第34話 呼ばれた名前

「はい、谷崎」


すぐに電話に出た谷崎。


私は『またホテルの仕事かな。ホントに忙しいんだな』なんて思いながら作業を続けていたんだけど。



「ーーーーーえ?」



突然、谷崎の声のトーンが変わったんだ。


私は動かしていた手を止めて谷崎の方を見た。


どうしたんだろう。


なんかトラブルでもあったのかな。


最初はその程度に思っていたんだけど、どうやら様子がおかしい。



「ーーーーーわかった、すぐ行くから」


妙に冷静な面持ちで、谷崎が電話を切った。


「……どうしたの?」


私が尋ねると、谷崎の口から思いもよらない言葉が飛び出したんだ。


「春姫、親父が倒れた。意識がないらしい。オレ、今から病院行くから。店頼むな」


え……?


谷崎のお父さんが、倒れたーーーー?


「まぁ、たぶん脳梗塞かなんかだと思うんだけどさ。大丈夫だよ、そんな心配するなって」


谷崎が、蒼白になっている私の頭をポンポンなでた。


「とりあえずまたあとで電話するわ。じゃあな」


そう言うと、谷崎はジャケットを羽織りながら足早に店を出て行った。


谷崎のお父さんが……ーーーーー。



突然の知らせに、私の心臓はドクドク鳴っていた。


前からお父さんの体の調子が悪くて病院通いをしているということは谷崎から聞いていたけど。


倒れて意識がないなんて……。


どうしよう、大丈夫かな……。


お父さんのあの優しい笑顔が私の頭の中に蘇る。


冷静な谷崎だったけど、内心きっとものすごく不安なハズだ。


愛する恋人を失った悲しみを抱えている中で、お父さんまでもなんて……。


私は慌てて頭を振った。


そんなこと考えちゃダメ。


お父さんはきっと大丈夫、きっと意識を取り戻すよ。


そうじゃなきゃ……そんなの悲し過ぎる。


私はぎゅっと手を組んだ。



神様、どうか……谷崎のお父さんを助けて下さい。


お願いしますーーーー。


私は、張り裂けそうな想いで祈り続けた。




ーーーーーーーーーーーーーー




閉店の時間。


谷崎からの連絡はこない。


私は不安な気持ちで胸がつぶれそうなまま店を出た。


ガチャガチャ。


鍵をかける。


電話、こないな……。


あとで連絡くれるって言ってたけど……なにかあったのかな……まさか……。


イヤな想像が私の頭の中を駆け巡る。


と、その時だった。



ブブ、ブブ、ブブーーーー。


バイブにしてあるケータイが、私の手の中で鳴った。


きた!谷崎からだっ。


私はすぐさまに電話に出た。



「も、もしもしっ?店長?」


『おう、遅くなってごめんな』


いつもの谷崎の声。


でも、少し疲れてる様子。


「……お父さんの具合はっ……?」


私がドクドク鳴っている心臓を押さえながら聞くと。


『ああ、大丈夫だよ。さっき意識が戻った。今は点滴打って眠ってるよ』


谷崎の明るい声で、返事が返ってきた。


意識、戻ったんだ……。


「よかったぁ……」


安堵のあまり、私は力が抜けて思わずその場にへたり込んでしまった。


ああ……ホントによかった……。


嬉しさのあまり、涙が出てきてしまった。


会いたい……。


谷崎にも、お父さんにもーーーー……。


「……店長。どこの病院?私もこれからお見舞いに行ってもいい?」



私は近くの花屋で花束を買うと、谷崎のお父さんがいる病院へ向かったんだ。




数十分後。


病院に着いた私を谷崎がロビーで出迎えてくれた。


「春姫、花まで買ってきてくれたのか?わざわざありがとうな。親父もお袋も喜ぶよ。


谷崎が笑顔で言った。


「お父さん、意識が戻ってホントによかった。心配で仕事どころじゃなかったよ」


私がそう言うと、谷崎もちょっと笑って私を見た。


「正直オレもちょっと焦ったよ。まぁ、歳も歳だしな。ここんとこ疲れ気味で、ずっと体の調子も悪かったから。ぶっ倒れでもしなきゃいいけど、なんて思ってたとこだったからさ」


やっぱり谷崎も不安でいっぱいだったんだね。


電話がきた時は、私にも心配かけないように毅然と振舞ってたんだろうな。


でも、また谷崎の笑顔が見れてよかったよ。


「お母さんは大丈夫?」


「ああ。お袋も、自分がしっかりしなきゃっていう気持ちがあったんだろうな。取り乱しもせず落ち着いてたよ。ホントは内心ビビってたと思うけどな」


「そっか……」


谷崎と話しながら歩いているうちに、お父さんの病室の前にたどり着いた。



ガラ……。


谷崎がドアを開けると、お母さんが笑顔がで出迎えてくれた。


「春姫さん、わざわざ来てくれてホントにありがとう。ごめんなさいね、あなたにまで心配かけてしまって」


お母さん、たぶん気を張っていたせいだと思うけど、とりあえず元気そうでよかった。


「いいえ。全然です。あの、これ……」


私がそっと花束を差し出すと、お母さんが嬉しそうに私に言った。


「まぁ、綺麗なお花……。春姫さん、どうもありがとう。主人もこれを見たらきっとすぐに元気になってしまうわ。今は落ち着いてるんだけど、いろいろ詳しい検査もしなくちゃいけなくて。それでしばらく入院することになったから、いろいろ必要な物も揃えてきたのよ。でね、花瓶も持ってきたの。でも、肝心のお花がまだだったからとっても嬉しい。さっそく飾らせてもらうわね」


お母さんはそう言って、花束と花瓶を持って病室を出て行った。


私はお父さんが寝ているベッドに静かに歩み寄った。


「ごめんな。せっかく来てくれたのに、親父眠ったままで」


「ううん。私こそ急に押しかけちゃってごめんね。でも、お父さんにも会えたし、お母さんとも話せたし。嬉しかった。ありがとう」


「いや、春姫が来てくれたおかげでお袋も嬉しそうだったし、ちょっと元気になってたわ。こっちこそサンキューな」


谷崎が笑顔で私に言った。


私も嬉しくて自然と笑顔になる。


「お父さん、しばらく入院なんだね」


「ああ。もう一度詳しい検査して……。まぁ、たぶん手術することになるだろうな」


「そっか……」


「春姫、座れよ」


谷崎が、壁側に置いてあるイスを私の前に持って来てくれた。


「ありがとう」


私はそのイスに座った。


そして、そっとお父さんの手を握った。


谷崎のお父さんに会うのは今日で2回目。


きちんと話せたのは、まだ1回だけ。


だけど……あの時のお父さんの優しい笑顔がとても印象的で、私はなんだかとても好きだった。


お父さん……早く元気になって下さいね……。



「……目が覚めたら、春姫が来てくれたことちゃんと親父に言っとくよ」


谷崎が、優しい笑顔で私の肩にそっと手を置いた。


「うん」


私も笑顔で谷崎を見上げたその時。


握っていたお父さんの手が、かすかに動いたんだ。


「あ」


私が慌ててお父さんを見ると、お父さんがゆっくりとまぶたを開けた。


「親父、目ェ覚めたか?わかるか?」


谷崎の声にお父さんがゆっくりとうなずいた。


「お父さん、大丈夫ですか?」


私が話しかけると、お父さんが静かに私の方に目を向けた。


「親父、春姫が親父のこと心配してわざわざ病院まで来てくれたぞ。綺麗な花も持ってきてくれたぞ。今お袋が水入れに行ってるよ」


私が笑顔でお父さんを見ていると、お父さがゆっくり口を開いたんだ。


そして、私に向かってこう言ったの。



「ああ……。来てくれたんだね、楓さん……」



え……?


楓、さん……ーーーーー?


私は思わず谷崎の方を見た。


谷崎も私の顔を見て、そして慌ててお父さんに言ったんだ。


「おい。なに言ってるんだよ親父も。春姫だよ」


だけどーーー。


「楓さん……。あなたは本当に素敵な人だ。竜にはあなたが必要です。竜はあなたを大切にします……。だから、これからもずっとずっと竜のそばにいてあげて下さい……。楓さん……体が弱いんだから、無理はしてはいけないよ………」


お父さんの口から出る名前は。


目の前にいる私ではなく、ここにはいない楓さんの名前だった。



「だから違うって、親父っ。春姫、ごめんな。親父のヤツ、まだ意識がもうろうとしてるみたいだ」


慌てて私をなだめる谷崎。


谷崎は知らない。


私が、楓さんの存在を知っていることを。


谷崎は知らないーーーー。


私は黙って笑顔で首を横に振った。



「……楓さん。竜は、あなたを愛しています。安心して下さい……」


お父さんがうっすらほほ笑みを浮かべながら、私の手を何度も握り返す。


「………………」


私はなにも言えなかった。



胸が痛かった……。


すごく痛かった。



お父さんの優しい手の温もりが。


とてもあたたかいーーーーーーー。






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