第17話 或る学生が大江健三郎をよんで

 私は大江健三郎が大嫌いである。

 浅学な我が身からすると、大江健三郎の文学というのは村の閉塞感を否な方向に煮詰めたような、何とも言えぬ駄作にしか思えなかった。逃げようとした魚が、どん詰まりに詰まって陸にあげられたかのような何とも言えない嫌な感じがして嫌いである。

 しかしながら、ふっと気が向いて駄作駄作と嫌っていた大江健三郎の本を読んでみた。

 なんてことない、文学好きの友人から「せめて万延元年のフットボールは読みたまえ」とウイスキー片手に言われたからだ。

 というわけで何となしに古本屋に売られていた本を買い、読んでみた。

 一週間、体から湧き出る嫌悪感に耐えながら読み進め、読破した時納得する。

 なるほど、大江健三郎はノーベル文学賞を受賞するはずだ、そう思ったのだ。

 嫌悪感の中に、人を引き込む何かがある。どろりとした、いやなものの奥から呼び込む強烈な何かが潜んでいる。

 いやなものだと思いながらも読み進めなくてはいけない、そんなエネルギーがここにある。

 そんな風に思った読書だった。



          了

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