7日目 「恋の教科書は」

 昼休み終了の予鈴が鳴り、違うクラスの友人たちと学食でダベっていた和仁は、

 自分の教室に帰ってきた。


 席に座る。……なぜだか妙な違和感をおぼえる。


 そっと右側に視線を向けると、隣の席に座ったアリスが、

 教科書を開きながらにこやかに手を振っていた。


「迎田さん……? なんで……」


 彼女とはクラスが違うはずだ。


「午後の授業だけ、佐藤さんに代わっていただきましたの」


「……またお金で頼んだの?」


「もちろんですわ。

 人に何かをしていただくには、見返りを差し上げるのが当然ですもの」


 得意気な表情でアリスはそう言う。

 そのときちょうど教師が教室に入ってきたので、

 和仁はとりあえずそれ以上触れるのをやめた。


 授業中もアリスはチラチラと――

と言うよりむしろ7:3ぐらいの割合で、隣から和仁の顔を見つめてくる。

 

(……どうして先生は何も言わないんだ?)


 高校生活始まって以来の居心地の悪い1時間が終わり、

 教師が出ていくと、和仁はあらためてアリスに話しかけた。


「あのさ……俺、何かした?

 もし用事があるんなら……」


「いえ……? 御用と言いますか……」


 アリスは軽く小首をかしげ、微笑みながら続けた。


「好きな方とは、授業中に落ちた消しゴムを拾ってあげたり、

 ふと目と目が合ってしまったりするものだと、本に書いてありましたので」


「え……」


 和仁が絶句すると、そこでアリスは初めて少し慌てたように、

 机の中から一冊の文庫本を取り出した。

 表紙に可愛らしい女の子のイラストが描かれた、いわゆるライトノベルだ。


 そのページをめくりながら、アリスは独りごとのように言う。


「そうでした、『好き』という言葉は、

 まだここでは言ってはいけないんでした……。

 ちょっとしたことで張り合って険悪になったり、

 転んだ拍子にスカートの中を見られたりする展開を飛ばしてしまいましたわ」


 しばらく小声で何かつぶやきながら、

 一心にページを手繰っていたアリスだったが、

 やがてパタンと本を閉じ、和仁のほうに向き直った。


「致し方ありません、このまま先に進むことにしましょう。

 次は放課後のデートから――」


 そのとき、廊下を駆けてくる足音が聞こえてきたかと思うと、

 教室後ろの扉を勢いよく開けて、瑠衣が飛び込んできた。


「――ここで何してるのかな、迎田さん?」


 軽く息を整えながら、座ったままのアリスを見下ろし、

 瑠衣は苛立ったような声でそう言った。


「あら、黒古多さん」


 こちらは全く動じる様子もなく、アリスは瑠衣の苗字を呼んだ。


「うん、あなたと同じクラスのね。

 ……ぶっちゃけあたし、あなたがあまりおかしな事をしないよう

 見張ってくれって言われてんの」


「それは、どなたに?」


「いろんなトコからよ」


 そう言う瑠衣に腕を引っ張られ、アリスは連れ去られていった。


 周囲からの好奇やひんしゅくの視線を一身に受ける和仁には、

 アリスの言葉を深く考える余裕はなかった。





 ――あと23日。

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