第四話「紅茶と絵画」

   

 赤毛の少女ミシェルは、老婆マガリーを奥の部屋へと連れていき、そこで休ませる。

 その間ラドミラは、食堂ダイニングスペースらしき場所で、座って待っていたのだが……。

「お待たせしました。こんなものしかありませんが、どうぞ召し上がりください」

 戻ってきたミシェルは、お茶のセット一式と、ビスケットの小皿を手にしていた。

「食事してきたばかりだから、一枚だけもらうわ。これって、普通のビスケットよね?」

「はい、そうですが……。何か?」

「いや、何でもないの。気にしないで」

 サクッとした食感で、甘さ控えめ。どこにでもある、一般的なビスケットだ。

 エマールの街にシュークリームをもたらしたという転生者シラカワが、この村の近くにある『異界の魔塔』に住んでいたのだから……。てっきり村にも何か持ち込んだかと思ったのだが、少なくとも、このビスケットは違うらしい。

「満腹なのでしたら、お飲み物だけでもどうぞ」

 ミシェルはラドミラの前に白いカップを置き、ティーポットからお茶を注ぐ。

 湯気と共に立ちのぼるのは、さわやかで上品な香りだった。田舎の村人が口にする茶葉など、たかが知れているはずだが、これは来客用のとっておきなのだろうか。

 カップに口をつけてみると、香りだけでなく、味もなかなかだった。王都の貴族の邸宅で出された紅茶を思い出すくらいだ。ラドミラの好みからすると、少し渋みが強いのだが、その辺りは個人の嗜好の問題に過ぎない。

「かなり良いお茶みたいだけど、この地方って、お茶の葉の名産地だっけ?」

 ラドミラの賛辞を聞いて、正面に座った少女の顔が、パッと明るくなった。

「あら、嬉しいですわ。……もちろん、この辺りのものではありません。これ、わざわざ遠くから取り寄せてもらった茶葉ですのよ」

 身を乗り出すようにして告げてから、はしたない態度だと思ったのだろうか。すぐにミシェルは、椅子に深く座り直し、落ち着いた口調で言葉を続けた。

「葉っぱ自体が高級品なだけでなく、淹れ方にもコツがあるのですわ。私、お茶には少しうるさいもので……。ケクランのような小さな田舎村で、このような高級茶を嗜むなんて、自分でも分不相応だと思うのですが」

 別に来客用というわけではなく、日頃からミシェルは、これを飲んでいるのだった。

 よほど紅茶好きなのだろう。ミシェルが静かな話し方だったのは、少しの間だけ。紅茶談義を始めると、声のトーンは、いつのまにか元に戻っていた。


 第一印象でも感じたことだが。

 ミシェルには一切、悲壮感は見られない。怪牛魔人ミノタウロスから次の生贄いけにえとして指名されているとは、とても信じられないくらいだ。

 いや、だからこそ現実逃避の意味で、無理して明るく振る舞っているのかもしれないが……。

 そんな想像をしながら、ふとラドミラは、室内を見回した。

 大きめの窓から午後の日差しが入り込む、灯り要らずの明るい部屋。簡素な木製のテーブルには、四人分の椅子。壁際には、特に装飾も施されていない食器棚がある。

 ここまでは、いかにも田舎村の暮らしというイメージそのままだろう。だが、やや場違いなものが一つ。反対側の壁に、まるで貴族の邸宅のように、一枚の肖像画が飾られていたのだ。

 ラドミラは美術品に詳しいわけではないが、そんな彼女でも知っているような、有名な画家の作品だった。

「……あら!」

 ラドミラの視線に、ミシェルが気づいたらしい。

「素晴らしい絵でしょう? もちろん本物なんて買えないので、複製品なんですけど……。なんといいますか、先代の王朝を思わせる古き良き格式が、新進気鋭の若い画家の、躍動感あふれるタッチで描かれていますよね。ですから、昔と今が微妙に融合している感じで……」

 ミシェルは少し頬を上気させて、熱に浮かされたような目をしていた。

「あなた、詳しいのね。私は絵なんて興味ないけど……。ミシェルって、自分でも絵を描くの?」

 放っておけばミシェルの美術論が続きそうだったので、途中で遮るラドミラ。

「いいえ、魔法士様。私には、とても無理ですわ。鑑賞して楽しむだけです。でも、自分では描けないからこそ、憧れるものでしょう?」

「まあ、そうでしょうね。ところで、絵なんかの話じゃなくて……」

 ラドミラが露骨に話題を変えようとすると、それだけでミシェルも理解したらしく、うっとりとした表情が消える。真面目な顔で、彼女は応じた。

「ああ、おばあちゃんのことですね! おばあちゃんなら大丈夫です。しばらく横になっていれば、落ち着くでしょう」


「いや、そうじゃなくて……」

 がっかりするラドミラ。ミシェルも理解したらしい、と思ったのは買い被りだった。

 別にラドミラは、泣き崩れたマガリーを心配したわけではない。「絵なんかの話じゃなくて」と水を向けたのは、本題に入れという催促のつもりだった。それが伝わらなかったのであれば、もう単刀直入に言うしかないだろう。

「……そろそろ、怪牛魔人ミノタウロスの件について、聞かせてもらえないかしら?」

「ああ、はい……」

 あからさまに表情を曇らせるミシェルを見て。

 やはり今までは無理して明るく振る舞っていたのか、とラドミラは思うのだった。


「おばあちゃんは、どの程度、魔法士様にお話ししたのですか?」

「たいした話は聞いてないわ。森の中の『異界の魔塔』に怪牛魔人ミノタウロスが住み着いたこと。一人が殺され、別の一人が狙われていること。……そのくらいかしら」

 もちろん、その『一人』がミシェルの姉であり、『別の一人』が目の前のミシェルであることも、もう理解している。だが、敢えて言う必要はないとラドミラは考えていた。

「はあ……。それでは、具体的な話は、全くしていないようなものですね……」

 小さくため息をつくミシェル。当事者としては、語りづらい部分も多いのかもしれないが……。

 ラドミラにしてみれば、当事者から聞き出すからこそ、正確な情報も手に入るというものだ。

「まあ、そうね。詳しい話は村で関係者から直接聞けばいいって、私も思ってたから」

 その『関係者』がマガリーの親族であるとは、予想していなかったのだが。

 知っていれば、あらかじめマガリーに、もう少し細かく尋ねていたかもしれない。

「……わかりました。では私が、最初から詳しくお話ししましょう」

 そして。

 ようやくミシェルは語り出す。

 長い長い物語を。

「聞いてください、魔法士様。あれは今から一週間ほど前、月が明るい夜の出来事でした……」

   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る