22日目 「絶対に負けられない戦いがどこかに」

「たとえばさ――」


 豆腐のパックを買い物カゴに入れながら、瑠衣は言った。


「たとえば催眠術か何かで、あたしを和仁くんのカノジョだと思い込ませたとするじゃん?

 そうしたら、荷物を持ってくれたりとか、奢ってくれたりとか、

 『カレシとして常識的にしてくれそうな行動』は、たぶんしてくれるだろうって思うんだよね」


「今日は奢らないぞ?」


「そういう話じゃないから黙って聞け」


「はい」


 和仁は、買い物を頼まれているという瑠衣に付き合って、少し遠回りして近所のスーパーに寄っていた。

 お菓子を買う買わないで揉めている親子連れとすれ違いながら、自分にはああいう経験はなかったな、と思う。

 父の仕事はいつも帰りが遅かったし、愛海たちが家に来た頃にはもう小学校高学年で、

 和仁が6時限目を終えて帰ってくるころにはもう買い物は済んでいた。


「……にしても、偉いよな瑠衣は。夕食作ったりもしてるんだろ?

 うちの妹なんか家ではゴロゴロしかしてないぞ」


「時々だけどね。料理は嫌いじゃないから。

 知らない食材とか調理法とかおぼえていくのは楽しいし」


 瑠衣は野菜売り場でネギを吟味し、それもカゴに入れる。


「――えっと、どこまで話したっけ。

 そうそう、催眠術とかで『恋人』っていう意識を刷り込んだとして、形の上ではそう振る舞ってくれるだろうけど……

 その、ハグだとかキスだとかさ、本当に相手を愛しいと思ってなきゃダメな行動って、できないんじゃないかって思うんだよね。

 術で人を自殺させることはできない、ってのと一緒で」


 後半で急にたとえが物騒になってきたが、和仁にもなんとなく瑠衣が言わんとすることはわかった。


「瑠衣らしくないような、らしいような話だな。急にどうしたんだ?」


「急ってこともないっしょ。世間はこんなムードだし――」


 瑠衣は、普段の菓子棚の一角から大きく侵食しているチョコレートコーナーに目をやってみせた。


「あんたの周りでも、最近いろいろあんじゃん?」


「ん……まぁな」


 和仁は曖昧に言葉を濁す。アリスのことはともかく、さすがに愛海とのことは瑠衣には言えない。


「でね。そうやって、表層的な認識だけ変えても影響ないんだとしたら、

 『好き』っていう感情って、いったいどこから出てくるのかな、って。

 そう考えると、ちょっと不思議じゃない?」


「お腹いっぱいの人に、『お腹が空いてる』って暗示をかけても食べられない、みたいな話?」


「まぁ、近いかも。

 つまり恋愛って、心とは別の生理現象みたいなものってことなのかな。

 ……だったら困るなー。メンタルはともかく、フィジカル面はあたし、自信ないし」


 瑠衣は冗談めかして、そう言った。


 今日こうして和仁を誘ってみたのは、単に彼を攻略しようという意図ではなく、

 純粋に和仁の様子が気にかかったからだった。

 今朝の登校時から、和仁が何か悩んでいるような、精神的に疲弊しているような、

 そんな様子をなんとなく感じ取っていた。


(……まぁ、あたしらのせいもあるんだろうけどさ)


 そして、そうやって神経を使うことに疲れてきているのは、おそらく瑠衣自身もそうだった。

 今日の彼女は、慣れない恋愛モードはオフにして、あえて素に近い自分で、喋りたいことを喋っていた。


(……たぶん、このへんの波長は合うと思うんだ)


 本当はきっと、こういう他愛ない話をずっとダラダラとしているのが、いちばん居心地がいい。

 彼もそうなんじゃないかと、根拠もなく自惚れていたい。


 でも、それではダメだ。


 ――他の誰かに取られてしまえば、それも出来なくなってしまうから。


 赤一色に彩られたチョコ売り場の飾りが、避けられない戦いを煽るように揺れる。





 ――あと8日。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る