第8話 「厄介なもの」と皇后アリカは判断する

 もともと皇后アリカは女性としては発育が充分という訳ではなかった。

 帝都に入ることができる十六とという年齢ですぐに皇子を宿したため、そこで身体の時間が止まっている。

 授乳の時期も過ぎた今、周囲の女官達に比べるとずっと華奢な身体つきのまま、毎日毎日書類や計算や模様描きに明け暮れている。


「それでその格好ですか……」


 さすがにエガナは呆れた。


「仕方なかろう。できるだけ紙を大きく継いで描きたい図があったのでな」


 紙は貴重であるからその作業も慎重にならざるを得ない。一度使った紙の再生に関しても彼女は技術方と相談し、どんどん薄黒くなっていく紙を漂白する方法を開発しつある。

 ―――が、この時扱っていたのは無論、再生ではなく最初の紙である。それを扱うにはひらひらとした衣服では無理がある。

 だからと言って。


「下履きだけでふらふらとするのは如何なものかと」

「ブリョーエはいいと言ったぞ。どうしてても下履きで動きたければ、厚手の生地にして欲しい、という要請はあったがな。緩みに加えて足首のところで紐で絞って留めているから、かがんでも疲れにくい」


 元々縫製方筆頭だったブリョーエなら皇后から要請があればそういう方向に持っていくだろう。伝統が~等といった言葉はまず出てこない。

 ともかくこの皇后は、髪型にせよ衣服にせよ、美麗であることより動きやすさを重視する。―――何かしらの意図がある時を除き。

 さすがにサボンはその他の用事も並行するので、皇后といつも同じ格好をすることはできない。

 だがすぐに取り外しができる前掛けの親戚の様なスカートを特別に作ってもらっていた。他から突然呼ばれるとスカートをさっと腰に巻き、女官服の上着を着てしまえばさして判らない。これが側近の特別な服だと言ってしまえばそれで済む。

 しかし実際のところ下働きのそれとどう違うんだ、とエガナは時々首をひねるのだが。

 そんな簡素な格好をした皇后が訊ねる。


「今日は一人で? 私にどうしても見せなくてはならないものが?」

「はい」


 そう言ってエガナは包みを取り出した。アリカはそれを開くと、途端に眉を寄せた。


「これを何処で手に入れた?」

「カリョンの店に先日行ってきた時に見せられたのです。西の砂漠に近い場所で作られたものだと。陛下はおそらく何か思うところあるかもしれませんが、とりあえず部屋を暗くしていただけませんか?」

「部屋全体でなくとも、こちらでいいだろう」


 天幕の様な寝台のある方へとサボンとフヨウも連れ、四人で入って行く。

 闇とまでは言わないが灯りが無いと殆ど見えない場所で、それは青白い光を放っていた。


「フヨウ」

「はい」

「すぐにカリョンを連れてくる様に手配を」

「畏まりました」


 暗躍の筆頭はすぐに姿を消した。

 伝令を回すのか、当人が行くのか、それはともかく夕方までにはカリョンがこの場所に連れて来られるのだろう。

 正規のやり方ではないことは、サボンに命じた訳ではないことから判る。


「しばらくこれは私が預かる」

「やはり厄介なものなのですか?」

「気付いてくれたのは嬉しい。ただエガナの身体には決して良いものではないから、気休めかもしれないが、よく石鹸で手を洗っておいてくれ」

「畏まりました…… カリョンにもそれは」

「連れてくるだろうから、その時に言っておく」


 そう言うとアリカは近場にあるものの中で、最もぴったりと閉まる箱の中にそれを包みごと入れた。


「出回っているのかどうかをカリョンには聞かなくてはならない…… もし市場であれを見かけたら、近くに伝える者を置かせるから、それに連絡を」

「判りました」

「そして手を洗うのは、配膳方ではなく、庭園側で頼む」

「はい。……遅く効く様な毒なのですか?」

「毒…… というのは少し違う。ただ、あまり良く無いものだ。今一つ情報がまだ上手く引き出せないから、その辺りは言えたものではないが…… ああ、ラテはいいが、其方の息子には今後この様な色の飾りがあっても触るな、と言っておいて欲しい」

「ラテ様は宜しいのですか」

「あれの身体は元々強くできている。其方の息子ほどの心配は無い」

「ですが……」


 そういうところなのだろうか、とエガナは思う。

 アリカは決して息子を嫌ってそう言っている訳ではない。むしろ息子の中の何かを信頼して言っている様にも聞こえる。

 ただそれが何なのかエガナにとっては判らないのがもどかしい。


「あと、時にはお父上様にお会いしたいということを仰有ってました」

「陛下に」


 それには驚いた様に顔を上げた。


「そう言えば結構会っていない様だ。宜しい、この件に関しては陛下にもお話があるから、そのついでに頼んでみる。陛下はラテのことがとても好きだから、決して断らないだろう」


 では貴女はどうなのですか、という言葉をエガナは喉の手前で押しとどめた。


「しかし…… そうか、ちょっと厄介なことになるな……」


 そう言うと、アリカは箱を手にしたまま、ふらふらと宮の外に出て行く。その方向には太公主の館がある。もうずっと皇帝はサシャ太公主のもとで暮らしているのだ。


「お茶でもどうですか、エガナさん」


 アリカが勝手に出て行くのは良くあることだ。その後をフォローするのがサボンの仕事でもある。


「ラテ様のこともお聞きしたいし、きっと貴女も私に聞きたいことがあるだろうし」


 そうですね、とエガナはうなづいた。

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