第三話「狙われた村娘」

   

 老婆マガリーに連れられて、徒歩一時間。小高い丘を越えると、問題のケクラン村が見えてきた。

 村といっても、かなり小さな集落だ。鬱蒼と茂る森に挟まれて、耕作のスペースも少なそうに思える。だが村の規模とは別に、ラドミラの注意を引くものがあった。

「あれが、例の『異界の魔塔』ね?」

 村の東側にある森を指差しながら、隣の老婆に確認するラドミラ。

 木々の緑の間に見えていたのは、赤茶けた塔。長細い楼閣部分を中心に、いくつかの小さな円塔が合わさった構造らしい。とんがり屋根と丸い先端が複雑に重なり合って、田舎の村には似つかわしくない建築物となっていた。

「そうです。あれこそが、かつての賢者様の居城……。今では怪牛魔人ミノタウロスに占拠されてしまった廃墟、『異界の魔塔』でございます」


 転生者シラカワが閉じこもって、魔法医療の研究に従事していたという『異界の魔塔』。おそらくシラカワは、この世界で得た魔法の知識と、元の世界の科学技術を組み合わせて、医学の発展を試みていたのだろう。

 だが『医学』といっても幅広い。人々の病気や怪我を治癒するだけでなく、生体改造の分野も『医学』の一部となる。

 一生を塔にこもって過ごすような、偏屈な人間だったのだから……。もしかしたらシラカワは、モンスターの改造研究に携わっていたのではないだろうか。今回の怪牛魔人ミノタウロスは、たまたま『異界の魔塔』に辿り着いたのではなく、元々そこで生まれて解き放たれた怪物が、帰巣本能のようなもので戻ってきたのではないだろうか。

 転生者に魔改造されたモンスターだとしたら、怪牛魔人ミノタウロスのくせに人間の言葉を用いるという異様さも、説明がつくではないか……。

 廃墟と化した『異界の魔塔』を眺めながら、ラドミラは、そんな想像をしてしまうのだった。


 ラドミラがケクラン村に入ると、わらわらと住人たちが集まってくる。

「おいおい、マガリーばあさんったら、ほんとに騎士様を連れてきちまったぞ!」

「もうこれで怪牛魔人ミノタウロスも怖くねぇや!」

 最初は、明らかな歓迎ムードだったが……。

「でも、騎士様の鎧、白くないよね? 『白輝の剣聖』ってカッコイイ名前だから、ボク、楽しみにしてたのになあ」

 小さな男の子の一言で、人々の雰囲気が変わる。

「言われてみれば、確かに……」

「鎧って、思ったほどガッシリしてないみたい」

「騎士剣はどこ? 腰に刺さってるあの小さいのは、予備のナイフだよね?」

「こんなんで本当に、怪牛魔人ミノタウロスに勝てるのかい……?」

 ザワザワと不安そうな村人たちに対して、

「お前たち! 失礼じゃないか!」

 ピシャリと言い放ったのは、マガリーだった。

「このおかたは確かに、『白輝の剣聖』リリアーヌ様ではない。けれども……」

 ラドミラが騎士ではなく魔法士であること。リリアーヌとコンビを組んで、アシャール村の怪牛魔人ミノタウロスを倒したこと。

 それらをマガリーが説明すると、村人たちの態度は、再び反転する。

「おお! それならば……!」

「今度の怪牛魔人ミノタウロスも、始末していただけるのか!」

 あまりにも典型的な手のひら返しに、あまり良い気はしないラドミラだったが、

「さあ、さあ。まずは、うちに来てくだされ」

 マガリーに促されて、彼女の家へと向かうのだった。


 村を代表して街までリリアーヌを探しに出たくらいだから、マガリーは村の有力者――例えば村長か何か――なのだろう。

 ラドミラはそう思っていたのだが、どうやら買い被りだったらしい。

 村はずれにポツンと建っている、みすぼらしい一軒家。それがマガリーの自宅だった。

 老婆が扉を開けると、バタバタという足音と共に、奥から一人の少女が顔を出す。

「おばあちゃん! 騎士様を連れてきてくれたのね!」

「いや、正確には魔法士様だけど……。でも、怪牛魔人ミノタウロス退治の実績がある魔法士様だよ」

 村人たちに対するのと同じように、ラドミラの素性を説明するマガリー。ただし、その声色こわいろは違っていて、とても温かい響きになっていた。

「だから、もう安心おしよ。お前を貢ぎ物なんかに、絶対させないからね」

 少女を抱きしめながら、優しく声をかける老婆。その一言で、ラドミラはピンと来た。

 この少女――おそらく老婆マガリーの孫娘――こそが、怪牛魔人ミノタウロスの要求している『新たな生贄いけにえ』なのだ、と。


「なるほどね……」

 二人には聞こえない程度の小声で、ラドミラは呟く。

 つまり、マガリーがエマールの街でリリアーヌを探していたのは、村のためというよりも、可愛い孫娘のためだったのだ。

 そう考えながら、あらためてラドミラは、少女に視線を向けた。

 年齢は十代後半、いや半ばくらいだろうか。どちらにせよ、貴族や王都の上流階級ならば、魔法学院や騎士学院に通っているような年頃だ。

 田舎の村娘にしては色白で、全体的にはスレンダーだが、アンバランスにならない程度に、出るところは出ている。同じ女性としては、少し羨ましいくらいの体型だった。

 赤い髪は肩にも届かないくらいに短く、少しふんわりとしたストレート。やや面長おもながな顔立ちに、スーッと通った鼻筋。目は細いのに、その小さな瞳には、強い意志の光が宿っていた。

 ペトラとは違うタイプだが、やはり美人と言って構わないだろう。田舎娘には勿体ないレベルだと、ラドミラは思ってしまった。


「おばあちゃん、そんなに強く抱きしめないでよ……。これじゃ苦しいくらいだわ」

「おやおや、痛かったかい? これはこれは、悪いことをしたねえ。すまなかったよ」

 少女に言われて、マガリーが腕を緩める。

「でもねえ、ミシェル。もう私には、お前しか残されてないもんだから……。どこにもお前が行かないように、こうして抱きしめておきたいくらいなんだよ」

 どうやら、少女の名前はミシェルというらしい。それに、祖母一人孫一人の二人暮らしのようだ。

 黙って見ていたラドミラは、マガリーの言葉の端々から、老婆と少女を取り巻く環境について、そう推察していた。

「痛いってほどじゃないけど……。ほら、魔法士様が見ているわ。大事な魔法士様なんだから、放っておいてはダメでしょ、おばあちゃん」

 ラドミラの視線に気づいたらしく、ミシェルはラドミラの方を向いて、ニッコリと微笑んだ。

 男に媚びるような笑顔ではなく、同性から見ても魅力的な表情だった。天真爛漫とか、明朗闊達とか、そんな表現が似合いそうな感じだ。

 怪牛魔人ミノタウロスに狙われているというのに、全く悲壮感は漂っていない。不安を顔に出さないように努力しているのか、あるいは、祖母が救世主を連れてくると信じきっていたのか。

 どちらにせよ。

 生贄いけにえとして選ばれたミシェルが、これだけ落ち着いているならば、彼女から詳しい事情を聞くことも可能だろう。わざわざ怪牛魔人ミノタウロスが指定してきた以上、このミシェルは、怪牛魔人ミノタウロスと何か関係があるはずだ……。


 頭の中で軽く方針を立てるラドミラに対して、ミシェルはマガリーと並んで、二人揃って頭を下げる。

「お願いします。どうか私を助けてくださいませ」

「私からも、あらためてお願いします。このミシェルまでもがジゼルのようになったら……。そんなこと、考えただけで私は……」

 新たに出てきた『ジゼル』という人名。おそらく彼女が、最初に怪牛魔人ミノタウロスに食べられた村娘なのだろう。

 しかも今の口調からすると、同じ村の単なる知り合いではなく、ミシェルやマガリーとも親しい間柄だったようだ。

 一応、ラドミラは尋ねてみる。これも怪牛魔人ミノタウロス関連の手がかりになりそうだ、と感じて。

「そのジゼルって娘さんが、第一の犠牲者だったのよね? ミシェルのお友だちだったのかしら?」

 口にしてから、少し失言だったとラドミラは気づく。『第一の犠牲者』という言葉は、第二、第三の犠牲者を念頭に入れた言い方。つまり、ミシェルが殺されることも想定した上での発言だったのだ。

 しかし、その点、ミシェルもマガリーも気づかなかったのか、あるいは、気づいた上でスルーしたのか。

 マガリーは目を伏せたまま、ラドミラの質問に答えた。

「友だちどころか……。ジゼルは、ミシェルの姉です! でもジゼルは、あの怪牛魔人ミノタウロスに……」

 言葉になったのは、そこまでであり、それ以上は嗚咽にしかならなかった。


「そういうことだったのね……」

 小さく呟くラドミラ。

 彼女の想像は、片方は正解で、もう片方は不正解だった。

 すでに犠牲になった一人と、次の生贄いけにえとして指名された一人は、確かに無関係ではなかったが……。親しい友人どころか、血の繋がった姉妹だったのだ!

 なるほど、これではマガリーが必死になるのも無理はない。彼女の立場にしてみれば、怪牛魔人ミノタウロスから狙われている少女の祖母であると同時に、同じ怪物に食べられてしまった少女の祖母でもあるわけだから。

 今、哀しそうな視線を向けるラドミラの前で。

「おばあちゃん、しっかり……」

 崩れ落ちそうになるマガリーに、ミシェルが手を貸していた。先ほどとは逆に、今度は、孫娘が祖母を優しく抱きかかえる番だった。

「大丈夫よ、おばあちゃん。こちらの魔法士様が、きっと私を助けてくださるからね」

「うぅ……。私を一人にしないでおくれ、ミシェル……」

   

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