21日目 「大事な部分は湯けむりに隠されて」
湯気の向こうに梨乃の白い背中がある。
すべすべとして柔らかい背中から泡を流してやりながら、梨央は言った。
「はい、もういいわ」
「ありがと~。じゃあ次は、お姉ちゃんが髪を洗う番ね」
梨乃がうなじのあたりの後れ毛を押さえていた手を下ろすと、背中側からでも存在がわかるふくらみが揺れる。
先に背中を流してくれた梨乃は、どんな気持ちで自分の筋張った後ろ姿を見ていたのだろうと、ふと梨央は考える。
考えても無意味なことだと知りながら。
「それにしても、つくづく……自分と同じ顔が目の前にあるって不思議ね~」
多少はゆったりめであるとは言え、ふたりで入るには決して広いとは言えない浴室で、梨乃は濡れた手をそっと梨央の頬に当てる。
梨央は眉ひとつ動かさず、じっと梨乃を見返す。
「何を今さら」
「いいでしょ、あたしたちだって、いつまでも一緒にいられるわけじゃないんだし。
……ほら、こうしてお風呂で髪を上げてれば見分けがつかない」
「むしろ顔以外の部分で見分けがつくでしょう、裸なら」
「まぁ、ね~。……お互い、生き方は全然違うしね」
梨乃の手が頬から首筋へ、そしてさらに下へと移動しようとするのを、梨央はさりげなく払いのける。
梨乃は意に介した様子もなく、湯船に身を沈める。色と香りのついた湯が、彼女の半身を飲み込むように揺れる。
「せっかくだから、ゆっくり温泉巡りでもしたいけど、JKの分際じゃそうもいかないかぁ。
“草津”ってどこだろ?」
入浴剤のパッケージを見ながらつぶやく梨乃にかまわず、
梨央は三つ編みのくせが残った黒髪を下ろして洗い始める。
視線もつぶやくような口調もそのままで、梨乃が言う。
「……ちゃんとチェックしてるからね~。
お姉ちゃんが、あたしの知らないところで、アブないことしてないかどうか。
痣とか傷とかあったらすぐわかるんだから」
「リノこそ……私が注意しないと、湯上りにいつも着け忘れるでしょう、あれ」
「あたし、金属のアクセってあんまし好きじゃないんだよね~。
縛られてるみたいで」
バスタブの縁に手と顔を乗せて梨乃は言う。
「……ま、ある意味、縛られてるか」
「肌身離さず持ってなきゃダメじゃない」
たしなめるような口調でそう言う梨央に、梨乃は苦笑いする。
「ふたりでいるときも、もうすっかり生徒会長が板についてきちゃったね、お姉ちゃん」
「……あとしばらくの間だけよ。
リノこそ、あのお店の仕事がずいぶん気に入ってるみたいだけど」
「うん、バイトは楽しいよ~。
制服は可愛いし、残り物のケーキは美味しいし、レジ打ちは面白いし」
梨央は手早くシャワーで髪を洗い流しながら、少し呆れたように言う。
「お金が大好きだものね、リノは」
「守銭奴みたいな言い方しないでよ~。
お金が好きなんじゃなくて、お金の流れが好きなの。
このお客さんがどんなふうにこのお金を稼いで、そしてこのあと誰の手に渡るのかとか」
無意識なのだろうか、やたら手慣れた様子で紙幣を数えるような仕草をしながら、湯につかったまま梨乃はおしゃべりを続ける。
「……そして慣れてくるとね、お金だけじゃなくて感情も見えてくる気がする。
好意とか悪意とかが、どんなふうに人の間を行き交っているか」
「見えるって、殺気とかみたいに?」
髪の水気を切ってまとめながら、ごく自然なことのように梨央は言った。
「そーゆーのはお姉ちゃんぐらいだと思うけど……」
「つまり……好意を受け取るのは、お金を受け取るみたいなもの、ってことなのね」
「ううん、逆。
人から向けられる好意って、『負債』みたいなものなんだよ。
融資を受けるみたいに割り切って使い回して運用できる人ならいいけど、
『気持ちを返さなくちゃ』って考える人ほど、後ろめたさが利息みたいに膨れ上がって、身動き取れなくなる」
そして、えてしてそういう人ほどまた余計な好意を抱え込み――
梨乃は、周囲に散った泡を指ですくいとり、ふうっと吹き飛ばした。
……それを食い物にしようとする連中に、目を付けられてしまうのだ。
――あと9日。
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