第3話 いつかどこかへ行ける山
「あいつは恐らく人間の精気を
どんどん市街地から離れていく車の中で、俺たちは兄貴の話を聞いていた。
異界の者。
こことは違うの世界の話。
兄貴はそういうものを秘密裏に処理したり調査したりする仕事をしているらしい。
正直嘘くせーと思いながら聞いていたけれど、兄貴の語り口は実に軽妙で、フィクションと割り切ってしまえばその話の面白さは俺と
そうして話を聞いているうちに、兄貴の語る言葉は果たして本当なのか嘘なのか、その境界が徐々に
うまく人間に擬態している異界の者が死ぬと、あのアパートに充満していたような嫌なニオイが出るらしい。そのニオイは普通の人間には感じられないが、同じ異界の者や、そういう者を相手取る商売をしている人間には嗅ぎ分けることができる。
そのまま放置しておくとトラブルの元になるから、結果的に粕谷が兄貴を呼んだのは正解だったということらしい。
まあぶっちゃけてしまえば死体を始末するに当たって適当にファンタジックな理由を付けただけなんだろうだけど、聞いているうちに俺も「そういう理由ならいいか」などと思えてきてしまった。ヤバい。常識が上書きされてしまいそうだ。
兄貴、本当は占い師じゃなくて詐欺師なんじゃないの。
「ていうか、俺も粕谷もあの変なニオイ普通に感じてたんすけど……普通の人間には分からないんじゃないんすか?」
あの体に悪そうな甘ったるい化学薬品みたいなニオイはかなり強烈だった。
あれが感じられないというのはちょっと考えられないんだけど……。
「お前らには素質があるからな」
「素質?」
「
「なんすかそれ……」
嫌な予感がした。
全然嬉しくない褒められ方をされたような感じだ。
「お前らが最初にバイトしてたあの変な家な。あそこは異界との境界がかなり希薄な場所なんだよ。だから常にこっち側の生きた人間が
なにそれ怖い……つーかめちゃくちゃヤバい場所なんじゃん。
えっじゃあ仮に二人とも寝て交代も来なかったら死ぬまで起きれないってこと?
それ先に言っておいてくれた方がよくない? なんで言わなかったの?
「ところが、粕谷は自力で目覚めた。これは普通じゃあり得ないことだ。恐らく粕谷は、異象に対して相当強い抵抗力を持っているんだろう。だからあの異界の者と性行為をしても、相手は精気を吸い取れず、逆に力を使い果たしてしまった。だが……」
自分の話なのになんか静かだなと思って粕谷の方を見ると、スマホを片手に持ったまま完全に寝落ちしていた。
こいつ、長時間ヒトの話を聞いていられないタイプ……!
「……それだけ強い抵抗力を持っているなら、そもそも粕谷は異象とは全く縁がないはずなんだよな。磁石の同じ極みたいに、自然とお互いが避けていくはずだ。それなのに粕谷はあの異界の者の目に留まり、自ら誘いに乗った……と」
それは粕谷がバカだからじゃないすかね、と思ったが、身も蓋もないので言わないでおくことにした。
「それは粕谷がバカだからじゃないすかね」
「まあ……それもあるが」
言わないでおこうと思ってたのに、思わず言っちゃったよ。だってバカなんだもんこいつ。
そして兄貴もそこは否定しないんですね……。
「俺はな、
「……は?」
他人事だと思って聞いていた話に自分の名前を出されてびっくりしてしまった。
やめてやめて、俺は関係ないでしょ……。
「お前はあのアパートに充満していた、異界の者特有のニオイを特に強く感じていたんだろう? 俺でもまだそれほど気にならない程度だったのに」
ああ……なーんか嫌な予感がすると思っていたら、そういうことだったのか……。
俺は早くも心の中で白旗を振っていた。
「恐らくお前は、異象に対してかなり親和性が高い。これまでに妙な経験をしたことはなかったか?」
「まあ……たまに幽霊っぽいものが見えることはありますけど……」
嘘です。たまにどころじゃない。小さい頃は見えすぎて精神に異常をきたしたことがあるレベル。最近は結構マシになってきたと思っていたけど……。
「その程度で済んでいて良かったな。お前が今回の粕谷の立場だったら、命に関わることになっていたかもしれん」
「俺は知らない人にはホイホイついていかないんで……」
あと知らない人からもらった薬をホイホイ飲んだりもしないんで。
そもそも俺はめちゃくちゃ酒に弱いから合コンにも行かないし、基本的に人間が嫌いだからできるだけ他人とは関わらないようにしている。つまり既に護身は完成していると言っても過言ではない。完成しすぎて恋人もできないほどだが……。
「最近は、幽霊を見るか?」
「……そういや、ここんところは見てないっすね」
「そうだろうな」
「どういうことっすか?」
「お前も粕谷から影響を受けているんじゃないかと思ってな。恐らくそいつと一緒にいれば、ハーブなんぞに頼らなくても普通に日常生活を送れるようになるはずだ」
「……」
そういや、この人の表向きの職業は占い師だったっけ。
占いってのは要はカウンセリングみたいなもんだろう。
俺がこれまでどんな感じの人生を送ってきたのかも、もしかしたらお見通しなのかもしれない。
「お互いに影響を与え合っているという意味では、いいコンビなんじゃないのか」
「いやー……こいつとずっと一緒にいるのはちょっと……」
そこでふと気がついた。
影響を与え合っているということは、俺は異象への抵抗力が、粕谷は異象への親和性が増したということだ。つまり……うわー……これ以上考えたくねぇー……。
まあ、つまり。
今回粕谷が異界の者にちょっかいかけられて、こんなクソ面倒くさいことになったのは、大本の原因を辿れば……俺のせいだったということになる。
はぁー……マジかよ。完全部外者のつもりだったのにまさかの元凶じゃん俺……。
無性に煙を吸いたくなってきたけれど、どうやら喫煙者ではないっぽい兄貴の車でそれはさすがに無礼が過ぎるので我慢して、その代わりに深々とため息をついた。
よし、仕方ない。そういうことならしゃーない。今回は責任を取ろう。だが粕谷には俺のせいだということは黙っておこう。
俺が心の中で割とカスな決意を固めていると、砂利を踏みながら車が止まった。
「着いたぞ」
外へ出ると、細い道を挟んで向かい側に登山口のようなものが見えた。
砂利が敷き詰められた駐車スペースには他の車は見当たらず、人の姿もない。
それどころか風の音も鳥の声さえも聞こえない。自分の息遣いがはっきり聞こえてしまうほどに、辺りは異様な静寂に包まれていた。
「ここ、どこっすか?」
「山」
「そっすねぇ……山だなぁ……」
「心配するな。初心者コースだから専用の装備がなくても登れる」
「気になるのはそこじゃないんすよねぇ……」
他の登山客に見つかるんじゃないかとか、そもそも死体を処理するのにどうして山を登らにゃならんのだとか、色々聞きたいことはあったが、こんな所まで来てしまった以上今さら何を言っても無駄な気がした。
「粕谷を起こして、二人で死体袋を持って来てくれ」
「うす……」
とうとう死体袋って言っちゃったよこの人。
ドキッとするからもうちょっとオブラートに包んで欲しい。
兄貴はスマホでなにやら電話しながら、登山口の方へと歩いていってしまった。
俺は粕谷の
冬にしては緑が多い山道は意外と傾斜がゆるく、最初の方こそどうにか登っていけたけれど、茶色い地肌が露出しているあたりまで来ると急に坂がきつくなり、疲労も手伝って一歩も動けなくなってしまった。
「登山する時ってさー、普通さー、成人男性の死体を運びながら登らないじゃん?」
「粕谷にしては珍しく正しい意見だな……」
「オレら普通に非力なのにさー、ここまで来れただけでもすごくない? もういいんじゃない? もうこの辺に埋めて帰ろーぜ」
「うーん……どちらかと言えば大賛成」
いや本当によくやったよ。自分で自分を褒めてあげたい。足腰の痛みに耐えてよく頑張った。感動した。今こそ重い荷物を捨てて未来へと歩き出す時だよ。
二人で倒木の上に座ってお互いを称え合っていると、いつまでたっても俺たちがついてこないことに気付いた兄貴が戻ってきた。
「どうした、もう限界か?」
「そうっすねぇ……まあ端的に言うとそんな感じっすかねぇ……」
「ま、その細い体にしちゃよく頑張ったな」
そう言うと兄貴は死体袋をひょいっと担ぐと、さっきまでと変わらない足取りで山道を登っていってしまった。
「早くついてこい。まだ仕事は終わってないぞ」
「……っす」
すげーなあの人。別にマッチョじゃないのにめちゃくちゃペース早いぞ。
俺と粕谷は手ぶらになったにも関わらず、兄貴の背中を追ってヒイヒイ言いながら登るのが精一杯だった。
茶色い不毛地帯を登り切ると、なだらかな場所に出た。
そこには丸太で組まれた小屋があり、水道とトイレがあるようだった。
俺たちは兄貴に
風は冷たいのに体はめちゃくちゃ暑いという状態でどうにか息を落ち着かせてから改めて周りを見てみると、俺たちの他には誰も登山客がいないことに気がついた。というか、登っている間も他に人間を見た記憶がない。まあ、死体袋を運んでいる所なんて見られたらヤバすぎるが……。
というか、今更だけど、なぜ俺たちは普通に登山をしているんだ?
俺のイメージしていた感じだと、車で森の深い所まで行って、なんか樹海みたいなところで適当に穴を掘って埋めるみたいなのを想像してたんだけど。
「足いてー。ブーツめっちゃ汚れてるし最悪だよもー。ていうか兄貴一人で十分なんじゃないのこれ?」
少し休憩して余裕が出てきたのか、粕谷がいつもの調子でぼやき始めた。
「俺もそう思うけどまあ……俺たちがやったことの後始末をするんだから、俺たちが苦労しないとダメなんじゃねーの、多分」
「いやもうたっぷり苦労したよー。もういいっしょ」
「一応、人が死んでるんだからな。この苦労がそれと釣り合うかっつーと微妙だろ。死んだのは人間じゃないらしいけど」
「……なんか
「は? 俺はいつでもいい子ちゃんだが?」
「つーかオレもさー、やっぱ昨日の夜はどうかしてたよなー。どうしてあんなおっさんにムラっと来ちゃったんだろ?」
多分それ、俺のせいなんだよなぁ……。
「……そろそろ行くぞ」
「えーもう?」
まあ、俺もそれなりに責任を感じているからこそ、こうして鬼の登山ツアーに同行しているのだ。だからこれでチャラにしてくれ、粕谷。真相は教えないけど。
山小屋を後にしてしばらく進むと、ゴロゴロとでかい溶岩石みたいなものが積み上がっているポイントにたどり着いた。
上から鎖が垂れ下がっていて、それを伝って岩の間を登っていくらしい。
初心者用登山コースってレベルじゃねーぞ。こんな所を死体持ったまま登らせようとしていたのか兄貴……ていうか普通に登ってるし……やっぱあの人ヤベーよ……。
「あーっ、鎖が冷たい! 鉄くせー!」
「粕谷、手袋持ってたじゃん。なんで外してんの」
「こんな錆びたの握ったら汚れちゃうだろ! カシミヤでよー、高かったんだぜ?」
「本末転倒な気がするが……そういやお前、服とかバッグとかめちゃくちゃいいやつ持ってるよな。ブランド品の。あれは何?
「ちげーよ。ちゃんと自分で買ってますー」
「そんな金よく稼げるな」
「や、ほとんど仕送りの金」
「はあ?」
「実家がなんか不動産? 的なアレで金持ちみたいでさー、仕送りいっぱいしてくれるんだけどさ。なんかすぐなくなっちゃうからたまにバイトもしてんだよね」
「こいつ……」
なんて恵まれた奴なんだ。そして金の使い方もバカだ。俺なんてボロっちい学生寮で
……今度なんか飯でも
粕谷と下らない会話をしていたおかげで気が紛れたのか、気がつけば岩石地帯を登りきっていた。
そこからは景色が一気に変わった。
足元は灰色の岩肌と短い枯れ草で占められていて、木が生えていないため見晴らしがいい。と言っても雲ばかりで遠くまでは見えないけど。
ぐるぐると回り込むようにして登っていくと、ついに傾斜が終わった。
岩と草しかないが、思っていたよりずっと広い。霧だか雲だかよくわからない白いもので視界が遮られているため、この頂上がどれほどの広さなのか見当もつかない。
兄貴が手招きしている方へ歩いていくと、小さな鳥居のようなものが見えた。
「おつかれさん。ここがゴールだ」
「……何もないんすけど」
小さな赤い鳥居の後ろには岩が積み上げられているが、それだけだ。
兄貴はその岩の前に例の死体袋を横たえていた。
「さて……お前たち、少し離れろ」
兄貴に言われるままに数歩下がる。
すると、何やら岩の間から赤紫色の煙のようなものが染み出してきた。
「なんか……なんすかあの煙……?」
「もう見えるのか。やっぱお前は俺よりずっと異象に近いらしいな」
「え、なになに? どした友紀?」
キョロキョロしている粕谷はとりあえず無視して鳥居の方を見ていると、煙はどんどん濃くなっていき、次第に意思を持っているかのように死体袋を包み込み始めた。
「そろそろか……よく聞け、お前ら。これから俺がいいというまで声を出すなよ」
「はあ……? なんでっすか?」
アホ面を晒しながらさっそく声を出しやがった粕谷の頭を引っ叩きつつ、俺は片手でその口を塞いだ。
「~~~~!」
暴れるなバカ。うわ、ヨダレが手について気持ち悪い。
静かにしろというジェスチャーをしてみせると、ようやく粕谷は大人しくなった。
ふと気付けば自分たちの周囲も同じ色の煙に包まれていた。
空を見上げても何も見えない。すっぽりとドーム状に覆われてしまったみたいだ。
その中心では煙の色が徐々に変わっていき、今やどす黒い穴のように見えていた。
パリッ、となにかが光った。
穴の中。何も見えない黒色の中に、チカチカと光るものがある。
一体なんだろうと目を凝らしていると、そのうちの一つと目が合った。
目だ。
無数の目が
思わず悲鳴を上げそうになったけれど、なんとかこらえた。
「ひゃっ」
声に反応して、無数の目が一斉にこちらを見た。
俺と兄貴も同じようにそっちを見た。
粕谷だ。
こいつ、なんでこのタイミングであの目に気付くんだ。
なに可愛い悲鳴を上げちゃったことを照れくさそうにしてんだバカ。それどころじゃねえだろバカ。アホ。
心の中で思いつく限りの罵倒をし終わるより先に、黒い穴がグワッと広がって、あっという間に俺たちを飲み込んだ。
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