23日目 「鎮魂を唄うにはあまりに遠く」
カイマーン公国は、広大なる“蒼き森”の只中――
河によって森が分かたれ、わずかに開けた土地周辺を領地とする小国であった。
マリーは、その四番目の公女として生を受けた。
小国の末姫など、誰も歯牙にもかけない。姫も四人目ともなると、臣民の反応も冷めたものだ。
政略結婚でどこかの王侯貴族に嫁ぐことぐらいが、自分の存在価値だ。幼いながらにマリーはそう理解していた。
年頃になると、目が悪いせいでいつも眉をひそめている不愛想な自分は、それさえ難しいかもしれないと考えるようになった。
誰も彼女に何も求めなかった。何の期待もされなかった。
生きて帰れる保証のない役目を与えられたとき、彼女は当然だと思った。
ようやく自分にもやるべきことができたのだと、安堵さえおぼえた。
……その故郷が、敵国の侵略によって滅ぼされたことを、マリーは遠く離れたこの地で知った。
単身でこの地に来たマリーの成果は決してかんばしいものとは言えなかったが、
そんな彼女の拙い働きとはまったく無関係に、唐突に何もかも終わってしまった。
生まれてから誰の役にも立ってこなかった彼女は――祖国が滅亡する、その一因にすらなれなかった。
「……だから、私にはもう関係ないことだよ。私はもう降りたんだ。
どうせ初めから上手く行く見込みもなかったけど、私がしてきたことなんて、何の意味もなかった」
目の前に座った少女が、それに対して問う。
「では、このままここで生きていくおつもりですか?」
薄暗い室内でも淡い色に輝く少女の瞳がじっとマリーを見つめる。
「私に協力していただければ、“彼”の力を借りて、あなたの故郷を奪還することもできるでしょう」
「……そしてその後は、晴れて皇国の属領になるわけかな」
「カイマーンの地は、二大強国の間に挟まれた要衝です。そのぶんより多くの軍費負担を要するのは地政的必然。
あなたのお父上はそれを嫌い、絵に描かれたありもしない自由を求めて独立を主張した。その結果がこれです。
どちらかの国について軍事的な後ろ盾を得ることが、民を守る為政者としての正しい道でした」
自分より年若い少女の口から、滔々とよどみなくそんな言葉が流れ出す。
マリーは、机の上に置かれた宛名のない白い封筒に目をやった。
祖国の末路と、父や兄たちの戦死も、彼女を通してひそかに伝えられたのだった。ほんのひと月ほど前に。
先ほど、ドアを開けて、彼女が立っていたときは少し驚いた。
「――珍しいね。私たちは、接点がないことになってるはずだけど」
「かまいません。どうせ、あと少しの間だけですし」
そう言いながら、彼女はためらわずに室内に入って行った。
もの珍しそうに部屋を見渡している彼女に、マリーは言う。
「キミたちと違って、いろいろと裏工作する余裕なんてなかったからね。
初めての独り暮らしは意外と気楽で良かったけど……まさか本当にひとりぼっちになるとは」
自嘲してそうつぶやくマリーにかまわず、彼女は椅子に腰かけると、あらためて協力を求めてきたのだった。
「……そもそも、肝心の彼の攻略がぜんぜん進んでいないみたいに見えるけど?」
彼女はうなずき、あっさりと答えた。
「そうなのです。
私が読んでいた本では、もっと手早く進行していたはずなのに、恋愛とはなかなか難しいものなのですね」
さっき戦争や政治を語っていたのと、まったく同じ調子で、彼女はそう言った。
その容姿や物腰、高貴な立場という先入観から、彼女を前にした者は、
ついその言葉の裏に何か真意があるのではと勘ぐってしまう。
だが、まだ短く浅い付き合いではあるが、マリーは気づき始めていた。
彼女には他意や嘘など何もない。口にした言葉が、そっくりそのまま彼女の考えていることなのだ。
無垢で素直で――それゆえに、人として何かがおそろしく欠落している。
「ヒロインが主人公を好きになる気持ちは、わかりました。
守ってくれたり、境遇を改善してくれたり、自分に理解を示してくれたり。
でも、どれだけ本を読んでも、どうして主人公がヒロインを好きになるのか、
その理由がわからないものばかりでした」
「そりゃあ、ヒロインっていうのはもともと、
主人公に好かれるための魅力的な存在として出てくるものだしね。
彼の力を利用しようとしているだけの私たちは、
ヒロインなんかじゃないんだよ。最初っから」
彼女は小首を傾げながら、マリーに向かって言った。
「でも、読んだ本の中にも、そういう例はいくつもありました。
ヒロインが助けを求めれば、主人公が特殊な能力で助けてくれるのです。
……私たちは、そのヒロインとどこが違うのでしょう?
もっと、魅力的な存在というものに、なればよいのでしょうか?」
友達に恋の相談をするような、真剣な表情で彼女はそう言う。
亡国の惨めな残滓のような自分が、はるかに格上のお姫さま相手に、なぜこんな会話をしているのだろう。
マリーは何だかおかしくなった。
「ま、魅力っていう意味じゃ、私たちよりもキミ……
いや、あなたのほうが分があると思うよ、アリス皇女」
机に肘をつき、マリーはうつむいた。
「親や国からも見放されて、異界に体よく厄介払いされるような私なんかよりはね」
「私も、皇女としての序列は三番目で、正室の子でもありませんわ。
ここに転生してきたのは、仮に私がこのままいなくなったとしても、皇国には何の影響もないから。
でも――」
アリスは、また少し首を傾げるようにして、うつむくマリーをじっと見つめて言った。
「君主は、戦争の前兆を把握しているものです。
あなたが間に合って、彼の力を得て公国に戻ってくる……それは最善のプランでしょう。
でも、もしそれがかなわなかったとしたら……」
アリスはそこまで話してふっと口を閉じ、マリーから目をそらした。
席を立ち、彼女はこう続けた。
「……平和なこの世界に『避難』させようと考えたのかもしれません。
まだ歳若く、人生の幸福も何も知らない、末の娘だけでも」
振り返らずそのまま部屋を立ち去ろうとしながら、アリスはつぶやくように言った。
「私たちの“
保険は多いに越したことはありませんから。
何しろもうあまり時間がないのです。次の“近界点”まで――」
――あと7日。
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