3日目 「遠くに在りて思うもの」

(そう言えば、英語のノートがあと何ページかで終わるんだった)


(そう言えば、英語のノートがあと何ページかで終わるんだった)


 近所の文具屋にノートを買い足しに行き、家へと向かう帰り道、

 和仁はふとバス停の前で足を止めた。


 日が暮れるのが早い季節だ。すでにあたりは薄暗くなりかけている。

 車道を挟んだ反対側のバス亭のベンチに、女性らしい小柄な人影が腰掛けていた。


 別に何ということもない光景のはずだ。しかし、和仁はなぜかその人影が気になった。


 ちょうど向こうからバスがやってきて停車し、人影とベンチを覆い隠す。

 和仁は再び自宅へ向かって歩き出す。


 発車したバスのエンジン音を聞きながら、数メートル歩いたところで、

 和仁はふと後ろを振り返った。


 ――さっきの女性が、まだじっと動かずベンチに座っていた。


(…………)


 少し逡巡したあと、和仁は来た道を戻って行く。

 通りを渡ってベンチに近づく。


 ダウンジャケットを羽織り、そのポケットに両手を突っ込んで、

 その女性はじっとうつむいている。

 切り揃えられた髪が顔を隠しているが、和仁はそのシルエットに

 見覚えがある気がした。


 さらに数歩、近くに寄ってみる。ダウンの下から覗く黒いタイツを履いた脚と

 紺色のスカート。そこに入った特徴的な白いラインは、和仁の高校の制服のものだ。


「……海馬かいま先輩?」


 思い切ってそう声をかけてみると、彼女――海馬万莉マリはそっと顔を上げ、

 黒縁のメガネ越しに、濡れた瞳で和仁を見た。


「あぁ、入枝くん。……だっけか」


 3年生の先輩が、土日のこの時間に制服姿でいる……

 和仁はそこでようやく思い当たった。


「……試験、上手くいかなかったんですか?」


「ん……まぁ、そんなとこかな」


 万莉は淡々と答えたが、鼻にかかるその声は明らかに泣いていたあとのものだ。


「えっと、その……センターぐらいどうにだってなりますよ。

 何なら来年だってありますし!」


 それを聞き、万莉は苦笑した。


「キミは、慰めかたが下手だねえ」


 メガネを外し、万莉は指先で目元をぬぐった。

 和仁は、メガネをしていない万莉の顔を見るのは初めてだった。

 黒く塗れた睫毛の長さに一瞬ドキリとした。





 ――あと27日。

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