第3話 恐ろしい恋

「私ね……、家で、絵本を描いているの」

「絵本?」

 絵本という物は知っている。でもまさか、彼女の口からそんな言葉が出てくると思わなかったから、言葉をイメージするのに少し時間がかかった。

「うん、そう。……私ね、絵本作家になることが夢なの」

「絵本作家?」

 さっきから僕は、何も分からない幼児のように、彼女が言う言葉を、ただ繰り返し声に出していた。

「私が描いた絵本を、一人でも多くのお母さんと子どもたちに読んでもらいたい。私も小さい頃、いっぱいお母さんに絵本を読んでもらったから……。それが私の子供の頃の楽しい思い出で、みんなにも分かち合って欲しいんだ。それにね、近所のお姉ちゃんも、私の絵を褒めてくれたんだよ」

 ついさっきまで、いつも一人で行動しているミチサキのことを、僕は見下していた。彼女のことを何も知らないのに、ただ友人が少ないということだけで。僕は自分が、ひどくつまらない人間のように思え、恥ずかしくなった。

「そんな立派な夢を持っていて、ミチサキは凄いな。僕なんか何も無いよ。いつも何も考えずに、適当に生きているだけだ……」

「そんなことないよ。クニジマ君は、まだやりたいことが見つかっていないだけ。焦らなくても、すぐに見つかるよ」

 ミチサキは僕にそう言うと、優しく微笑んだ。なぜだろう、会話をする前よりも、彼女が可愛く見え、彼女の顔をチラリと見るだけで、なぜだか照れた。

「……ありがとう、頑張ってみるよ」

「別に頑張る必要はないよ!」

「あ、そっか。ありがとう」

「クニジマ君、私に感謝してばっかりね」

 フフ、とミチサキはまた笑う。僕はもっと彼女との会話を楽しみたかったが、言葉が何も思い浮かばない。「家に帰ったら何してるの?」とミチサキに、自然に言えた数分前の自分が羨ましい。僕はどうかしてしまったのだろうか、こんなことは初めてだった。

 もう一つ、これも初めての経験なのだが、無性にアレが知りたくなった。本人に聞こうと思ったが、好奇心よりも羞恥心が勝ってしまい、どうしても僕は彼女に聞けなかった。それからすぐにあることを閃き、学級日誌にある、日直の氏名の欄に目を通した。『カホ』それが彼女の下の名前のようだ。僕はどういうことか、それがどうしても知りたくなったのだ。

 その日帰宅してから、やっと僕の身に起きている異変の正体が分かった。僕はミチサキに恋をしているようだ。放課後の、彼女とのやり取りを思い浮かべるだけで胸が高鳴り苦しくなったから、そうだと分かった。



 ミチサキは動物が好きだったのか? 本人の口から聞いたことがなかったから知らないが、あの彼女の表情から察するに、間違いなさそうだ。

「あともう一人、立候補する方いませんか、って、クニジマ君? 立候補ですか?」

 学級委員の一言がきっかけで、クラスメイトの皆が一斉に僕の方へ振り向く。全員が謝恩と賞賛の気持ちを込めた表情を顔に張り付けている。……いや、一人違った。ミチサキだけは驚嘆の表情で僕を見ていた。

 僕は無意識に手を挙げていた。おそらく、ミチサキと同じ係になりたかったのだろう。恋とは恐ろしいものだ。

「立候補だよね……?」

 僕の顔が、飼育係になりたい表情をしていなかったからなのか、学級委員は僕に確認する。

「はい。動物が好きなので……」

 平気で嘘もつける。恋をするものではないな。

 それが今の、僕の正直な気持ちである。

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