18日目 「降板者は招かれざる黒子と語る」

 それは昨日のことだった。

 奈々は、親しげに並んで歩く和仁と瑠衣の姿を、物陰から監視していた。


「今度は、あの女ですか……。

 こっちも油断ならないです……」


 わりと大きめの声で独り言をつぶやきながら、ふたりを追って屈んだ姿勢で移動する。

 和仁たちからなるべく見えないようにしているつもりなのだが、他の角度からは丸見えで、むしろ目立つ。


「ずいぶんと主張の激しいストーカーもいたものだね」


 頭上から声がした。

 視線を上げるとそこには、眼鏡をかけた少女――海馬万莉が立っていた。





 そして、今日。

 奈々は簡素なベッドの上で目を覚ました。


「あ、起きた?」


 古いオフィスに置いてあるようなスチール製の机と椅子に腰かけて、

 コーヒーカップを手にした万莉が、そう声をかける。


 昨日あれから、半ば強引にこの部屋に連れ込まれて……

 食事を与えられ風呂に入れられ、いつの間にか泥のように眠り込んでしまっていた。

 着ていたワンピースとパーカーは、丁寧に畳まれて枕元に置かれ、

 紐を通した黒い石のペンダントが重しのようにその上に乗せられている。


 シーツの下の身体は、大きめのTシャツ以外は何も身に着けていない。

 はっと頭に手をやり、傍らにあった猫耳帽子を取り上げてかぶる。


「キミは、ナナって言ったっけ?」


「はい、円場奈々ですっ!」


 反射的に答えてから、奈々はベッドの上に正座で座り直した。


「ずいぶん疲れてたみたいだけど、いったいどんな生活をしてるの?」


「は、はい。しばらくケーサツに捕まってたんですけど、

 身元ナントカにアリスの名前を出して、そして隙を見て逃げ出してきました!」


「また無茶苦茶な……」


 万莉は呆れたようにそう言ったが、咎めるような口調ではない。


 奈々は、殺風景なワンルームを見渡した。昨日から、万莉以外の人間の気配はない。


「ここは、あなたひとりで住んでるんですか?」


「家族とか、何かと面倒だしね。

 他の子たちはよくあんな生活をしていられると思うよ」


 およそ飾り気のないコーヒーカップに視線を落とし、奈々のほうは見ずに万莉は言った。


「それでキミは、どうして彼――入枝和仁くんをストーキングしているわけ?」


「……彼は、頭のおかしい女たちに狙われているんですよっ」


「そうかもね」


 万莉は事も無げに答えて、コーヒーを一口すすった。


「わ、私は……彼を救いたいんです! 救わなきゃいけないんですっ」


 奈々は、シーツをはねのけ、ベッドから勢いよく飛び降りた。


「私は、ずっと見ていたからわかりますっ。

 あなた……万莉さんだって、彼と接点を作るために色々やってましたよね!?」


「学年が違ったからね。同級生なら良かったんだけど、贅沢言える立場でもないし」


「……で、でも、あのバス停とかで、いい雰囲気だったじゃないですか。

 あなたは優しくて、いい人です。

 あんな女に渡すぐらいなら、あなたのほうがずっと……」


 万莉は、会話を区切るようにコトンと音を立ててコーヒーカップを置いた。


「あの時には、もう遅かったんだよ。

 私は、そういうのからもう降りたんだ。

 私がキミに優しくできるのは――ただ、もう何もかも意味がないから」


 万莉は立ち上がって奈々と向かい合い、小柄なその肩に手を置いた。


「キミは、真っ直ぐだね」


 意味がわからず、奈々はきょとんとして万莉の顔と肩に置かれた手を交互に見比べる。


「人は、壁にぶつかったり、何かに板挟みになったりして、折れ曲がって伸びていくもの……

 キミのその真っ直ぐさはさ、いびつなんだよ」


「わ、私は……」


「しばらくここに置いてあげたいけど、そういうわけにもいかないだろうね。

 もう帰ったほうがいい。ここは、キミのいるところじゃない」





 ――あと12日。

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