手をナナの胸元に差し入れた。


「……やっぱり持ってたのね、“転生の月片”。

 どっかに教団の内通者が紛れ込んでたってことか~。

 あっちに帰ったら、ちゃんと“お掃除”しなきゃ」


 その手には、紐を通された黒く輝く石のペンダントが握られていた。

 ナナはそれにはかまわず、帽子に向かって虚しく手で宙を掻いている。


 リノは、石を握りしめ、静かにつぶやいた。


「――“再転生コルネ・テスラ”」


 その途端、ナナの身体が静かに輝き出した。

 蝕で月が欠けていく、ちょうどその光と影を逆転させたように、足元から徐々に光が彼女の身体を這い上がるように侵食していく。


 “月片”と呼ばれたその石は、彼女たち転生者にとっては、緊急事態時の『非常装置』でもある。そのため、触媒や儀式を必要とせず、容易に発動可能なように作られているのであるが――


「他人に使われることを想定してないんだよね~。

 こっちの世界で学んだけど、『本人認証』っていうのを組み込むといいらしいよ。

 これもあとで、星術院にアイデアを売り込みに行こうっと」


「帽子……かえして……」


 光に呑まれていく自分の身体も気にかけず、ナナはまだ帽子に向かって手を伸ばしている。


「あんまり動かないほうがいいよ~。

 イデアとの紐づけに失敗すると、元の世界の自分じゃなくて、そのへんの豚やニワトリとかに転生しちゃうかもしれないからね」


 リノは優しく諭すような調子でそう言い、最後にこう付け足す。


「……もしかしたら、そのほうが幸せかもしれないけど」

 

 リオはナナに歩み寄ると、手にした帽子をすっぽりとナナの頭にかぶせて、言った。


「教団にこう伝えなさい。

 あなたの妨害のせいで、我々の計画には大きな支障が出た。

 だから邪魔なあなたを送還した――と」


 自分と同じ顔をしたリオがそう言うのを、リノはじっと見つめていた。


 ふたりの前で、ナナの姿は小さな光の粒となり、ほこりに混じるようにして消えていった。





 ――あと6日。

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