第六話「惨劇の後」

   

「……そして家まで戻ったものの、もう心の中はグチャグチャです。着替える余裕もなく、そのままベッドに入って……。布団にくるまって、朝までブルブル震えていたのです」

 怪牛魔人ミノタウロスからの逃走。

 そこまで一気に語ってから、ミシェルは一息ついた。

 ティーポットから自分のカップに一杯注ぎ、喉を湿らす。

 これで惨劇の夜の物語は終わり、という意味なのだろう。ミシェルは目を伏せて、黙り込んでしまった。

「大変だったわね……。さぞ辛かったことでしょう……」

 とりあえず労りの言葉をかけてから、ラドミラは軽く質問する。

「今の話だと、まっすぐ家まで帰ったようだけど……。村の誰かに助けを求めようとは考えなかったの?」

 ただの村人では怪牛魔人ミノタウロスに太刀打ち出来ないとしても、それでも数を集めて、ジゼルの救助に向かうという選択肢もあったはず。

「そこまで頭が回りませんでした……。というより、心のどこかで理解していたのだと思います。もう姉は助からない、死んでいる、と」

 顔を上げたミシェルは、虚ろな表情になっていた。

 姉の死を口にするには、距離を置いて、他人事のような気持ちで語る必要があるのかもしれない。

 その顔のままで、ミシェルは言葉を続けた。

「朝になって、おばあちゃんが起こしに来ました。私も姉も起きてこないから、不思議に思ったそうです。でも部屋に入ってきて、まず姉がいないことに驚いて……。次に私の様子を見て、二度びっくり」

 小さく苦笑するミシェル。普通に話せる場面になったことで、人間らしい表情を取り戻していた。

「だって私、ボロボロの汚い寝間着のまま、布団に入っていましたからね。帰りは転んだり木にぶつかったりで、泥や血で汚れて酷い状態だったのですよ」

 そこまでミシェルが話したところで、老婆マガリーが、奥の部屋から戻ってきた。

「魔法士様、見苦しい姿をお見せしました。申し訳ありません」

「おばあちゃん! もう大丈夫なの? もう少し休んでいた方が……」

 軽く頭を下げる老婆に、孫娘が手を差し伸べる。

「もう平気だよ。これ以上休んでいたら、今度は夜になっても眠れないからね」

「でも……」

「それに、お前に魔法士様のお相手を任せて、粗相があったらいけないよ」

 軽口を交えてミシェルを安心させながら、マガリーは彼女の隣に座った。

「さて。うちのミシェルは、どんな話を、魔法士様にお聞かせしていたのでしょうか?」

怪牛魔人ミノタウロスのこと、詳しく聞きたいんですって。だから、あの夜のことを……。ちょうど、おばあちゃんが来たところまで、よ」


 マガリーの質問は、形の上ではラドミラに向けられたものだったはず。だが、ミシェルが横から答えてしまっていた。

 これはこれで構わないだろう。むしろ二人に話させておいた方が、より詳しい情報が得られそうだ。

 そう考えて、あえてラドミラは口を挟まなかった。

「私が来たところ……?」

「ほら、ジゼル姉さんの事件の翌朝……。おばあちゃんが私を起こしに来たでしょう? その辺よ」

「ああ、それだったら……」

 一瞬、マガリーの顔が暗くなった。だが、すぐに表情を取り繕って、ラドミラに向かって語る。

「ええ、あれは大変な朝でした。ジゼルの姿は見えないし、ミシェルはミシェルで、ガタガタ震えるだけで、なかなか話をしようともせず……。挙げ句の果てに、ようやく聞き出せた内容が、あれでしたからね」

「その場で全部、おばあちゃんに話したのですよ。さすがに、もう隠しておけなくて……」

「いやはや、驚きました。腰が抜けるかと思いましたが、そうも言っていられません。とりあえずミシェルを湯浴みさせて、きれいに着替えさせて、休ませて……。それから私は、村の若い男たち数人を連れて、森へ向かったのです」

 なんとも行動的な、活発な老婆ではないか。だが考えてみれば、一人でエマールの街まで行き、ラドミラを村に連れてきたくらいだ。根は元気なのだろう。

 ラドミラが感心している間にも、マガリーの話は続いていた。

「現場に着くと、そりゃあもう酷い有様でした。あちこちの体の肉が欠けて、右脚と左腕はブッツリとがれて……。はらわたも食い散らかされていたし、顔だって無茶苦茶にされて、誰だかわからないくらいでした」

 やや青ざめながら、死体の状況を詳細に語るマガリー。隣でミシェルが顔を引きつらせるが、マガリーは気づいていないようだった。

「あれならいっそ、死体も残らぬくらいに丸呑みされていた方が、どれだけ良かったことか……」

 気丈に振る舞っていたマガリーの声が、消え入りそうになる。

 このまま老婆が口を閉ざさないように、あえてラドミラは冷たい言葉を挟んでみた。

「その状態で、よく身元がわかったものね」

 顔が判別不能レベルならば、死体は別人だったかもしれない。そんな可能性を、チラッと思い浮かべたのだった。

「魔法士様、何をおっしゃいますやら……。だって間違えるはずないじゃありませんか。私の大事な……。大事な大事な、孫娘ですから……」

 小さく体を震わせるマガリー。

 また倒れてしまうのではないかと、ラドミラは少し心配したが。

 ミシェルがサッと手を伸ばし、老婆の背中をさすって介抱する。

「おばあちゃん。それより、あの書き置きの話をしないと……。たぶん、あれが一番大切なはず……」

「ああ、はいはい。忘れてたわけじゃないんだよ。さっき部屋に引っ込んだ時に、ちゃんと用意しておいたからね」

 老婆は孫娘に軽く微笑んでから、懐から何か取り出した。


 テーブルの上に、動物の毛皮が広げられる。同じような大きさのものが二枚、どちらも裏返しだった。

「見てください、魔法士様。ジゼルの体の横に、これが落ちていたのです。前にも話しました通り、あの『異界の魔塔』の怪牛魔人ミノタウロスめは、人の言葉をも操るのです」

 憎々しげに語るマガリー。

 それは、怪牛魔人ミノタウロスからのメッセージだった。たどたどしい筆跡ではあるが、それぞれ皮の裏側に、血文字でハッキリと記されていたのだ。一枚には「次は妹よこせ、塔で待つ、十日後に来い」と、そしてもう一枚には「断れば村襲う、おまえら皆殺し」と。

「姉妹なら似たような味がするに違いない……。きっと怪牛魔人ミノタウロスは、そう思ったのでしょう」

 ミシェルが、怪物の魂胆を指摘する。

 本来ならば、異種族である怪牛魔人ミノタウロスにとって、人間の個体識別は難しい。ジゼルとミシェルが並んでいても、二人がどれくらい似ているのか理解できず、姉妹であることにも気づかないはずだが……。

「私が最後に耳にした姉の言葉は『妹だけは、絶対に』でしたからね。皮肉にも、あれで……。姉の最期の行動で、血縁関係がバレてしまったのでしょう」

「ミシェルや、そんなこと言っちゃいけないよ! あの子は命懸けで、お前を逃がしてくれたのだから!」

「わかってるわ、おばあちゃん。でも……。わかっているからこそ、なんだか悔しいのよ……」

 ミシェルの言葉が尻すぼみになる。最後は、涙混じりになっていた。


 ちょっとした愁嘆場を前にして、ラドミラは、今のミシェルの発言について考えてしまう。

 彼女の解釈が正しいのかどうか、そこまではハッキリしないが、可能性の一つであることは確かだろう。怪牛魔人ミノタウロスの次の標的として、実際にミシェルが選ばれているのだから。

「……それから、村は騒然となりました」

 マガリーは孫娘を落ち着かせてから、唐突に話を再開した。死体発見以降の展開について、語り始めたのだ。

「あの辺りで『塔』と言えば『異界の魔塔』だけです。これまで野生の獣が住み着くことはありましたが、もちろん、怪牛魔人ミノタウロスは初めてです。とても信じられない話でしたが、アシャール村に怪牛魔人ミノタウロスが出た件も知っていましたから、信じるしかありませんでした」

 マガリーの言葉に、ハッとするラドミラ。自分が関わった怪牛魔人ミノタウロスのことを引き合いに出されて、話の現実感が強まったのだ。

「それに、近くで狼などの死体も見つかりましたから……。半信半疑だった者たちも、それで怪牛魔人ミノタウロスがいると認めたのです」

 と、ミシェルが補足する。

 会話に参加できるくらいには立ち直ったようだ。乾いたのかぬぐったのか、もう顔にも涙の跡は見当たらない。

 だがミシェルの様子よりも、他に気になることがあった。その点、ラドミラは尋ねてみる。

「さっきの話には狼なんて出てこなかったけど……。問題の夜、近くに狼がいたの?」

「あら、これは紛らわしい言い方でしたね。あの夜ではなく、翌日の話です」

「混乱させて申し訳ありません、魔法士様。私たちがジゼルの体を運び去って、しばらくしてから……。夕方くらいの出来事でした」


 ミシェルとマガリーが、二人がかりで説明する。

 事件の噂が村に浸透した頃、少年が一人、こっそり森に入っていったのだという。おそらく、怖いもの見たさの好奇心で。

 かなり『異界の魔塔』まで近づいても、怪牛魔人ミノタウロスの姿は見かけなかったが、代わりに発見したのが三匹の野獣の死体。大斧で首をバッサリ斬り落とされたらしく、切り口から吹き出した大量の血が凝固し、なんともむごい有様だった。

「そやつは泣き喚きながら戻ってきたのです。よほど後悔したのでしょう。もう絶対に森には近づかない、と叫んでいましたから」

「確認のために、村の有志が徒党を組んで、様子を見に行きました。斧や猟銃や弓矢など、みんな武器を手にしていましたが、もちろん怪牛魔人ミノタウロスと戦えるはずありません。あくまでも『様子を見る』だけでした」

 その結果わかったのは、野生動物の死体には、食い散らかされた形跡がないこと。つまり、ジゼルのケースとは違って、食用ではなかったのだ。

 ならば、なぜ惨殺されたのか。

「『異界の魔塔』に住み着いていた獣を、怪牛魔人ミノタウロスが追い出したんじゃないか……。そんな話になりました」

「塔に近づくな、という意思表示。いわば見せしめじゃないか、って説も出ましたね」

 その後、東の森で、怪牛魔人ミノタウロスらしき怪物が目撃されるようになった。村では「危険だから森には近寄らないようにしよう」「大人しく要求に従おう」という方針に決まったのだが……。

 ここで断固反対したのがマガリーだ。なにしろ『要求に従う』ということは、ミシェルを生贄いけにえとして差し出すことを意味するのだから。

 彼女はアシャール村の怪牛魔人ミノタウロスの話を持ち出して、同じように退治してもらうべきだと、強硬に主張して……。

「……そしておばあちゃんは街まで行き、魔法士様と出会ったのです」

 ミシェルが、そう話を締めくくった。

   

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