第35話 切ないウソ

「親父っ……」


困惑の表情でお父さんを呼ぶ谷崎。


だけど……。



お父さんには私が見えてない。


目の前にいるのに。


今ここにいるのは、私なのにーーーー。


お父さんには、楓さんしか見えていない。


きっと……お父さんとお母さんの胸にも、ずっとずっと楓さんが存在しているんだ。


忘れられずに、今でもずっと……。


たぶん。


私なんかが入り込む隙などないくらい、谷崎の家族と楓さんは深い絆で結ばれていたんだ。


そこまでの存在の人だったんだーーーー。



〝愛してる〟ーーーーーーー



その言葉が、お父さんの口からなんの違和感もなく自然に出るほど。


谷崎は楓さんのことを想っていたんだ。


好きだったんだ……ーーーーー。



「春姫、ごめん。ちょっと……」


黙っている私に、谷崎が手招きしながら病室の外に出るよう促した。


パタン。


ドアを閉めると、谷崎がすぐに謝ってきた。


「ーーーごめん。気ィ悪くしないでくれな。親父のヤツ、まだ意識がハッキリしてないんだと思う。たぶん倒れたせいで頭ん中がゴチャゴチャになってて、誰が誰だかわかってないんだよ」


「……ううん。気にしないで。私の方こそ大変な時にズケズケ来ちゃって……。お父さんのこと混乱させちゃったみたい……。ごめんね。私、そろそろ帰るね」


「わりぃな……」


「ううん。あ、お母さんによろしく伝えてね」


「おう。下まで送るわ」


「いいよ、大丈夫。じゃあね」


私は笑顔でそう言うと、軽く手を振って歩き出した。


だけどーーーー。


「店長……」


私は立ち止まって振り向いた。


「あの……」



ーーーーーーー楓さんて。


店長の昔の恋人だった人なんだよねーーー


そう言おうとした。


だって、お父さんの口から〝楓さん〟という名前を何度も聞いていたのに。


楓さんのこと、私は知ってるのに。


なにも触れないのも、黙って知らないフリをしているのもなんだかすごくイヤだったから。


だから私は、打ち明けようと思ったんだ。


お母さんに会いに行ったこと。


お母さんから楓さんの話を聞いたこと。


だけどーーーー。


谷崎の口から出た言葉が、それ以上私になにも言えなくさせてしまったの。


「あの……〝楓さん〟って。店長の……」


「ーーーああ。誰だろうな。親父の知り合いかなんかだろ、きっと。まぁ、なんでもないよ」


え……?


谷崎が、私の言葉が終わらないうちに、軽く笑いながらそう言ったんだ。


私と目を合わさずに。


谷崎は、楓さんのことを隠してごまかして。



私にウソをついたんだーーーーーーー。



「どした?」


「……あ、ううん。……じゃあ……」


私はくるっと向き直ると足早に歩き出した。


廊下の角を曲がり、谷崎も病室も見えなくなったところで私は立ち止まった。


ドクン、ドクン、ドクン。


胸が重く鈍く鳴っている。


私は胸を押さえた。



ーーーーーなんで?



なんで谷崎は楓さんのことを知らないなんて言うの?


どうしてウソをつくの?


私は知ってるんだよ。


楓さんは、7年前に亡くなった谷崎が愛した人でしょ?それを……どうして隠すの?


人には触れられたくないことだから……?


話したくない、過去だからーーー?


それって結局、谷崎の中では過去のことになってないってことだよね……?


誰かに話したりできないくらい、話すと辛くなるくらい、谷崎の胸の中には楓さんがいるってことだよね……?


それって。


今もまだ、好きだってことでしょ?


じゃあ……。


どうして私に好きだなんて言ったの?


いつか彼女にしたいなんて言ったの?


もしかして、あのマザコン男の妹とのお見合いをやめさせるためだけに私を利用したの?


ううん……そんなひどいヤツじゃない。


だけど、そんなことすら考えてしまう。


どうして?って思ってしまう。


だって……楓さんのこと隠してほしくなかったよ。


ウソついてほしくなかったよ。


私のことホントに好きでいてくれるなら、ちゃんとホントのこと言ってほしかったよ。


そんな風に、あからさまに目をそらして動揺しないでよ。


そんな気持ちで、なんで私に好きだなんて言ったの?


ずるいよ。


自分はまだ楓さんが胸の中にいるのに、ずっとずっと想ってるのに。


私に思わせぶりなこと言って。


ずるいよ……。


好きになっちゃったのに。


こんなにも。


私の胸の中には、もうあんたがいるのに。



ずるいよ……ーーーーーーー。



私は涙を振り払って駆け出した。






パーーー……パッパーーーー……



遠くからぼんやり鳴り響いているクラクションの音。


たくさんの人や車が行き交う夜の大通り。


私はボーッとする頭のまま、フラフラと街の中を歩いていた。


ドンッ。


「いったーい」


すれ違う若い女の子にぶつかってしまった。


「あ……ごめんなさい……」


私は、横目で通り過ぎていく女の子グループにぺこッと頭を下げた。


もう……帰ろうかな。


そう思ったその時だった。


数メートル先の道の真ん中で、4、5人の男達がなにやら揉めあっている様子に私は気づいたんだ。


ザワザワしながらも、見て見ぬフリをしながら通り過ぎていく人々。


なに?


私は遠目から様子を伺った。



「おい。なにわざとぶつかってんだよ」


20代前半くらいのチャラ男風な男3人組が、ちょっとひ弱そうなおとなしいタイプの高校生2人組に詰め寄っている。


「い、いえ。わざとだなんてっ……」


ビビって怯えている男子生徒。


あれはどう見てもただの言いがかりだ。


あのチャラ男3人組め。


いつもの調子で一歩踏み出そうとしたその瞬間。


私の中には、さっきの病院での出来事が蘇ってきたんだ。



〝楓さん〟ーーーーーーーーーー



彼女の名前を呼ぶお父さんの声が。


何度も耳の奥から聞こえてくる。


彼女の名前が、頭から離れない。


優しくて、綺麗で、器用で、女の子らしくて。


みんなに愛されていた、楓さん。


やまとなでしこの、楓さん……。


楓さんは、ケンカの仲裁に入ろうと無理やり割り込んでいくような男勝りなことは絶対しない。


私みたいな……。


こんな女の人じゃないーーーー。



私の目の前で、理不尽な言いがかりをつけられて困っている男の子達がいる。


だけど。


私はその場から一歩踏み出すことができなかった。



どうしても、動くことができなかったんだ。





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