第2話 トラブルメーカー
俺が
なんとなく格好いい気がするというアホな理由で第二外国語にフランス語を選択したものの、いざ講義に出てみると、学生は俺を含めて6人しかいなかった。
ほとんどの学生は中国語を取っていた。
どうやら、中国語の教授は講義の最後に出席を取る(最後だけ顔を出せばいい)ことや、試験に過去問をまるまるそのまま出すことなどが、新入生の間で噂になっていたらしい。
俺がそのことを知ったのはずいぶん後になってからだった。
俺は他の新入生と積極的に会話をすることを避けていたし、サークルにも入らなかったから、そういったおいしい情報とは無縁だった。
フランス語などを取るのはよっぽどの物好きか、明確な目的がある奴か、俺のようなぼっちくらいだったらしい。
そしてその6人の中の一人が、粕谷だった。
見事な金髪にブランド物で固めた服とバッグという目立つ外見ながら、優しい顔立ちと人懐っこさのおかげで嫌味を感じさせない奴だった。
粕谷は、目の死んでいる大学生を体現したような俺にも積極的に絡んできた。
最初はいいやつだなと思っていたが、親しくなるにつれて、こいつはひょっとして何も考えていないバカなのではないかと思い始めた。
いや、そもそもこの大学にバカじゃない奴などほとんどいない。
いわゆるFランと呼ばれるこの大学は、とりあえず高校を卒業しちゃったけど就職したくないし勉強もしたくないという俺のような駄目人間のためにあるような大学で、ついでに言うと俺は高校の推薦枠で入ったため、マジで何も受験勉強をせずに済んでしまったのだった。
この大学に在籍している学生の8割は俺たちのようなバカで、1割は陸上だかをやりに来た留学生で、残りの1割はバイトしすぎて大学に来なくなった留学生だった。
予想通り、粕谷は筋金入りのバカだった。
バカと言っても
性に
特定の相手は作らない、遊びだけの関係だと開けっぴろげに言ってしまう。
それでも、派手な外見に反して柔らかい物腰、それでいて裏表のない性格といったギャップが受けて、結構モテるらしかった。
そして俺も、そんな粕谷のバカが嫌いではなかった。
なんだかんだ言っても俺の数少ない貴重な友人の一人で、時にはおいしいバイトを紹介してくれることもある。調子に乗るから本人には言わないけど、その能天気な性格のおかげで、俺の灰色の大学生活が少しだけ色づいたのは確かだった。
◆
「やべーよ
……前言撤回。
こいつはどうしようもないバカでアホで、厄介なトラブルメーカーだ。
「警察行けよ……」
俺はシガーケースから紙巻きのハーブを一本取り出して言った。
その日、粕谷から呼び出されたのは学食の屋上にあるオープンテラスで、俺たちの他に利用客は誰もいなかった。季節は冬。昼間でもクソ寒いのだから当然だ。
俺は少しでも暖を取ろうと、紙巻きに火を付けて煙を吸い込んだ。
わずかに胸の中に広がる多幸感も、吹き付ける冷たい風と粕谷の辛気臭い顔の前では霧散してしまう。
「警察はやべーって……ママに殺されちゃうよ……」
「あのさあ、お前のママがどんだけ怖いのかは知らないけどさあ、人殺しちゃったら警察行くしかなくない? 他になんかあるの?」
「いや、ちげーんだって。殺したっつーか、見殺し……みたいな? つーかまだ死んでるかどうかも分かんねーし……もしかしたら夢だったのかも」
「何言ってるかわかんねー。そもそもなんで呼び出されたの、俺」
「一緒に確かめてほしいんだよー。友達だろー?」
「確かめてって……何を」
「いやだから、本当に死んでるかどうかをだよ」
「誰が?」
「昨日ヤッた相手が」
俺は露骨に嫌な顔をした。
何が悲しくて、友達とまぐわった相手が死んでるかどうかを確かめに行かなきゃならんのだ。
「つーかまず状況が全然分からないんだけど。なに、腹上死?」
「ふく……? なにそれ?」
「いや、いい……何があったのかだけ教えて」
「えーと、昨日飲みがあってー、終わった後なんか声かけられたから、そいつの家まで行ってー、なんか気持ちよくなる薬? みたいなやつもらってー、相手も飲んだからまあいっかと思って飲んでー、そしたらシてる最中になんか泡吹いてさー」
「お前……知らない相手からもらった薬を飲むんじゃないよ……」
「いや、オレ薬とか全然効かないの。そういう体質みたいで。麻酔も効きにくいから歯医者とか最悪なんだよなー。酒も酔わないからカシオレとかカルアミルクとか甘いのしか飲みたくないし。ぶっちゃけ酒よりジュースの方が100倍うまくない?」
「知らねーよ。何の話だよ。話を脱線させる天才か?」
「なんだよー、友紀が薬とか言い出したんだろー?」
駄目だ、こいつと真面目な話をしようとすると頭が痛くなってくる。
俺は深く吸い込んだ煙を肺に溜めてからゆっくりと吐き出して、心を落ち着けながら話を仕切り直すことにした。
「……それで? 泡吹いた相手がどうなったって?」
「あーそうそう、なんか白目むいちゃってさー、なんかビクビク
「……え、泡吹いて白目むいて痙攣してる相手を放置して……? そのまま帰ってきたの……?」
「うん」
「カス…………」
「うん?」
馬鹿でアホな粕谷にとうとうカス属性まで付いてしまった。粕谷だけに。
「粕谷……お前それ、死んでても生きてても最悪だぞ……」
「だから一緒に確かめに行ってほしいんだよー。怖いんだよー」
「一人で行けばぁ……」
「嫌だよー、頼むよ友紀ー、親友だろー?」
この数分で友達から親友にランクアップされてしまった。正直全然嬉しくないが、このまま押し問答を続けても
「もー、しょーがねーなー」
「えっいいの? ありがとう友紀ー!」
抱きついてくる粕谷を引き剥がしながら携帯灰皿に燃えカスを放り込むと、俺はしぶしぶ席を立った。
◆
「確かここ! ここだー!」
線路沿いに壁のように立ち並んでいるボロアパートの一つを、粕谷はなぜかテンション高めに案内してくれた。さっきまでの辛気臭いツラはどこへ行ったのか。
散歩を心待ちにしていた犬のようにアゲていく粕谷とは正反対に俺のテンションは下がる一方で、早くも帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。
軽く築60年以上は行ってそうな建物は実に味があり、写真を撮ってレトロな雰囲気を楽しむぶんにはいいかもしれないが、ここに住めと言われたら絶対に断る。
とにかく辺りの雰囲気が暗い。重苦しい。特に目的地のアパートは他の似たような建物と比べても格段に気持ちが悪く、できれば近寄りたくもなかった。
「お前こんな所にホイホイついてくんなよ……どう見てもヤバいだろ……」
「いやー昨晩は暗かったからわかんなかったけど、こうして見ると結構キてんねえ」
そう言いながら、粕谷はアパートの一階にある扉の一つを無造作に開けた。
「おっ、開いてる……」
「おいおいバカバカなにやってんだお前呼び鈴鳴らせよまずはよお」
おっ開いてる、じゃないんだよ。定食屋かよ。
「いやインターフォンとかないっぽいし……ちーっす。いますー?」
「それならノックするとかよー……」
「返事ないわ」
「つーか鍵開いてたってことはお前が出てった時からそのままなんじゃねえの?」
「え? それが何?」
「バカ。中でぶっ倒れたまま起きてないんじゃないかってことだよ」
「あー……そういう考え方もできるのか」
他にどんな考え方ができるんだ?
とにかく鍵が開いていた時点でヤバい。考えたくはないけれど、最悪の事態を想定するべきだろう。まずは警察……いや救急車か?
軽くパニクりながら考えていると、粕谷は勝手に家の中に入っていってしまった。
おいマジかよ。大学で泣きついてきた時のビビリっぷりはどこへ行ったんだ。
こいつもしかして、俺と一緒にいるせいで気が大きくなってるんじゃなかろうか。俺の田舎によくいたイキりヤンキー中学生と同じたぐいの行動力を感じる。あいつら集まるとホントとんでもないことするからな……工事現場の重機パクったり……。
軽く現実逃避するほど嫌になっていた俺は、もうこのまま帰っちゃおっかなーなどと一瞬思ったが、もしも中の住人が生きていて逆に粕谷が殺されでもしたら寝覚めが悪いなんてレベルじゃないなと思い直し、仕方なく部屋の中に足を踏み入れることにした。
玄関の扉を開けるとすぐにキッチンで、
「うわ、くっせ……」
部屋の中に入った途端、甘ったるいようなにおいとガソリンのにおいが混ざったような独特の臭気が鼻をついた。目に見える範囲では特にごみ袋などが散乱しているというわけではないようだが、どうも尋常ではないニオイだ。
というかよく見ると、ゴミどころか食器や洗剤の類すら見当たらなかった。生活感がまるでない。異臭を除けば空き家と言われても信じられるくらいだった。
「おい粕谷、このニオイなんだよ」
「ニオイ?」
「なんか変な甘い感じのニオイが充満してるだろ」
「あー……言われてみればうっすらと……昨日は全然気付かなかったなー」
「うっすらってレベルじゃないだろ……息するのもキツいわ」
「敏感なやつだなあ」
勝手に部屋の中に上がってキョロキョロしていた粕谷は、意を決したように奥の部屋へと続く襖に手をかけてから、俺の方を振り返った。
「友紀……これ開けてくんない?」
「土壇場でビビってるんじゃないよ。お前が開けろよ」
「別にビビってねーし……ひゃっ」
へっぴり腰で少しずつ襖を開けていた粕谷が、急に可愛らしい悲鳴を上げて飛び
「なんかいる!」
「いるかー……」
「頼む友紀! オレはもうだめだ!」
そう言うと粕谷はカサカサ這いながら俺の後ろに回り込んだ。どうやら俺を盾にしているつもりらしい。背中をぐいぐい押してくるのが鬱陶しかったので、俺は大股で襖の前まで行くと、思い切って一息で開けてやった。
「キャー!」
「うるせえ!」
完全に肝試しのノリだこいつ……。
部屋の中は薄暗かった。
カーテンから光が漏れて、布団の上に横たわる白い体を浮かび上がらせている。
ぽっかりと口を開けて白目をむいたままの、50代くらいの痩せた男性の裸体がそこにあった。
しばらく眺めていてもピクリとも動かない。どう見ても死んでいる。仮に生きていたとしても、このクソ寒い冬の日に裸でこんな時間まで寝ていたら間違いなく凍死している。つまりこいつはもう死んでいる。マジかよマジで死んでるじゃん。ヤバくない? 死体見たのなんか小学生の時のおじいちゃんの葬式以来だよ。あー嫌だなー。これ絶対面倒くさいことになるじゃん。警察からめちゃくちゃ事情聞かれるじゃん。親呼ばれるじゃん。怒られるじゃん。俺なんにも悪いことしてないのに。なんで? この世には理不尽しかないのか? そもそも粕谷が全部悪い。そうだ。こいつに全部押し付けて帰ろう。帰ってあったかいうどんでも食べよう。卵ものっけちゃう。
「友紀~……どうだ~?」
せっかく俺が現実逃避していたのに、蚊の鳴くような粕谷の声で現実に戻された。
ふと、白い裸体からうどんを連想したのかなと考えて少し気分が悪くなった。
「死んでますわコレ」
「えー……? 嘘だろー……?」
「つーかお前さあ……こいつとヤッたの?」
「うん? 途中までね」
「もうちょっとこう……選べよ……相手を」
「選んでるっつーの。オレなりにビビっと来た相手としかやらないし。そのへん結構プライドあんのよ?」
「……お前の価値基準はよくわからん」
ついついどうでもいい会話でまた現実逃避をしてしまったが、とにかく目の前の問題をなんとかしなければならない。
なんとかっつったってやることは一つしかないんだけど……。
「粕谷、警察に電話」
「えーオレが電話すんのー?」
「お前以外に誰がするんだよ」
「……」
「無言でこっち見んな。お前が当事者なんだからお前が電話するんだよ。つーか実際俺この件とは何も関係ないからね? 今すぐ帰ってもいいんだよ?」
「あー待って! 電話するから帰らないで!」
「早くしてくださいね」
「くそぅ、なんでこんなことに……」
自業自得だ、と心の中で呟いて、俺は襖を閉めた。とにかくニオイがキツい。襖を開けたら余計にひどくなった気がする。なんなんだこれ?
電話をかけに外に出た粕谷を追って、俺もアパートの外に退避した。
「すぐ来てくれるって」
「お、もう電話したの? 早いな」
「さみーからオレ中で待ってるわ……」
「マジかよ。よく平気だなあ」
「寒いの苦手なんだもん☆」
「可愛い子ぶるな」
「実際かわいいだろ?」
「うっせ。まあまあな」
アホなやり取りをしてから粕谷が中に引っ込んだ後、紙巻きを一本吸い終わったくらいの頃に、アパートの前に一台の車が止まった。
警察……ではない。どう見ても黒塗りの外車だ。
闇金の取り立てとかだったら怖いな~と思いつつチラチラ見ていると、車から降りてきたのは見覚えのある人物だった。
というか、蛇一の兄貴だった。
今日は黒い革のパンツに黒の革ジャンを着ている。俺の姿に気付くと「よお」と手を挙げてきので、俺も軽く頭を下げた。
兄貴は車のトランクから何やら黒い大きな袋のようなものを取り出して、こちらに歩いてきた。
「粕谷は中か?」
「あ……うっす。います。中に」
兄貴は頷くと、扉を開けて中に入っていってしまった。
俺はハーブのせいで少しボンヤリしたままの頭を軽く振りながら、なんだかよくわからないままその後に続いて部屋に入った。
「兄貴~! 来てくれてありがとうございます!」
「俺を電話一つで呼び出すとはなあ。こいつは高く付くぞ?」
冗談めかして笑う兄貴の口から何やら冗談とは思えない恐ろしいセリフが聞こえてきたが、そのおかげで俺はシラフに戻った。
粕谷のバカヤロウ、警察じゃなくて兄貴に電話してやがったのか。
どうしてそういうことをするんだ。少なくともさっきまでの時点では、粕谷に全く非がないとは言い切れないけれど、重い罪に問われるような事態にはなっていなかったはずだ。それがお前、その……兄貴が持参した黒い袋はつまりアレだろ? 成人男性くらいの何かを入れて運ぶのに適したやつだろ? 死体遺棄は重罪だぞ。わかってんのか。バカだバカだと思っていたが、考えうる限りで最悪の選択をしやがった。
「なるほどな……こりゃあ、俺を呼んで正解だったな」
俺が考えていることと正反対のことを兄貴は言った。
兄貴はしばらく辺りを見渡すような仕草をした後に、当然のように土足で部屋に上がり込むと、迷わず奥の部屋の襖を開け放った。
チラリと見える白い裸体はさっきと変わらずそこにある。
兄貴はその上にかがみ込むと、何かを確かめるように
「良かったな、粕谷。こいつはヒトじゃない」
「「えっ」」
思わず粕谷とハモってしまった。
ヒトじゃない、って言ったの? 今?
「こりゃ異界の者だ。死因は餓死だな」
「えっ、ちょっ、兄貴、どういうことっすか?」
「何層にも折り重なっている別の世界のことを、俺たちはとりあえず異界と呼んでいる。結構いるんだよ、わざわざこの世界で暮らす物好きな異界の者は」
急に話がぶっ飛んでしまい、俺の頭もぶっ飛びそうになってしまった。
うわーやだなあ、ヤバい宗教みたいな話かな……俺もう帰っていいかな……。
しかし粕谷は兄貴の話を聞いて、なぜか目をキラキラ輝かせていた。
「ウッソそういうのマジであるんすか!? スゲー! オレ最近それ系のマンガにハマっててー、え、ていうか餓死ってどういうことっすか? そいつオレとヤッてる最中に倒れたんすけど」
「まあその話は追々な。とりあえずお前ら二人で、そいつをその袋に詰めといてくれ。俺はちょっと電話してくる」
そう言うと兄貴はスマホを取り出しながら外に出ていってしまった。
残された俺と粕谷は、黒い袋と死体を見比べながらしばらく黙っていた。
お互い何も言わず、目と
無言で交わされる視線の応酬にちょっと逆に面白くなってきた頃、粕谷が突然バカみたいに大きな声を上げた。
「はい! だっさなっきゃまっけよー! ジャン! ケン! ポン!」
俺はチョキ、粕谷はパーだった。
「あー待って待って待って! 頭の方持つのはイヤ! 目が怖すぎる!」
「うるせえ手伝ってやるだけありがたいと思え」
「オレさ~焼き魚の白い目とかダメなんだよ~マジでさ~」
「はい行くぞー、せーの」
「ああ~~~」
どうにかこうにか死体を袋に詰め終えた頃、ちょうど兄貴が戻ってきた。
「お、手際いいな。それじゃそいつをトランクに乗せて行くぞ」
「行くって……どこに……?」
「山だよ、山」
こうして俺たちは、死体と一緒に黒塗りの外車に乗って、名も知らぬ山へと楽しいハイキングに出発するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます